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僕が考えたこと 自分と他人(物と物)を較べること、自分を認めることについて

人は毎日何かと何かを比べてどっちがいいかという選択を迫られ、時には間違った選択をしてしまいます。今日僕は哲学書と小説をそれも最近文庫化された小説を読んでいました。そこで僕は哲学書と小説どっちが好きでどっちが高尚(こうしょう)な読み物なのか、またどっちの方がためになるのか考えてしまいました。僕の結論は、小説は小説でも僕は昔の小説の方が好きなので、この小説と哲学書ならば哲学書の方が好きであり高尚でありためになるのかと考えました。しかしそれって本当に事実なのか、それを事実だと思いたいだけなのではないかとも思いました。
まずそれが事実なのかどうかについてですがこれを探求してしまうとあまりにも長くなるので大まかな結論を述べると、人それぞれだから事実ではないというのが僕の結論です。
次にそう思いたいだけだという説についてです。それを裏付けること証拠はしっかりあります。それは、恥ずかしながら哲学書は頭のいい人が読む読み物だという思い込みが自分の中に存在しているということです。つまり自分は頭がいいと思い込んで自分を認めたかったのだと推測できます。
ちなみに、このようにして何かと何かを比べてこっちがこうだからこっちが正しい、良いと考えて選択し他方を否定する、この行為は間違っていると思われがちですが、僕はそうは思いません。なぜならこの行為は人間の本能と言えるから、つまり仕方のないことだからです。しかしだからと言って完全に容認することは出来ないし完全にコントールできないものだとも思いません。そもそもなぜこの比較という行為があまりよろしくないのかというと、それは他方を完全に否定してしまうからです。ところが物事には必ず短所と長所はあります。だから完全に否定できるものや肯定できるものなどないのです。完璧なんて存在しないのです。完璧を追求していたら苦しいものです。
ところで自分を認めることについてですがこれはもう説明する必要はないかもしれませんが、先ほど述べたように人は何かと何かを比べて他方を肯定し他方を否定します。言い換えれば他方を認め、他方を却下します。さらに詳しく言うと、自分を認め他人を却下します。逆も然(しか)りです。自分を肯定するそれは素晴らしいことです。しかし自分を否定することそれ以上の不幸はなかなかありません。そして比較をして他方を完全に肯定否定してしまうと必ずいつかは自分を否定してしまうときが来るでしょう。だからそうならないように常にどちらにも短所長所があるから完全には否定せず認めてあげるようにしましょう。そうすればかなり生きやすくなると思います。参考になったよういう方はぜひフォローお願いします。それでは。

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