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生活との距離

日々の切り売りで数字を得ているわたしは、時に自分を売り物のように扱う。

わたしは「姉妹の犬」という道化を演じているから傷ついてもそれをどう感じるか、どう考えるかを一歩引いた目で見ては作品にする、そうやって本来の苦しみに目を向けないようにしてきた。
生活との距離感は近いのに、わたしの心との距離はだんだん離れていった。わたしが誰だか分からなくなる、そんな瞬間が重なっていった結果、人格の分裂が起こった。

こちらはわたしの人格、こちらは見せ物の人格、と。

これの何がいけないって、心身の健康にはっきりと良くないのだ。わたしの意見が分裂するというのは、生活をする上でとっても困るし、正反対の性質をしている人格を飼うのはわたし自身も負担が大きい。
心の負担。それはまだ解消されない、この先もっとひどくなるかもしれない。人格分裂の恐怖を見て見ぬ振りしながら文字を書き続けている。わたしだって、書けるものなら心の負担のないフィクションとか書きたい。

自分を売り物にすることの危うさ、それに気づくのが信じられないほど遅かった。
もう、これは自分が狂ってしまうと、全部を赤裸々に書くと失うものが多くなると感じてしまった時には既に若干の軌道に乗り始めたところだった。
流石に初めての同人即売会で30冊ちょいの累計売り上げで、noteもありがたいことにちょびちょび数字が伸び始めている。
自分の中では「恋多きメンヘラ女」像から脱却したいと数ヶ月前からずっと思っている。あまりの気持ち悪さに後から苦しくなって全身を掻きむしっているのは今晩だけじゃない。
もう次もこのスタイルで来ることを楽しみにしてくれている人のことも知っている。私はあまりにもなるようになるだろうという思想に囚われすぎている。
これはどうしたものか。

姉妹の犬を捨てて、一旦中の人としての生活をしてみることにした。一旦、一旦、無かったことにする。そうするとどうだろう。何も心に残らなくなっちゃったよ!
元々の忘れっぽい性格に拍車がかかっている気がする。
元々この活動は、姉妹の犬という色眼鏡を通しては日々を書き起こし、未来の自分に伝えるためにキーボードを叩いているのをようやく思い出した。

極論、生活との距離なんて近くても遠くてもいい。
自分が壊れてしまったって、人格分裂はやめられないし、そんなの私の後天的特性だ。捨てられない。
この活動を始めてしまった時からその人格に飲み込まれる事なんて覚悟していた、はず。
嫌な覚悟をパキッと思い出しては、突然思い出したかのように腹を括って狂ってゆくかもしれない私を、私をどうか恐れずに見届けて欲しい。
生活との距離を調整し損ねて、人の形を保てなくなっていくかもしれない私を、抱きしめてあげてほしい。

ファッキンな一日の締めにこの文章が、私を時折気にかけてくれる貴方の心遣いが、どうかありますように。

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