感情に関する変化と気づいたこと
はじめに
ここで紹介するエピソードと共に私が気づいたことや変化について少しまとめたいと思います。
私のことを知っている人へ
本人には伝えないでください。伝えるにも、タイミングやその方法を検討する必要があるためです。
ある出来事
あれはいつ頃だっただろうか。
ただ、ここで時期はあまり関係ないから思い出す必要はない。
何人か集まって話し合いをしていた。
話し手の中心はAさんと私。Aさんは私のことを大事に思ってくれているのは周りも認めるところだ。
ある瞬間、Aさんは自分自身がとても大事にしている主義・主張を話し始めた。
一旦区切りが良さそうだと判断し、その内容について私が質問した。
もちろん、内容の理解を深めるためで、批判したり言い負かしたりする意図はない。仮に賛成反対を最終的に出さないといけないミーティングだとしても、その時点では賛成反対のどちらでもない状態だ。
私が確認したい内容を伝えた瞬間、激昂した。
急にめちゃくちゃキレてきたため、拍子抜けという言葉も私の頭には浮かんだ。
なだめたら、落ち着いた。
考察
周りと私の体の反応の違い
Aさんがマジギレした時の状況について、後で私の同席者から聞いた内容と私自身の反応について紹介する。
私といつも行動を共にするHさん。Hさんは、とてもドキドキして怖かったそうだ。
定期的に連絡を取ったり、会ったりするMさん。Mさんは、普段はあまり飲まないお酒を飲んでいた。なぜなら勧められたから。酔いも自分が思ってた程回らなかったそうだw
他の参加者については、現時点でヒアリングできていないが、私が見ていた限りでは、下を向いて「シュン」としていた。
私はというと、心臓の鼓動に変化もなく、恐怖という感情が湧くこともなく、落ち着いていた。
私からしたら拍子抜けという要素もあるだろうが、とにかく落ち着いていた。
で、周囲を見渡すと、さすがに今の状況、つまり、Aさんが激昂して混乱している状況に対応するのが最優先と判断した。
Aさんとの比較
前述の通り、Aさんは激しくキレている。私はその反対。
例えるなら、Aさんは電子ケトルで急速に沸騰している熱湯そのもの。私はというと、私自身の体験から引用すると、冷たい水の中に潜ってわずかな水の音以外は存在しない静かな世界にいた感覚。Aさんはめちゃくちゃ怒っているのに、それぐらい私は静かな空間にいた感覚を覚えた
なだめ方
相手には申し訳ないが、日本に住んでいるこういうタイプの人のなだめ方は簡単だ。高確率で素早く収められる。
それは、謝ること。
正しいとか間違っているとかは忘れること。
あとは、めちゃ興奮している相手に「ごめんなさい」という言葉が聞こえるかどうかだけ。
今回は、最後に大きめの言葉で言ったら伝わったようだ🙌
後で悩んで気づいた2つのこと
感情がない?
あんなに目の前で怒鳴られて、体の反応・心の状態が本当に自分の感じた通りなら、何かの病気なのか?と思った。
なぜなら、過去の私は怒られた時はもちろん、誰かと議論するだけで「何か言われるのではないか」とビクビクしていたからだ。
そんな私が平時はもちろん、相手を怒らせてしまっても恐怖や不安を感じなくなったのは何かの病気ではないかと疑った。詳しく調べもしていないが、感情を感じるべき時があるのであれば、そういう時に感情が湧いてこないということは、何かの病気ではないかと考えた。
識者に聞いてはいないが、この考えは比較的あっさり却下することとした。
なぜなら、家族に聞いたところ、「感情ない病気?喜怒哀楽のうち全部なくなった?あういう場面で恐怖はなくとも、同じ日に、嬉しい、楽しいと感じたことなかった?あったよね?」と言われ、
「あ、そうかw」…
虚しさ
Aさんと達との話し合いが終わったあと、何か「霧がかかったような、残念な気持ち」を感じていた。
(この時点で感情があることになぜか気づいていないw)
私の人生の中で10回もないが、その日は不眠不休で考えた(結局連続38時間起きていたw)。
まず思い浮かんだのは、人格否定。怒り狂った時に相手の人格を真っ向から否定すること。今回も人格否定されたことは確か。だけど、これはAさんからだけではなく、今まで何度も経験したこと。これが気になって寝られないということにはならない。
日が昇り始めた頃に気づいた。気づいた瞬間、とても虚しく、悲しく、残念な気持ちになり涙が溢れ出てきた。
あえて記述する。
Aさんが激昂している時、具体的な発言内容は記述を控えるが、もちろん興奮しているため顔が喉まで真っ赤っかであった。これはもちろん、私も含めて多くの人に見られる症状。
問題はAさんの表情だ。
とても醜い。この世のものとは思えない程に卑しい。下劣極まりない表情であった。いつだったかお寺で見た餓鬼の絵が頭に浮かんできた。
私の人生で、現実はもちろん映画やドラマでも見たことない。
しかもAさんは私にとって大切な人の一人。
気づかなければよかった。Aさんが怒っている時、同席していたある人と同じように下を向いてた方が幸せだったのかもしれない。
そんな考えも浮かんだ。
あの顔を思い出す度に、怖い、ドキドキする、という方がマシなのかもしれない。
虚しい
悲しい
空っぽ
現時点でのまとめ
このエピソードからも過去の私からの変化が見て取れた。つまり、必要以上にビクビクしていた自分から「さよなら」していることが確認できた。
さらには、常に自分にとっての正義を求めていた自分からも卒業している。ここでいうと、怒り狂った相手をなだめるのは謝ること。心の中を無にして「ごめん」と言うこと。
ただ、その変化により次の「苦」を手に入れたようだ。
虚しい 悲しい 虚しい
私は大きな失望を覚えた。
Aさんが今後大きなトラブルを引き起こさない、引き寄せないことを祈る。
なお、別記事で「自分の正義」について書く機会が設けられたら、と感じる。
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