残酷な世界で生き延びるためのたった一つの方法
自己啓発の伝道士たちはやればできると私たちを鼓舞する。
でもここでは能力は開発できないと主張する。なぜなら、やってもできないから。
何年も前から人格改造の様々なセミナーやプログラム、コーチングの類いが宣伝されている。でも、これらはほとんど役に立たない。
何故なら、もう一度言うけど”私”は変えられない。
面白い意見でしょ
でも奇跡が起きないからといって絶望する事は無い。ありのままの私でも成功を手にする方法(哲学)がある。
残酷な世界で生き延びるための成功哲学はたった2行に要約できる。
伽藍(がらん)を捨ててバザールに迎え。
恐竜の尻尾の中に頭を探せ。
何のことかわからない?
その秘密を知りたいのなら、これから私と一緒に進化と幸福を巡る風変わりな旅に出発しよう。
少し長いけど読み物として楽しんで
まずは「人は変わらない」ことの証明から。
運動能力とか身長、病気のなりやすさは遺伝するってのは周知の事実だと思う。
でも社会的には性格や知能が遺伝すると言うことになると都合が悪い。
想像してみて。
教師が生徒を注意するときに「態度が悪いのは遺伝のせいで俺のせいじゃねえよ」と言われたら教育自体が成立しないし、知能が遺伝すると認めると言うのは不平等を認めることになる。
政治家が「馬鹿な親からはバカの子供が生まれる可能性が高く、ニートになる可能性が高い」なんて事実を発言したら大炎上するじゃん。
遺伝を言い訳に頑張らない人が増えると思うしね。
この世界を「残酷な世界」と呼ぶのはここが理由。
だから私達の社会では個人の自覚や生育環境によって性格は0から作り上げられることになっている。
障害者の子供は障害者になりやすいとか犯罪者の子は犯罪者になりやすいとか、科学的に証明されているのに、都合が悪いから全て環境のせいになる、人が犯罪者になるのは貧困や幼少期の虐待が原因だとか知能は教育で向上するとか言ってね。
実際、多くの実験や実例から、子どもの成長に子育ては必要ないって言われてて、一卵性双生児は同じ両親に育てられても別々の親に育てられても、双子同士の類似性に相違はないと言う実験もあるし、喋れないし耳も聞こえない障害がある親から育てられた子供も普通に喋れるようになるし、日本人親子が米国に引っ越して家庭内では日本語で喋ってても子供は勝手に学校で英語を覚えてくる。
そこで登場した仮説が「子どもの成長に親は必要ない」というもの。
子供の性格の半分は遺伝だけど、もう半分は子供同士の社会的な関係によって作られるという主張。
だから子供達は親や大人からではなく、自分の属する子供集団で言語や文化を身につけ、集団内での自分の役割を確立させる。そこで形成された性格は思春期には安定し、生涯変わらないと言われているさ。
ここまでをまとめると、
①知能の大半(約70%)は遺伝で、努力しても大して変わらない
②性格の半分は環境の影響を受けるが、親の子育てとは無関係で身についた性格は変わらない。
正しいかどうか、信じるかどうかは置いといて、これを仮定して話を続けていく
いろんな人の意見を聞いてみたい
さて、
もしこれが本当なら、努力することに何の意味があるのでしょう。
自己啓発はさ、みんな誰しもやれば出来る。自己啓発の女王である勝間和代さんもこの主張。
でも行動遺伝学は、適正に欠けた能力は学習や訓練しても向上しないっていうデータが沢山あるんだよ。
もしそれが本当なら、やっても出来ないのに努力しても無駄なわけじゃん?
初めはこの不道徳な考えに反発した。知能や性格が遺伝によって決まるなら良くなろうと頑張れないじゃん。嘘でも「自分は変われる」って思ってた方が幸せだってね。
だから最終的にこう考えるのが良いとした。
「やればできる」と言う仮説を否定すると人生そのものが台無しになってしまう。
それよりも「やっても出来ない」と言う事実を認め、その上でどのように生きて行くのかの「成功哲学」を作って行くべきだって。
さてここから
第一章「能力は向上するか?」
猫型の機械が出てくるドラえもんって漫画知ってるかな?
分かりやすいよう例え話をしていく
出来杉くんやジャイアン、のび太とかそれぞれ得意不得意があって皆されぞれに良いところがある、それを評価してあげれば良いじゃん、
そう言った考えを「多重知能の理論」って言うらしいんだけど、
知能って身長みたいに単純な検査では測定できなくて、8つの知能が組み合わさって影響しあっているんだって言うのが「多重知能の理論」の主張。
確かに、って納得できるよね。
頭が良いと一言で言っても表現力があるのか記憶力が良いのか、想像力があるのかとか色んなジャンルがあると思うんだよね。
ちなみにその八つの知能と言うのは、
①言語的知能:言葉への感受性、目標を達成する際に言語を用いる能力。小説家や政治家とか。
②論理数学的知能:問題を論理的に分析したり、数学的に処理する能力。科学者とかコンサルタント。
③音楽的知能:音楽的パターンを取り扱う能力。音楽家
④身体運動的知能:問題解決のために身体を使う能力。外科医とかスポーツ選手。
⑤空間的知能:広い空間のパターンを認識して操作する能力。建築家とかパイロット。
⑥博物的知能:世界を分類して理解する能力。博物学者。
⑦対人的知能:他人の意図や欲求を理解する能力。教師とか営業。
⑧内省的知能:自分自身を理解し、自分の生活を効果的に統制する能力。
これにプラス1して
⑨実存的知能:宗教的・神秘的体験を位置付ける能力。宗教家とか芸術家
が暫定的に提案されてる。
出来杉は言語的知能と論理数学的知能が優れているし取り柄のなさそうなノビも対人的知能を持ってて共感力があったりする。
多重知能理論の根拠として
サヴァン症候群の例が挙げられる。足し算引き算は出来ないのに20桁の素数を瞬時に答えられたり、4万年先の今日が何曜日かも当てられたりする。
逆に脳の特定の能力だけ失われる失語症や失読症なんかもある。
だから、それぞれの能力、知能ってのは完全に独立してるんだよって。納得はできるよね。
あなたはどの分野の知能が優れているかな
これは5段階評価などで8つのトゲ(8つの知能)があるヒトデのようなグラフを描けば視覚化することも出来る。
そうすると、ジャイアンは遺伝により、論理数学的知能の能力が出来すぎ君より低いことなどが一目瞭然になる。
ジャイアンが頑張って毎日居残りして塾に通って勉強すれば、努力によっていくらか論理数学的知能は伸びるでしょう。
「やれば出来る」理論はそうだけど、現実はそんなこと起きないんだ
子供はね、集団の中でいかにして目立つかと言う争いをしている。キャラや立ち位置の確立って言うのかな
ジャイアンは勉強が自分にとって有利なゲームではないことにすぐに気が付く。
補習や塾に時間を費やすよりも、得意な野球をしていた方がいいって、尊敬されるぞって気づくの。
意図的じゃないよ、無意識にね、選択理論で言うところの上質世界に入るんだ。
子供は無意識のうちに集団のメンバーを比較観察して最も有利な能力を伸ばそうとする。個の確立と言う意味で目立ちたいからね。
だからジャイアンは知らないうちに野球が好きになって、勉強が嫌いになるって言うわけさ。生理的な感覚としてね。もうこれ環境というより遺伝の影響が大きすぎると思わない?
資源も時間も限られてるんだから短所より長所を伸ばそう!ってストレングスファインダー的な考え。
そしたらジャイアンは野球選手に、出来杉君は弁護士になってめでたしめでたし、
、、、
とは現実はいかんのよ。
その根拠として、
15万年前から私らホモサピエンスが登場してさ、産業革命が起こってこんなに市場が栄えたのはここ250年前くらいからで最近なの。人類は長いこと狩猟採集民として動物を飼って木の実を採集して生きてきたじゃん?
捕食者から逃げ自分が捕食者になるには空間的知能と身体運動的知能が高い必要があって生存に有利だったけど、昨今の高度資本主義社会ではこうした能力を持っていても高く評価してもらえない。
スポーツ選手にでもなれば別だけどせいぜい運動神経の良いサラリーマンとして趣味の草野球でホームランを打つくらいしか役にたたん。
市場はいろんな知能を平等に扱わない。
生まれ持った得意不得意があるのに。格差が生まれて当然。
でも幸いなことにね、「比較優位の理論」ってのがあるの。興味深い話でさ。
出来杉君は一流の弁護士かつ一流のタイピストだとしよう。しずかちゃんは音楽家の夢を諦めタイピングの勉強を始めたとする。
出来杉君は弁護士としてもタイピストとしてもしずかちゃんを絶対的に上回る。「絶対優位」っていう立場。
でも出来杉君はしずかちゃんを秘書として雇っている、何でだろう?
弁護士能力はしずかちゃんより100倍優れているとしても、タイピングはせいぜい2倍くらいの差しかないとする。
出来杉は静香ちゃんに対して法律の仕事は比較優位、タイピングは比較劣位にある。
その場合、比較劣位に当たるタイピングをしずかちゃんに任せて自分は法律の仕事に集中した方がずっと大きな利益を出すことができる。
要約が難しいんだけど感覚的に分かるよね、数学的にもこれは証明されてる。
そんな感じでしずかちゃんは出来すぎより全ての能力が劣っていたとしても、法律の仕事は出来杉の1%しか出来なくても、タイピングは出来杉君の50%も出来るんだから、タイピストとして人並みに食ってはいける。
このように、ダメな人、ダメな国も市場経済で生きていけることを証明したのが比較優位の理論。
他人より優れている必要はない、ジャイアンは野球選手になれなくても力仕事を比較優位に出来るしね。
国もそう、自由貿易で豊かな国が貧しい国に富をもたらす。何かで一番にならなくたって、
収入は出来杉より少ないけど、みんなが自分に相応しい仕事を見つけられるハッピーな世の中になりましたとさ、めでたしめでたし、、、
とは、やはりいかんのよ。
アメリカが日本車の輸入に規制をかけているのも国内の自動車工場が潰れて失業者が増えるのを恐れたから。
しずかちゃんが時給3000円でタイピングの仕事してたけど、中国人の陳さんが時給300円で同じ仕事をするって言ったらそっち取るじゃん普通。
グローバル化も一長一短で、最も貧しい人が最も大きな比較優位を持ってる。
労働規制を撤廃したら貧しい国の人たちが比較優位を活かして今より良い暮らしができるけど国内の失業者が増える。
タイピングの時給を時給1000円に設定しても、中国人は3倍豊かな暮らしが出来るし、しずかちゃんは収入が3分の1に減る。
何の話だっていうような話になってきちゃったけど、理解は出来てるかな?
めでたしめでたしにはならないから富裕層と貧困層の格差は広がるばかりで、格差社会なんて言われる。
差別的で不道徳だけど、豊かな国から貧しい国への富の流失は避けたい。だから貿易も移民も規制される。
そんなところから目を向けられ始めたのが「教育の重要性」。
日本人やアメリカ人は富裕層を目指して、単純作業は安い賃金で外人が担う、比較優位の理論でみんなハッピーじゃん!ってなって、良い教育で富裕層になろうみたいな風潮に”道徳的に”なっている。ってのが自己啓発の流行と現状だと思う。
ちなみに能力主義は分かるよね、弱肉強食みたいな実力主義のこと。
平成に起こった自己啓発の女王と香山さんって人の論争はさ、能力主義がテーマになってんの。
香山さんは「努力したくてもできない人もいるんだから能力主義は非人道的だ。努力もできずに向上できなくても人は生まれただけで生きる価値がある」という主張。
で、噛み合ってないんだけど、勝間さんの主張は「これから社会が能力主義になるのは避けられないのだから、それに対応したスキルを身につけることができれば、より効率的に幸福になれる」っていう主張。
正解はない問題、どう思う?
私も勝間さんよりの考えなんだよね、この世界に適応しようよって。
そして、面白いことに能力主義は道徳的であるという証明を今から行う。
詳しくは割愛するんだけど要するに、
出来杉くんは法律の仕事が自分にとって比較優位でタイピングが比較劣位と知っていたから静香ちゃんを雇ってたよね。
だけど能力が正しく評価されない社会だとしたら、出来杉は何が自分の比較優位か分からない。
1人で全てやることになり沢山の静香ちゃんは職を失い失業率が上がる。
社員は給料の額で差があるんだから、なんらかの評価は必要不可欠で、その基準が能力でないなら、人種や国籍、性別や宗教、容姿や家柄で評価するようになるだけ。給与も立場も年功序列でね。
察しがつくと思うけどこれらを評価するのは差別なんだよね
つまり能力主義は差別のない平等な社会を築くための基本インフラなの。
アメリカは履歴書に年齢も性別も顔写真も不要ってのは有名な話で学歴と資格、経験の3つを評価する。
納得してくれたかな。
つまり、能力は年齢や性別、人種や宗教といった個人の属性から独立したものであり、個人の評価はその属性とは無関係に能力のみによって判断されなければならない
ということ。
思い出して欲しいんだけど能力も人種や性別のように先天的な才能だとしたらさ、能力で人を評価することも差別になると思わない?
でもそんなこと言い出すと組織は成り立たないから、事実かどうかは関係なく「やればできる」という自己啓発が有効だっていう設定になってる。
自分の得意分野、比較優位の能力に資源を投入するのが効率的って話だったけど、
人は得意なことを好きになるし、好きなことは夢中になれるじゃん
だから好きなことの専門家になれば良い。
少数派だよね好きを仕事にしてる人は。
でも好きなことが常に市場で高く評価されるわけでもない。
実際、売れないバンドマンや芸人が何でいつまでも必死になるかって言うと、それしか出来ないからなんだよね、誰にでも出来る退屈な単純作業くらいしか他に出来ることがないから、いつまでも夢を追う。
勉強も事務作業も出来ない、市場で求められるような言語的知能などが努力で好きになることも出来ない、好きなことをやれば成功できる保証もないけど、能力がない人は好きな事で生きてくしかない。
さあ次の話題。
第二章
「自分は変えられるか?」
今の自分に満足している人ってどのくらいの割合なんでしょうね
「変わりたい」あるいは「人を変えたい」って多くの人が思うことだと思う
さっきもチラッと出た「子供に親の愛情はいらない」という話からしていく。
引き寄せの法則ってよく言うけど、これは子供にも当てはまって、
子供は自分と似た子に引き寄せられる。狩猟採集時代から親は授乳期が終われば子の面倒は見る余裕がなかった。
年上の子が年下の子の面倒を見て、年下の子は年上の子の真似をする。引き寄せあってね。
だから、昔は親の愛情などなくても子は育っていた。だから子孫を残せた。親が子供に極めて大きな影響を与えているのは間違いないが、それは遺伝的に。
幼児期に無関心な親に育てられた子供は抑うつ的な傾向が強く、精神病になりやすい。
アル中や薬中の親からは依存症の子が育ちやすい、そんな例は沢山あるけど遺伝によるものなのか環境によるものなのか見極めるのは難しいじゃん。
そこで、遺伝的な影響を取り除き環境だけを比較するために、乳児期に離れ離れになった一卵性双生児の姉妹を例を取り上げる。
成人したとき、その姉妹の1人はプロのピアニストになり、もう1人は音符すら読めなかった。
義理の母の1人は音楽の教師で、もう1人の母は音楽とは無縁の母。
面白いことに楽譜すら読めないのは音楽教師に育てられた方で、ピアニストになったのが音楽とは無縁の方の母だったの。
2人は一卵性双生児だから同じ遺伝子を持つんだよね
そして子供の性格は親との関係ではなく、子供同士の集団の中で選択される。と唱えてる。
幼稚園にあったオルガンをたまたま触ったとか何かのきっかけで、音楽が上質世界に入り、無意識にこの分野なら他の子より目立てるぞと、みんなから注目されるからますます音楽が好きになる。
一方、音楽教師の娘は、少しくらいピアノが上手くても親が親だし誰も驚かない。
親の影響で音楽関係の子が友達に多かったとしたら、音楽以外のことが出来た方がよっぽど目立てる。
集団の中でキャラが被れば、どちらかが譲るしかない。
このようにして、全く同じ遺伝子を持っていても集団内でのキャラが異なれば違う性格が生まれる。というわけさ。
毒親とか親ガチャなんて言葉が一時期、流行ってたけどさ、
遺伝はガチャだけど、あとは親は関係ないっていうこの主張について、どう思うか多くの人に意見を聞きたいな。
そして、思春期を迎えるとそれ以降、性格は死ぬまで変わらない。
何故ならそれもまた、進化の過程で選択された最適戦略だからだと言われている。
猿も人もチンパンジーもそうだけど、集団で生活する動物は相手によって態度を変える。
猿も自分より強い相手には歯を剥き出しにして服従の態度を示す、これが笑顔の原型と言われてる。
自分より格下には横柄な態度を取るし、小猿も短気なオスには近づかない。
私達が複雑な社会を形成する必須の条件は、集団のみんなの性格が一定していること。
猿も幼い頃は好奇心を持ったり怒ったり喜んだり気分にムラがあるけど大人になると新しいことはしなくなり、これまでのやり方にやたら拘る頑固ジジイになるらしい。それによって集団の中での立場が固定される。
人も大人になれば性格は落ち着いてくるし、一定して安定していることで信頼が生まれる。
その日によって性格がコロコロ変わるような奴は猿も人も淘汰されてきたというわけさ。
だから、人の性格は変わらないっていうんだけど、いかがなもんかね。
私自身、人は変わる派で自分も性格が変わったと思っているんだけど、二十歳くらいまで思春期があったと考えれば納得はできるんだけどね。かっこ笑い
ともあれ、ここでまた面白い話をしていこう、
性格のお話を深堀りしていくんだけど、
てんかんの治療で右脳と左脳を切り離す手術知っているかな?
脳を左右で分離するとテンカンが治るさ。
目の神経は交差しているから右半分の視野は左脳に、左半分の視野は右脳に情報が送られるよね。
言葉や文字も司る言語中枢は左脳にしかないから、その分離された患者は、右脳に入力される左目で見た文字を認識することが出来ない。
その患者はスプーンとかカギとか鉛筆とか、左手で触ると感触はあるんだけど、何であるか名前は答えられない。
勿論、左の視野に「スプーン」とか「鉛筆」って文字を出しててもそのことに気づけもしない。
でも文字を出すのと、左手でスプーンとか触るのを同時にやると、その組み合わせが分かる。
文字は認識できていないんだよ?でも示されてる文字の組み合わせの物を手探りで当てられる。でも自分が何をしているのか全く意識はできていない。
更に、患者の左半分の視野に「笑え」と書いたボードを置くと、見えていないにも関わらず、笑い出したんだって。
何故笑ったか聞くと「先生の顔が面白かったから」って答えた。
この実験は、右脳は言語を意識化する能力はなくても、言葉を理解して命令を実行する知能を持っていることを示したさ。
けどこれは勿論、無意識で行われるから右脳から切除された左脳は、自分がなぜ笑ったのかを知らない。
脳には常に膨大な量の情報が流れ込んでくるけど、意識できるのはそのごく一部。だけど人は常に自分の行動に合理的な理由を求めるから、自分が笑った以上、何か面白いことがあったに違いないと解釈するっていうメカニズムらしい。
もしこれが正しいとしたら、
分離脳患者が左脳をどれだけ訓練し、深い内省を重ねたとしても、なぜ右脳が自分を笑わせたのか理解することは絶対に出来ない。何故なら無意識を意識することは原理的に不可能だから。
同様に、健常者の私達の性格も、無意識の感情や仕草、表情や行動などによって構成されている。
心臓の鼓動を早めるのも、顔を赤るのも涙を流すのも脳の活動によるものだけど、それが無意識に行われているのなら、本当の理由は秘密のベールに包まれたままに違いない。
僕たちはただ、泣いている自分に気がついて、後から悲しい理由を考えられるだけなのだっていう主張。理解はしにくいよね。
つまり、性格という無意識の表面的な部分って言うのかな、無意識を意識は出来ないから無意識は変えられない。だから性格も変えられないって言う理論。
よっぽど宗教的に悟りを開けば無意識をコントロール出来る可能性もあるかもしれないけど人生そのものが修行になるから普通の人はしないよね、みたいな。
だから人は変わらない。気をつけることは出来ると思う、でも潜在的な、根の性格は、変わらない。どう思うかな。
さて
ここからまた話題はガラッと変える。
まず「友達」について、
幼稚園から大体大学の同級生の間でしか結ばれない極めて特殊な人間関係。
学年が一つ違うだけで先輩、後輩になるし、更に世代ごとに分けて小学校の友達を普通、高校の友達に紹介したりはしない。意識はしてないけど「友達」にはそのような排他性がある。
更にね、友達になるには同じ時間を共有するだけでなく、同じ空間を共有しなくちゃならないから、空間的にも排他的。
県外の大学に進学すれば高校の友達との友情は薄れるとかね。
だからこの極めて限定的な条件を満たした人としか友達になれないから、尚且つその友達が維持できることがもはや奇跡。だからまるで御伽話のような友情物語に人は感動するんだよ。
めんどくさい意見って思われるかもしれないけど、、
ともあれその前提があった上で本題に入るんだけどね、
多くの人にとって大事なのは家族や恋人との関係、これを「愛情空間」と呼ぶ。
愛情空間の周りには親しい友達との「友情空間」がある。
あと友人でもないけど他人でもないって関係もあるじゃん、上司とか後輩とか。これを友情と愛情とまとめて「政治空間」と呼ぶ。ここには敵も味方もいる。
そして政治空間の外には「他人」の世界が広がっている。
出勤する時によく見かける人とかテレビでしか見たことないようなアフリカの難民とかね。その他人のことは普通、友達や家族ほど気にかけないよね。
でも私たちはその遠い他人たちとも全く無関係に生きているわけではなくって、
地球は市場によって覆われていて、人々は貨幣を介して繋がっている。
例えばユニクロやGUで買ったセーターはアフリカの工場で編まれたものかもしれない、だから他人によって構成され貨幣で繋がるこの世界を「貨幣空間」と呼ぶ。世界は誰かの仕事で回ってるってやつだね。
愛情空間は極めて小さな○で、それを友情空間がそれより大きな○で囲う。その2つの○を政治空間が覆い、極めて大きな○が全てを覆うような図をイメージしてもらいたい。
愛情空間は2人から10人くらいの小さな人間関係だけど、この小さな世界が人生の価値の大半を占める。太鼓の昔から猫も杓子も「愛」が大好き。
友情空間は多くても2、30人、政治空間まで広げても登場人物は100人いかないくらい。年賀状の枚数と大体同じかな。
一方、貨幣空間はお金を媒介にして誰とでも繋がるからその範囲は無限大。
この広大さに比べて、人生における貨幣空間の価値は極めて小さい。そうだよね。
愛情空間の価値が人生の80パーセントを占めるなら貨幣空間の価値は1パーセント程の比重しかないと言われてる。
だから大きさと価値が逆転してるんだよね、普通。
愛情空間に大きな価値を置いてるその理由も、進化論的に説明できる。
哺乳類は勿論、魚や鳥だって自分の子供は特別扱いするし、例外もいるけど。
家族を犠牲に他人を助ける博愛主義な個体がいても自然淘汰で絶滅しているはず。
人間社会も困っている人を放置して家族の幸せを優先しても誰にも文句は言われない。
同様に友情空間が大事なのも、昔から人間は群れを作って身を守ってきたし群れからの追放は「死」を意味したから。
だから人は仲間はずれにされることに本能的に恐怖を感じる。ホモサピエンス登場の何万年も前からね。
それに対して「貨幣空間」って言うのは農耕と交易が始まってからだから一万数千年の歴史しかない。
だから人は愛情や友情という古くからある人間関係に比べて貨幣を介する繋がりの重要性を正しく理解できていない。
石器時代は愛、言い換えれば生殖、と友情、要は仲間意外に大切なものはなかった、その遺伝子は簡単には変わらない、だからしょうがない。
音楽なんかも愛について歌ったラブソングばっかだけど、でも、世の中にはもっと大事なことがあるぞ、と。
長くなったけど、ここまでは前知識ね。
戦国時代は何かと争ってきたけど、その権力ゲームの目的は集団の中で一番になることと、その集団を異なる集団との争いで一番になること、だよね。
この権力ゲームが行われるフィールドが「政治空間」
それに対してお金儲けゲームの目的は、与えられた条件の中で効率的に貨幣を増やすこと。権力ゲームは勝者総取りだけど、お金儲けゲームは何が何でも一番を目指す必要はないよね。
世界一の金持ちにならなくても、そこそこ裕福な暮らしができればみんなハッピーだからね。
そのゲームのフィールドが「貨幣空間」
勿論、政治空間には愛情や友情だけでなく、嫉妬や憎悪、恋愛から戦争まで色んな人間ドラマがある。
それに対して「貨幣空間」はお金を介したコミュニケーションとだから、すごくフラットなの。
いつも買い物するコンビニの店員に愛情や憎悪を感じる人は普通いないし、ネットの買い物なんかは相手が何者かなんて考えもしない。
この冷淡さゆえに貨幣空間は無限に広がっていける。
戦国の時代劇を見たことあれば分かると思うけど、勝者が正義。汚いこともするけど、ただの嫌なやつでは相手にされない。人を率いるには名誉や品格「人間力」が不可欠さ。
政治空間のもう一つの特徴として、その中で階層構造を持つこと。
カーストって言うと分かりやすいかな、勝者を頂点として階級が生まれるから「分をわきまえる」と言うルールが生まれる。
そんな感じで、権力ゲーム、実力主義の世界はほとんどのプレイヤーが敗者として淘汰されていって割りが悪いゲームなんだけど、貨幣空間のルールって言うのは全く異なるルールで、とってもシンプル。
そして貨幣空間でどのように振る舞えば良いかは科学的に証明されている。
貨幣空間での勝利とは=「ある程度の裕福な暮らし」と定義。
囚人のジレンマって聞いたことあるかな?有名な思考実験。
ここからしか話が始まらないからサクっと説明するけど、
あなたが何かしらの罪、例えば麻薬不法所持で仲間と一緒に逮捕されたとする。
ずっと黙秘していると痺れを切らした検事が次のような提案をした、
①このまま黙秘を続けて仲間が自白したら、罪は全てあなたが負うことになって懲役は10年。仲間は釈放される。
②あなたが自白して仲間が黙秘を続けてたら、罪は仲間が全て追い懲役10年。あなたは釈放。
③お互いが自白したらお互い懲役5年。
そして最後に、
④「お互いに黙秘を続けたら麻薬不法所持で立件できないから、それ以外の罪状で懲役1年がせいぜいだな」って言った。
この条件であなたはどの選択をするべきかな?と言うもの。
そして検事は仲間にも同じ提案をしているとしよう。
上手くいくならベストは②。次に④、お互い黙秘で1年の懲役。但し相手も黙秘してくれる保証はない。
最悪なのは当然①。
最悪な事態を避ける最も確実な方法は、相手のことなど考えずにさっさと自白してしまうこと。
相手がお人好しなら釈放されるし、相手が自白したとて懲役5年で、自分だけ10年も臭い飯を食うよりよっぽどマシ。そうでしょ?
論理的にはそれが完璧に正しい。
でも現実的に考えてみるとさ、相手も合理的に自白を選んだとするとお互い懲役5年になって、お互い「論理的に正しくない選択」黙秘をした場合の懲役1年よりもはるかに重い罪になってしまう。
それって本当に合理的なんだろうか?っていう疑問。
あなたなら、どうするかな?
この囚人のジレンマにはいろんな解決法があるんだけど、
数学的に正しいと証明されているのは「2人とも自白する」と言う「不合理な選択」が最適解ということが分かっている。
私達の周りには、そんな大袈裟でないにしても協力するか裏切るかの二者択一を迫られる場面が結構ある。
一緒にご飯行くor行かないとか?
その時に皆が最適解を選べば、皆が皆を裏切り合う嫌な世の中にしかならない。でもその割には、この世の中は色んなことがそれなりにうまく回ってるように見えるじゃんね?
それは何故だろうか?と言うことで、ある面白い実験が行われた。
囚人のジレンマは一度きりの選択だけど、この選択がゲームみたいに何回も試行できるとしたら、協力する方が得か裏切る方が得かの結果が変わるのではないか、と言う仮説が建てられた。人生は選択の連続だからね。正直ものはバカをみるなんて言われる世の中だけど、最終的に裏切る人が得か協力する人が得かは興味深い話題だよね。
結論から言うと、反復回数がずっと続くならお互いが協力し合うことが最適解となることが分かった。
詳しくは割愛するけど
心理学や社会学、数学なんかの色んな専門家を5人集めて、協力するか裏切るかの選択のあるゲームをしてもらって総当たりで試行回数は24万回。
参加者は様々な作戦で勝負を挑んだ、裏切られても協力し続けるお人好し戦略、裏切ってきた相手には徹底して懲罰を加える道徳的戦略、統計的に相手の意図を推察し、最適な戦略を立てる科学的戦略とかね、結果、この競技を制した戦略は、、、どんな戦略だと思う?
名付けて「しっぺ返し戦略」
どのような作戦かというと①最初は協力する。②それ以降は、相手が前に取った行動を選択する、と言うもの。
とりあえずどんな相手でも最初は信頼する。それに応えて相手が協力してきてくれたら信頼関係を続ける。相手が裏切れば自分も裏切る。一度裏切った相手が反省して協力を申し出れば、即座に相手を信頼して協力する。って感じね。
本当にこんなシンプルな作戦が「最良の付き合い方」なのか?
そんな疑問に答えるために第二回選手権が行われた。熱いね。
二回目の大会は6カ国から62名の専門家が参加したんだけど、みんな第一回の結果を熟知していて、「しっぺ返し戦略」を打ち破るために様々な戦略を用意してきたんだって。本当面白いよね、
例えば、試し屋戦略って言って相手の出方を伺い騙しやすいと判断したら搾取、食えんと判断したら低姿勢になると言う戦略とか、最初に信頼関係を築いて、食い逃げできると判断したら不意に裏切る作戦とかね。
結果を言うと、二回目の大会も強力なライバルを打ち破り「しっぺ返し作戦」は見事第一位。
アクセルロッドっていうカッコいい名前の博士が行った実験なんだけど、彼の考察として、しっぺ返しの強さの秘訣は、その単純さにあると。
複雑な作戦は何をされるか分からないと言う恐怖を相手に与えるから協力をためらわせる。
それに対してしっぺ返し戦略は、自分が協力すれば相手も協力するし裏切れば裏切られることが明らかなので安心して付き合うことができる。
と言うわけさ。
興味深いよね、ちなみに米国人は個人主義、日本人は集団主義というイメージがあるけど、
実験によると日本人の方が3倍くらい強く個人主義ってことが分かったらしいよ。集団の利益に反して裏切っても何も自分に不利益がないという条件下であればね、興味があれば詳しく調べてみて。
さて、ここからまた貨幣空間のお話になってくる。
今はもうどうか分からないけどさ、
お金持ちイコール腹黒い、貧乏人=純粋無垢、みたいなイメージ昔なかった?悪代官が庶民から搾取するようなさ。
だけど実際に比較調査してみると、
お金持ちの方が人を信用して、貧乏人は疑い深いという困った結果が出るらしい。
お金持ち=悪代官モデルって言うのは、富を権力ゲームの結果だと考える。
政治空間では誰かから富を奪うことでしか豊かになれないから、搾取が生じるのはしょうがない。
ところが現実には、政治空間よりも貨幣空間ではるかに大きな富が創造されているの。分かるよね。
空間が違えばルールも違うって話があったけど、貨幣空間と政治空間もルールが異なる。となればそのゲームに熟練した人がお金持ちになるのは当然。
市場の倫理は、顧客に対して「誠実であること」「公平であること」「差別しないこと」を求める。となれば貨幣空間の勝者であるお金持ちとは、こうした美徳を体現した人ということになる。
つまり楽天的で他人を信用して、その一方で嘘を見抜くのが上手くて、情に流されない人ね。人を信用するだけなら詐欺にあっちゃうから嘘を見抜くってのがポイントね。
ここまでをまとめると、
昨今のグローバルな市場経済では、お金持ちは人種や国籍とか政治的な主義主張に関わらず、誰とでも積極的に付き合いビジネスを拡大しようとする。例として孫正義ね
それに対して貧乏人は、狭い村社会から出ようとせず、ビジネスチャンスを逃す。格差社会の底辺にいるのは、社会の犠牲者ではなく、貨幣空間のルールに適応できない人達かもねってお話でした。
少し難しい話が続くけど付いてこれてるかな。
ここからまた話題はガラッと変わるよ。
第三章「他人を支配できるか?」
という話題。
デールカーネギーの人を動かす、とか多くの自己啓発では、他人は変えられないから自分が変わろう、つまり自分のインプットによって相手のアウトプットが変わるって流れ。
そこで「自分を変える」なんて面倒なことしないで、相手を操ることを目的に、意図的に自分のインプットを調整すれば良いのではないか
そんな発想になる人が多いようなんだよね。
例えばセールスでは顧客の財布の紐を緩めて選択を支配して販売額を最大にしたいわけだ。
現代科学では、心の操作が可能だってことを明らかにしている、と。
成功哲学の成功の鍵がここにあるらしい。色々思うところはあるかもしれないけど、ひとまずその主張を参考までに聞いてみよう
洗脳のプロセスには三段階あって、①分離②移行③統合
戦時中とかオウム真理教でよく使われていたらしいんだけど、
簡単に言うと分離で、日常生活から隔離させる。私物も取り上げて名前も呼ばず番号で読んで現実世界との交流を断ち逃げ出す術がないことを思い知らす。
②の移行で自意識や自尊心を破壊して精神を不安定にさせる。断食や断眠、意味不明なお経を何十時間も読ませたりして正常な判断力を奪い取る。
③の移行では宙ぶらりんになった自己を、着地させる。中国兵の捕虜になった米兵は毛沢東の素晴らしさについて母国の母に手紙を送ったり、要は洗脳者に都合のいいことをすると、それまで鬼のようだった尋問官が満面の笑みで誉めてくれると。
それによって洗脳を受けた側は、自分が正しい場所に辿り着いたと知る、洗脳成功、と言う流れらしい。「影響力の武器」を読んだ方は聞いたことがあるよね。
冷戦中のCIAが最も力を入れていたのが、敵のスパイから情報を聞き出す洗脳技法の開発。
マリフアナとかコカインとかLSDとか様々な幻覚作用のある物なんかを用意して、薬を開発しようとしてた。自白剤って言うのかな。
そこで一番効果があったのはLSD。絶対に喋るなってことも簡単に喋っちゃって、尚且つ効果が切れた後に自分が喋ったことも全く覚えていないと。
でも取り扱いが難しいらしくて被験者は全能の神になったつもりで妄想を喋り始めたり一切口が聞けなくなったりして、使いにくいな〜ってなった。
だからLSDを敵の戦場に散布してラリってる間に奇襲をかけようって作戦に変更されて大量にLSDを購入したんだよね。ちなみに開発元はスイスらしい。
それで国で購入したLSDを米国中の研究機関に送って研究した。
数々の色んな荒っぽい実験の挙句、人の心は簡単には変わらないし、一時的に洗脳できてもすぐ脳は戻るってことが明らかになった。さっきの中国で洗脳された米兵も帰国後しばらくしたら戻ったらしい。
だから米国の軍事研究者たちは、人間の本性に反した洗脳は不可能だと結論づけた。ただし、本人が変わることを望んでいれば話は別。
また話題がガラッと変わってくるよ。
少しだけ神とか脳のスピリチュアルな話をしていこう。
生後まもない乳児の前についたてを立てて、その背後にボールを転がす実験があるんだけど、とっても興味深くて。
何のイタズラもせずについたての裏からボールが転がってくると、乳児は何も驚かないし反応もしない。
でも少し細工をしてボールがついたての裏から転がってこなかったり、ついたての裏を通ったらボールが2個に増えたりすると、めちゃくちゃ驚くんだって。
勿論、生まれたばかりで慣性の法則なんか分かるわけ無いし、教育も経験もまだない。
つまりそこに違和感を感じるのは予め脳にインストールされたプログラムであるということさ。
例えば、獲物を追いかける肉食獣は、獲物が岩や木の影に隠れれば先回りして仕留める。姿が見えなくなったからと言って諦めたり、トンチンカンな場所で待ち伏せしてても餓死しちゃう。
日常生活に必要な物理法則は進化の過程で生得的、つまり生まれつき持っていると。あるいは、人は無意識に不規則なものや、さっきみたいにおかしな動きをするものの背後に意思を感じるようになってる。
無生物を生物と間違えるのは良いけど、生物を無生物と認識してしまうのは致命的だからね。進化論的にね。
ところがこの世界はそんなに単純でもなくて。
人は確率的な事象を正しく把握することが非常に苦手だって言われてる。宝くじという割の悪いギャンブルが今だに廃れないようにね。
バタフライ効果って分かるかな、ブラジルで蝶が羽ばたくとテキサスで竜巻が起こるってやつ。
風が吹いたら桶屋が儲かるとかね、小さな影響がどこかで大きな影響になるような感じ。世界はそのように複雑に色んなことが影響しあってる。
何億年先に日食の日付が正確に分かったとしても、明日の天気は正確にわからない。それは星の運動は物理で解析可能だけど、気象はバタフライ効果の働く複雑な現象だから。
この複雑な世界を理解しなくても生きてくのにさほど困らないから脳には生まれつきそんなものインストールされていない。
だからこの複雑な世界の出来事を因果論で解釈して、何者かの意思を読み取ろうとする、だからどこの人間社会にも「神」が普遍的に登場する。という仕組み。
これは人間の本性だから、しょうがないことなんだけど、一度神秘的な体験なんかをするとのめり込みやすい。
超能力者なんてのが一時期流行ってたけどさ、メンタリズムなんかも同じ類だと思うけど、例えば物体移動するとか言って、会場に集まった人から1人指名して「免許証無くしたんじゃない?」って聞くんだよね。
「いやそんなわけ無いよ、いつも財布に入れてんだ」って財布を確認すると入ってなくて、超能力者の胸ポケットから出てきたりする。
これは予めスリを雇っておいて、免許証だけ抜き取って財布を戻しておくだけで成功する。そんな種明かしを引退後にしてるんだよね。
その他にも、参加者を応募で募るからさ、その中からランダムに選んで家に花束を送るらしいんだよね、その時に大事そうな物を盗んでおいて「最近大事なものを無くされたんじゃ無いですか?」って聞いて、突然出してみたり。
そういった神秘的体験に大金をつぎ込むカモのデータベースみたいなもんも界隈では出回っているらしくて。また更に個人情報を当てられたりする。
占いも怖いなって思った。当然宗教にも通ずる。それが1960年代の話でそれから半世紀が過ぎて科学も進歩すればペテンのテクニックも更に進歩している。
CIAの軍事実験は人間の本性に反して人の心を操り続けるドラッグやテクノロジーは存在しないことが明らかになったけど、無意識の力を巧妙に利用すれば人はとてつもなく不合理な選択もする。
立場や権威によって合理的な判断が出来なくなるっていう実験もある。面白いけど割愛。
例えば地下鉄サリンの実行犯は有能な心臓外科医だったけど、本人は良かれと思い、正義として実行したと言われている。
人を操るという話題が続くんだけど「影響力の武器」でも紹介されていた返報性の法則。聞いたことあるかな。恩を受けたらお返ししないと不快って法則ね。募金を募る時に花を一輪無理やり渡すことで、募金をされやすくする。それで莫大な利益を得たって実話がある。
その返報性の原理のキーとなるのが所有権。自分が所有しているものでないと贈与は出来ないからね。
そこで面白いのがチンパンジーにも返報性があるってこと、つまりサルにも所有権の概念があるってことさ。
餌は一番最初に手にした奴の物らしい、ボスザルでさえ、手のひらを上にして、くれとお願いしなくてはならない。人と同じで社会的な動物だから、所有権を無視して餌を奪えば怨みを買って、地位を失ったり群れを追放される。
毛繕いから性行為まで色んなサービスと引き換えに、分け前を求める。岡田斗司夫がYouTubeで紹介していた猿に貨幣を与える実験で証明されているから興味があれば探してみて、世界最古の商売は売春だって。
人も猿も贈与と返報によって社会を生きてるんだけど、そこで交換されるのは良いものばかりではない、いわゆる「復讐」だね。
面白いことにチンパンも、相手の腕に噛みついて怪我させちゃったら、復讐が怖くて胡麻すって毛繕いに行って和解を持ちかけたり、対立がのっぴきならなくなると気前よく餌を配ったり親切になって仲間を増やそうとするらしい。
確かにさ、本能で生きてる人間の子供にあるもんは猿にあっても不思議ではないよね。
この「目には眼を、歯には歯を」っていう掟は世界中のあらゆるところで確認されてる。社会性がない動物でさえね。
例えば吸血コウモリはその名の通り動物の血を吸って生きてるんだけどさ、
中々、動物の血を吸って巣に帰還できる確率って高くないらしいんだよね、でも3日間なにも口にしないと餓死しちゃう。
だから吸血に成功したコウモリは仲間に血を分け与えるんだって、面白いことに昔自分に血をくれたコウモリを覚えているらしいさ。
明日明後日、自分が血にありつける保証もないから、助け合ってるらしい。
そのほうが種が生き残るからなんだろうけど、なんか情があるというか。感情というか人情味というかあいつ嫌な奴だから血あげないとかも考えてる可能性があるわけじゃん。本能なんだろうけど本能らしくないというか。
この辺もうちょっと深掘りしたいと思いました。
だって犬や猫も社会性があると思うけど、恩を感じてたり、お返し出来なくて心地悪いなとか、どう捉えてどう感じているのか、気になるよね
返報性がなくても生きていける環境だったと思うから、そんなものはないんだろうけど。
ともあれ、そんなこんなで人を操る話から少し脱線しちゃったんだけど、
そういうちょっとしたテクニックで人に影響を与えてコントロール出来ますよと。
選択理論心理学を採用している私はちょっと思うところがある話題でした。
第4章いよいよ「幸福になれるか?」って話をしていこう。
もしあなたが不幸なら、その理由は進化心理学が教えてくれる。
もしあなたが幸せなら、その幸せがずっと続くと良いですね〜
私は平成の生まれだけれど、田舎だから不良も多かった。
昭和の不良の生き残りみたいなね。
ガンくれてれば路地裏に連れてくし自分達の縄張りで好き勝手やられたら喧嘩になるしで、善良な一般市民には目もくれないけど、同じ不良にはタイマンを申し込んだり、、
イヌを飼ってる人は分かると思うんだけど
電柱にマーキングして縄張りを誇示したり他のイヌとすれ違えば吠えかかったりしててね、
なんで人間とイヌが同じ行動をするんだろうって疑問に思ったことはないかな?
そこで動物行動学を学ぶうちに、そういった行動は魚にも鳥にも見られるものだったと知るんだよね。
ヤクザもシマを守るし見知らぬヤクザが出入りしてないか巡回もするしもしいれば攻撃もする。シカなんかもそうで喧嘩はコスパが悪いからまずは唸り声で威嚇して実力を計りあったりするんだよね。
ヤクザも無駄な抗争を避けるために入れ墨を入れて主張するしまずは言葉で脅しあう。太刀魚は威嚇もなしに縄張りに入ったら攻撃するらしいけど、基本的に実力行使は最終手段。長い進化の過程でそうなった。
これは、縄張りを守る遺伝子を持たない種が淘汰されていったからで、進化論的に最適な戦力であると。不良も犬も同じだって言うと不良は怒りそうだけどね。
そういったプログラムされた生存戦略というのは様々あって、例えば今残っている多くの動物は近親相姦を避けるようになってる。
人間に最も近い類人猿のボノボも、メスは冒険的で他の群に加わりに出るけどオスは内気な性格で群に残る。自然とそうして近親相姦を避ける。
勿論人間もそう、発達期に一緒に過ごした男女は血縁かどうかに関わらず、性的魅力を感じなくなることが分かってる。
進化論の話になってくるんだけど、人間も含め今残っている種ってのは環境に適応してきた優秀な種だからさ、さっきの不良みたいにいろんな生存戦略があるんだよね。
そこが生物学の面白いところで私が生物学に興味を持った部分でもあるんだけどさ、哲学っぽい話だけど「心とは何か?」という疑問を取り上げよう。
めんどくさい質問だよね、この問いにイギリスの進化心理学者がシンプルに答えを出した。
例えば猿が森の中でボスザルに遭遇したら、どういう行動を取るか瞬時に判断しなくてはならない。挨拶、要は歯を見せて下手に出るか、その場を立ち去るか、答えは言うまでもなくケースバイケースなんだけど、
ボスの機嫌が悪ければ撤退するのが正解だし、そうでなければ自分をしっかりアピールしとくのが有利になるじゃんね。でもそのためにはボスの機嫌を忖度しなくちゃならない。つまり相手の外見、表情から内面を読み解くゲームなんだよね。
進化論的には生存に有利な性質を持った個体がより多くの子孫を残せるじゃん。
表情なんかから相手の内面を解読する能力が生存と生殖に有利とすれば、それに長けた個体が生き残るよね、
そのための効率的な方法は、相手の気持ちを移す鏡を自分の中に持つこと、相手の表情を鏡に映してみるだけで適切な判断を下せる。
それが心の機能であるって進化心理学者の人が言ってた。
ちょい分かりにくい表現だけど、心があるから相手の気持ちが分かる、だから生存戦略的に心を持つ種が生き残った。って感じ。なんとなく分かるかな。
相手の気持ちを知るためのシュミレーション装置で、この機能を持たない個体は仲間と上手に付き合えなかったり期限の悪いボスに近づいて噛みつかれたり生存に不利なんだよね。
ここからは根拠もない感覚的な個人的な意見なんだけど
現代じゃその生存に有利なはずの心から生まれるくだらない倫理で障害者すら生き残れるし、老人は無駄に寿命を伸ばすしで進化論には逆らうことをしてる
人の目を気にしすぎたり、顔色伺いすぎることには多くの人が生きにくさを感じると思うんだよね、
進化論的にはそれが生存戦略なんだろうけど、現代の社会では心を少し鈍感にするくらいが環境に適応した進化だって私は思ったんだ。その方が心身健康で入れると思うけど、そう言った人間しか種を残せない社会ではないし誰でも(劣った遺伝子でも)子孫を残せるからからまたややこしい。
この目まぐるしく進化、いや変化していく時代に適応していかなくちゃね
ともあれ、
ちょっと脱線しちゃったけど、本題に戻ろう
私たち人間も誰かと道ですれ違う時には無意識に相手の顔を見て敵意の有無を確認する。
大抵の日本人は目を伏せて敵意がないことを伝えるしアメリカ人は白い歯を見せるし文化で表現は異なれど伝えるメッセージは私はあなたの敵ではありませんという同じメッセージ。
特に目ね、捕食者は獲物をまず見る、猫もお尻フリフリしながら獲物をよく見るよね、その視線に気づかなきゃ獲物は死ぬ、あるいはその視線は異性からのものかもしれない、その視線に気づかなければ生殖のチャンスを逃すかもしれない。
こうして無意識のうちに相手の視線に敏感になるようにセンサーが発達していったってわけ。
そんな感じで相手の心を日常的に読み取って、自分の心を構成すると。そしてその機能こそが自意識であり「私」である。という哲学的なお話。
心は素晴らしい発明だけど、今の社会はその心が邪魔で気を病む人も多いから、人間何やってんだろうなって度々思います。
ここまで大丈夫かな。
さて、遺伝子の話になるんだけど、
猿に貨幣を与える実験で猿にシャーデンフロイデ(人の不幸は蜜の味)が見られたように、人間も猿も平等を主張する、人間に基本的人権があるように猿も基本的猿権を主張するんだね。
シャーデンフロイデの実験は知ってるかな?
2匹の猿の1匹にキュウリをあげると喜んでウキウキ食べるんだけど、もう片方にバナナをあげるとウキウキでキュウリ食べてた猿がキュウリ投げつけてブチギレるっていう面白い実験ね。
平等を望むのは遺伝子に刻まれた生得的な価値観なのに、何故この社会には格差があるのか。それは格差もまた遺伝子に刻まれた情報だから。
またチンパンジーを例に出すんだけど、
四角いテーブルにチンパンを向かい合わせに座らせて真ん中にリンゴを置く。当然、取り合うんだよね。
負けた方は威嚇はするけど喧嘩にはならない。何故なら猿の世界にも早い者勝ちってルールがあってお互いにそれを認め合ってるから。
何度も繰り返していると、どちらか一方がもう手を出さなくなるらしいさ、
格差が生まれる瞬間ね、体の大きなとか色んな要因から自然と秩序が生まれて一度、上下関係が出来上がると、下のチンパンは上の猿にリンゴを譲るようになる。
幼稚園児も小学生もグループで遊ばせれば自然とリーダーが産まれる。無意識に相手との関係を測って支配したり従ったりの関係性が出来上がるんだよね。
一見対等に見えてもどうしても支配と服従の関係ってのはあるものって言われてる。それはもうしょうがない。遺伝子レベルだから。
猿も人も社会性を持つ動物はヒエラルキーって言って階層の中でしか生きられないから宿命なの。服従しているようで虎視眈々と立場逆転を狙ってたりね、争いがなくならないわけだ。
やっと話の核心に進むんだけど、覚えてるかな?
この章のテーマは幸せになれるか?だったよね。
ここは大事だからよく読んでね。
進化論はダーヴィンが唱えたモンだけど、彼の思想を一言で言うと、
あらゆる生物は遺伝子を後世に伝えるように最適化している。ってこと。
でもさ私たち先進国の日本人、そんなに言うほど子供産まないじゃん。
少子高齢化は昔から問題視されている。戦前は10人兄弟とか珍しくなかったらしいんだけど、、
少子化は先進国に共通の現象で、人々は豊かになると子供を作らなくなる傾向がある。娯楽も増えるしね。つまり遺伝子のプログラムに反しているの。
私たちは進化を辞めてしまったのだろうか!?いやそうじゃないさ。
遺伝子は出来るだけ多くの子孫を残すようデザインされている。でもだからって私達は、たくさんの子供を作ることを目的に生きているわけじゃないじゃん
人によって違うかもしれないけど(いや違わないか)
生きる目的は幸福になること。
だから言い換えれば、私達は幸福になるために生きているけど、幸福なるようにデザインされているわけではないってこと。
確かにって5回くらい思わない?
簡単にまとめると、進化心理学では私達の脳ってやっぱり石器時代に最適化されててさ、
車が生まれスマホが生まれ社会環境の変化は目まぐるしいけど、進化は世代交代でゆっくり起こるもんだから追いついてないわけさ。
愛情だって元々オスとメスの関係を安定させてより多くの子供が育つ環境を作るための進化の仕掛けだったと言える。ところが避妊技術の開発によって愛や快楽の獲得に子供が必要不可欠でなくなった。
人は平等であるべきと思いながらも支配が生得的にプログラムされている。
そして階層社会に生まれながら自由を求める。
人は仕組み的に自由も平等も手に入れることは出来ない。
だから人の不幸は人が人であると言うことに予め組み込まれているってゆう進化心理学の話でした。
納得出来るかな〜沢山の意見が聞きたい。
さて、
覚えているかな
「伽藍を捨ててバザールへ向かえ」この言葉の意味の解説が挫けそうなほど難しいんだけど頑張って説明するから頑張って理解してね。
1969年フィンランドの変わり者のプログラマーが、マックとかウィンドウズみたいなOSを開発した。
そして無料で世界中に開放してたの。話題になって世界中のコンピュータオタクがボランティアでバグの修正や改良などを行って進化しまくってWindowsに匹敵するほどのOSになった。無料だから多くの携帯電話や電子機器に使われて役立ったんだって。
対してマイクロソフトはウィンドウズを独占的に保有することで莫大な富を築いた。例え話でこの話」を出したんだけど、ここでのテーマはもちろんコンピュータじゃなくて幸福な人生について。
世界中のPCオタクの協力でそのフィンランドの変わり者はとんでもない名声を手に入れることになったんだけど、
彼がOSを開発してそれを無料で公開していた理由はシンプルで「それが僕には楽しかったから」
なんかかっこいいよね。
彼の名前はリーナス。そこからリーナスの法則という法則が唱えられてさ、
人生にとって意味のあることは三つあって、それは段階的に進化していく。詳しくは割愛するけど
一段階目は衣食住の確保、二段階目は社会秩序を保つこと、三つ目は楽しむこと。
最低限の衣食住が確保されているPCオタクたちがネットを通じて共同作業を行ったの。お金とか仕事とか関係なくね。
PCオタクたちが何故そんなことに協力したのか、それは暇だったからでも恋人がいないからでもなくて、仲間内での「評価」を獲得するゲームに夢中になっていたの。
PCオタクって言ったけど正しくはハッカーね。ハッカーのコミュニティには色んな掟があるらしいんだけど
要すると自分で一からフロンティアを開拓するよりも、誰かのプロジェクトに乗っかった方が評価を安牌に得られやすいって考えらしい。
評判獲得ゲームが始まって、リーナスは惜しみなく地位や評判を与えることで、みんなをタダで働かせたって流れ。
ちなみにこういう娯楽や趣味とも言えることに給与が発生した途端にモチベが下がるって研究もあるんだよね。
そしてお金は手に入れる額が多くなるほどその価値が下がる、10円しかない時の1万円と10万円持っている時の1万円はありがたみが違うよね。
対して評判は手にしたらもっと欲しくなる、そして時間と共に減っていく。お金と違って、貴重なんだ。まあ承認欲求と言えるよね、
だからリーナスも美味い何億もの儲け話があったけどゲームがつまらなくなると言って断っていたらしい。で、日本人は勤勉なイメージがあるけど昔から会社のことが嫌いですっていうデータが出てくる。
日本の会社の人事制度は上司部下、同僚の評価を獲得しなくては出世できない。とにかくそれが過酷。対してアメリカは、頂点を目指すのも競争を降りるのも本人の自由。
日本の雇用は厳しい解雇規制で制度的に支えられてる。その代償としてどれほど理不尽でも転勤や転属、出向の人事を断ることが出来ない。
ムラ社会的な日本企業では、常に周りの目を気にしながら曖昧な基準で競争し、大きな成果を上げても金銭的な報酬で報われることはない。
過酷なノルマと重圧にひたすら耐えるしかない。社畜化がそもそも日本経済に仕組まれたメカニズム。だから過労死や自殺者も異常に多い。
日本的経営もハッカーのコミュニティも、同じ評判獲得ゲームという同じ原理を持ってる。
じゃあ、なにが違うのか?
非常に前置きが長くなったけど答えはここ。
伽藍って何か分かるかな?
僧侶が修行する世間から隔離された寺とかの意味。
閉鎖的な空間とか村って思えば良い。
世間から隔離された伽藍(会社)の中で行われる日本式ゲームでは、せっかくの評判も外の世界へ広がっていかない。
それに対してバザール(グローバル市場)を舞台としたハッカーたちのゲームでは、評判は国境を超えて流通する通貨のようなもの。バザールってのは市場みたいなとこね。
だからインドの名もないハッカーの元にシリコンバレーの企業からオファーが届いたりする。
高度化した知識社会の専門家なんかは、市場で高い評価を獲得することによって報酬を得るというゲームをしているお金のためじゃなくてそれが楽しいから。
プログラミングに限らず、これから様々な分野で評判獲得ゲームがグローバル化されていくと予想される。仕事はプロジェクト単位になり、クリアすればチームは解散。ひとつの場所に何十年も勤めるなんて想像すら出来なくなる未来が来る。
そうなれば会社や役所のようなムラ社会の評価、肩書とかね、そんなものに誰も関心を持たなくなる。
幸福の新しい可能性を見つけたいのなら、どこまでも広がるバザールへと向かおう。うしろを振り返ってもそこには崩れかけた伽藍しかないのだから。
ででん!!
ということで、長い長い一行目(伽藍を捨ててバザールへ向かえ)の解説の一旦 区切り。
かなり長いけど自分しか読まないかもしれないね〜
さて、続けていくよ
幸福を科学するお話になっていくんだけどさ、
幸福とは何か?って問われたら何て答えるかな?
いろんな人がいろんな定義をしている。
幸福とは旅の目的ではなく、旅の方法である、とかね
主観的なものだからそれぞれ違って当たり前。
科学的な幸福の定義はけっこうシンプルで、
ヒトの感情は進化の過程で自分の遺伝子を子孫に伝えるよう最適化されてきた
↓
幸福や快楽はヒトの感情のひとつ
↓
だとすれば幸福は、個体の生存と繁殖を利するように働いているに違いない。
という流れ。
生存のためには食べ物が必要。食べることに貪欲な個体がよく生き残ったと考えれば、彼らの子孫である私達が食に快感や幸福を覚えるのは当然。
繁殖も同じで、子孫を後世に残すことに成功したのは、異性を獲得する強い衝動を持ち、子供を産み育てた個体だけ。だから人は性や愛を激しく求める。
ところが科学は進歩したよね。
アメリカの貧困地域では飢餓よりも肥満が社会問題になっている。ジャンクフードが安く簡単に手に入るから、簡単に幸福になりたかったらひたすら食べてりゃ良いわけさ。
先進国のような豊かな社会では子育てはコストがかかるから人々は性を繁殖と切り離して、純粋な快楽として楽しむようになった。
性の快楽って原理的には、異性との肉体的な接触ではなく、そこからもたらされる脳内の化学反応だったりする。だとすればリアルな恋人との面倒な関係を通じて快楽に到達するよりも、ファストフードのように便利で後腐れのない関係で到達することが好まれるようになっても不思議ではない。
お金さえ払えばどちらも手に入る時代だからね。
大脳生理学では、大脳の快楽中枢を磁気で刺激すると1000回のオーガズムが同時に襲ってくるレベルの快楽を感じられるらしいんだよね。
猿の実験でも、ボタンを押すとその快楽がやってくるようにしたら餌も食べずに餓死するまで狂ったようにボタンを押し続けたらしい。
近い将来、快楽の全てが科学的に証明されてドーパミンやエンドルフィンのような快楽物質が再現できるようになるはずだと。
でもさ、幸福ってこうした生理的快感の集まりではないじゃん?
麻薬中毒者は色んな快楽を知っているかもしれないけど、だからと言って彼を幸せだと思う人はいないよね。
幸福になるためには快楽のほかに何が必要なのか?
なんだろう?
聞いたことくらいはあるよね、幸福度調査。
それによると、7点満点でアメリカの大富豪もマサイ族も0.4ポイントしか変わらなかった。
幸福感は相対的なものだから、マサイ族がニューヨークに行けば不幸を感じるかもしれないし大富豪がアフリカに行けば幸せを実感するかもしれない。
だから最も不幸なのはロサンゼルスなんかの大都市のホームレス。インドのスラム街のホームレスよりも幸福度が低いことがわかってる。
人がお金にこだわるのは、お金が安心や安全という大切な価値と結びついていて、それが金で買えるから。
日本の財政が破綻して年金がもらえなくなっても宝くじ1億円当たったらどうでも良いじゃん。安心安全を得るためにお金を求めるのは極めて合理的な行動、
でももし宝くじ当たってもその後を調査すると、くじが当たる前よりも不幸になっていることがほとんど。
お金は幸福の必要な条件だけど十分な条件ではない。ってことなんだよね。
マサイ族は貧しいけどそれなりに幸福なのは一人一人が部族の共同体として尊重されている。言い方を変えるとつまり、愛情空間と友情空間に生きているから。
人生にとって大切なもの、友情や愛情の2つは貨幣空間にはない、それがお金が幸福の十分条件ではない理由。
だとしたらさ、
マサイ族と違って、この資本主義社会で生きている私達の世界に幸福なんてものはないのか?
って話になるじゃん。
またグローバルな評価の話になってくるんだけど、
バックパックひとつで世界を旅するような人たちが利用するサイトがあるらしくて、
うちのソファで良ければ使ってよ、みたいな。登録すれば行く世界中、先々で無料で登録している人のところで寝泊まり出来るし、自分もホストとして人を迎え入れるってシステム。
日本人の感覚からしたら、バックパッカーを装った犯罪者だったり、若者を狙う変態だったりする可能性もあるから怖さもあるじゃんね。
何故こんなシステムが大流行しているかって言うと、登録者の評判を利用者が書き込めるようにして、それがプロフィールに表示されるシステムにしたんだって。
メルカリみたいに。
かつ実名も顔写真も出してて良い評価が多ければ安心して泊まりに行けるし、泊まりに来てくれる。
悪い評価が多ければ選ばなきゃ良いからね。
誰もが相手に親切にして高い評価を得ようとするから、ここでも親切獲得ゲームが行われているんだよね。
クレジットカードの登録による身分確認なんかもあるらしくて、2004年の開設以来、何百万件もの利用があったけどトラブルは極めて少ないらしい。
良い評価が多ければ不思議と安心するものね。
まあインターネットの登場によって、今では世界中に交友関係作れるようになったというわけさ。
ただ上記にも出てきた話で「しっぺ返し戦略」が最強って話があったけど、あれは長期的なお付き合いがある場合の話で
一期一会はぼったくりのチャンスではある。短いお付き合いでは不良品も売ってしまえばこっちのもんですが、この辺は割愛します。
ここでまた面白い思考実験的な話なんだけど、
今あなたはネットオークションで詐欺を企んでいる。でもあなたはまだ何の評価も持っていない。このままじゃ高額の商品を入札してくれる人はそうそういない。
詐欺で儲けるためには高い評価をたくさん貰っておかなきゃいけない
もっとも簡単なのは少額の商品をまっとうに商売をして地道に評価を獲得していくこと。そうでしょ
そうして高い評価を得ると高額の商品も安心して買ってもらえるし、同じ商品でも高い商品で落札されるようになる。オークションだから買いたい人が多ければ多いほどね。
良心的な業者と取引できるなら少しくらい余分に払っても良いと思う人も多い。
そして、
いよいよ詐欺を働くには十分な評価が手に入ったとする。高額商品、液晶テレビとかを出品して入金があったとたんに全額引き出してバックれることも出来る。
でも考えて、その頃にはもはやオークション業者としてそれなりの利益を出すことが出来るようになってると思うさ。
こうして二つの選択肢が生まれる。
予定通り詐欺を行うハイリスクハイリターン戦略
もうひとつは、ここまで得た高い信用度を利用して安定したビジネスを続けるローリスクローリターン戦略
ほとんどの人は後者を選ぶと思う、私も概ねそっち
人の心理は損失が生じると挽回しようとしてハイリスクを選ぶ
けど収益を得ている局面では保守的になりローリスクを好む傾向がある。
でもそれ以上にさ、このまま商売を続けて高い評価を獲得し続ければ、より大掛かりな詐欺を働くことが出来るわけ、液晶テレビなんかよりもっと大きなね。
気付いたかな、これって終わりがないの
次の機会もふたつの選択で悩んで、正直を演じることを選ぶはず。
このようにして悪意のある人間は悪意を持ったまま一生を終えることになる。
ネットオークションがちょっと特殊で
ネガティヴ評価は多くなったらサッサと退会して再登録すればリセットされるけど、ポジティブ評価ってそうはいかないからさ、ポジティブ評価の価値が高いってわけ。
自由で効率的な評判市場では、誰もが高い評価を目指して善意の人を演じ、その結果、善意の人しかいなくなってしまう、良いか悪いかはともかくね。
好きか嫌いかはともかく、間違いなくこの社会は評判社会。
日本を覆う閉塞感の正体もここにある。
さっきの例の通りネットオークションではポジティブ評価で詐欺や犯罪を防いでる。
参加も撤退も自由なネットオークションのようなバザールではネガティヴ評価は役に立たない。
ところが、退出の許されない閉じられた空間(これは伽藍のことだね)は、ネガティヴ評価が極めて大きな効果を発揮する。
いちど悪評を流されるとたちまち広がるよね。
だったらその参加者はポジティブな評価を獲得するよりもネガティヴな評価を避けて、相手に悪評を押し付けることに力を注ぐようになる。
学校や会社とかがその代表例。
いろんな噂が流れたりするけど、だいたいがネガティヴなもの。
これはSNSにも現れていて
アメリカのAmazonやFacebookは顔写真に実名登録が主流なのに対して、日本はmixiとか2ちゃんねるとか匿名が主流。
この違いは文化や教育、国民性だけの話じゃなくて、情報の流通する場によって態度を使い分けてるだけ。
勿論アメリカでも匿名のいじめが問題になってるし、日本でもレストランとか普通にポジティブな評価が行われているからね。
バザールではネガティヴな評価を恐れる理由はないって話があったけどさ、不都合な評価をされたらさっさと自分を高く評価してくれる場所に移っていけば良いだけだから、バザールでは実名かつポジティブ評価を競うのがもっとも合理的な戦略になる。
一方、学校や会社のような伽藍では、いちど入ったら中々辞められないんだから、そこでの最適戦略は匿名性の鎧でネガティヴ評価を避け、相手に悪評を押し付ける。
だから多くの人は必要以上に他人の目を気にして空気を読んで周囲に合わせようとする。
大衆は噂が好きだし一度嫌われたり、悪い噂が広まるともうそのキャラがなかなか抜けないと思うからね。
ネットが進歩してネガティヴ評価はがん細胞のように増殖するようになって伽藍をおぞましい世界にした。
だから私達は、伽藍を捨ててバザールに向かわなくてはならない。
理解できるかな?
Facebookやインスタ、ツイッターではフォロワーの数で評価が決まる。尊敬されるって言うのかな。
有名人じゃ無条件でフォロワーが増えるけど、無名でも面白かったりセンスが良ければ内容次第で評価を得られる。
セレブのパーティもクルーザーやおもてなしの質なんかで評価を得ることに大金を注ぎ込むし、さっきのハッカーもSNSも評判獲得ゲームという同じゲームをしてる。
何故かと言うと、他者の評価、承認欲求とも言えると思うんだけど、そこに幸福があるから。
幸福度調査の話でも出てきたけど、評判ゲームにも序列はなくて、フリーな情報空間では誰でもゲームに参加できる。そして大富豪だからってより幸せになれるわけでもない。
誰からの評価を幸福と感じるかは人それぞれ
社交界で注目を浴びたい人もいれば、限られた友人や趣味の世界の友人がいれば幸せな人もいるじゃん。
愛情空間、友情空間の構成も勿論一人一人異なってる、遺伝子や子供時代の環境で性格も決まるっていう話だったよね、覚えてるかな。
ここで議論が最初に戻ってきた。
思い出しながらよく聞いててね。今までのまとめになるよ
高度化したこの資本主義社会では、論理数学的知能や言語的知能など一部の能力が発達した人だけが成功できる。こうした知能は遺伝的で意識的に開発することは出来ない。
すなわち、やっても出来ない。
ところがその一方で、金銭的に成功したからと言って幸福になれるとは限らない。
ヒトの遺伝子は金銭の多さで幸福度が決まるようにプログラムされているわけではないから。
人が幸福を感じるのは、愛情空間や友情空間でみんなから認知されたとき。
自由で効率的な情報社会の到来、要はネットがこれだけ進歩した今は、すべての人に自分の得意分野で評判を獲得する可能性を開いた。
つまり幸福への近道は、金銭的な報酬はある程度気にせずに、好きなことをやってみんなから評価してもらうこと。
好きなことで大金を稼げるのはビジネス能力に恵まれたごく一部の人達だけ。不公平だけど仕方ないこと。
能力があろうが、なかろうが、誰でも好きなことで評判は獲得することが出来る。だから必要なのは、その評判を収入に繋げるちょっとした工夫である。
そんなところで
「伽藍を捨ててバザールへ向かえ」の説明は終わる。
どう活かすかは貴方次第。
さて次はいよいよ「恐竜の尻尾の中に頭を探せ。」
結論から書くと、、、
機械音痴で図の載っけ方が分からないので調べてください。泣
人気
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縦軸が人気、横軸が商品数。
ショートヘッドにロングテールっていう形。
iTunesのような音楽配信サービスでは、ごく少数のヒット曲に人気の大半が集中している。
このごく一部が恐竜の頭に例えてショートヘッド
それに対して、尻尾の方は人気のない曲がずらりと並んでる。テールはすごい長くてiTunesでダウンロード出来るのは2014年時点で4300万曲。
これまでのレコード店は品揃えに物理的な限界があったからショートヘッドで商売するしかなかった。そりゃそうだよね。
上位200タイトルで販売数の90%を占めてる。
無数にあるロングテールの作品はこの世に存在しないのと同じだった。
ところがここも進歩したよね
ハードディスクの記憶容量が飛躍的に増大したことで、データとして在庫を無料で保管出来るようになった。
携帯も定額制だの光回線だのの普及で利用者はコストを気にせず音楽をダウンロード出来るようになった。
ショートヘッドの曲ばかり聴いていたユーザーが、たまには別の曲にトライしてみよ〜みたいな感じで、テールの曲にもちっとっつファンがついてニッチな市場から利益が生まれ始める。
だから商品を売れ筋に絞り込むのではなく、テールを伸ばせるだけ伸ばすことが収益を最大化することが分かってる。
このようにITの技術が進歩していろんな業界を一変させたんだけど、気になるのは、それが私達の人生にどのように関わるかじゃん?
面白い例えをしてみる、
雪の結晶を顕微鏡で観察すると、結晶の一部がもとの結晶と同じように複雑な形をしているの、全体と部分が同じような形になっている図形をフラクタルって言うの。ブロッコリーみたいにね。
ロングテールもフラクタルなの。
どういうことかって言うとまた音楽で例えちゃうんだけどさ、
ショートヘッドがマイケルジャクソンとかジャスティンビーバーとかだとして、それ以外がただのごった煮かって言うとそんなこともないじゃん、
いろんなジャンルで構成されていて、
ラップとか、私の好みなクラシックとかさ、熱狂的なファンがいるロックだとか、こうしたジャンル分けって無限にあるからさ、無限のロングテールを持つ市場ではいずれ誰もがショートヘッドになる。
世界の音楽全体で見ると、ロングテールにいる日本の演歌も、日本の高齢者の世界ではショートヘッドになるようなイメージ。
インターネットもYahoo!とかGoogleとかが注目を集める一方で、ほぼアクセスのないようなサイトが無数にある。
小説家でもデザイナーでも私の仕事でもあるトレーナーでも保険代理店でも
才能と幸運に恵まれたごく一部がマーケットの人気を独り占めにしちゃう。いわゆる負け組、勝ち組みたいなね。
でもさっきのロングテールのフラクタル構造に注目すると、負け組に一括りにされるテールの中にも勝ち組であるショートヘッドがいて、さらにそのテールにも勝ち組がいて、って構造さ。
ロングテールの世界では、構造上、サブジャンルがメインジャンルを超える人気を集めることはない。
でも勝ち組、負け組ってわけでもない、演歌はポップより人気がないけど、ポップの方が音楽的に優れてるってことにはならないし、演歌のファンはポップより演歌のが好きな理由があると思うんだ。
異なるジャンルで優劣を争ってもステージが違うから意味がなくて、だから大事なのはマイケルジャクソンを目指すことではなくて(遺伝的に無理だから)自分の好きなジャンルでショートヘッドになることなのよ。
理解できるかな
良い選手だったけど、良い指導者ではなかった、という話はよくあるしね。
グループの中で自然と自分の目立てる位置を探す性質と似た話かも。
話は戻るけど、音楽、人とか食べ物とかでも同じだと思うんだけど、特定のものに惹かれるのに理由なんかなくて無意識に惹かれるもんじゃん。
そこには同じように引き寄せられた別の誰かが絶対にいる。
遺伝子から組み立てられた趣味嗜好のバリエーションには限りがあるからね。
どんなに奇妙奇天烈なものでも同じ好みの人が一定数いるはず。
マニアのコミュニティの中で、また評判を頼りに好みの音楽にたどり着ける。
音楽だけでなくマンガ、性癖、ファッションとかあらゆる市場にニッチがある。死して同じ感覚を共有する人たちが集まってる。
君は彼らに引き寄せられるし、引き寄せる魅力を持っている、だからそれをビジネス化すれば好きを仕事に出来る。
規模が小さくてまともな会社は相手にしてくれないかもしれないけど、流通コストがゼロになったフリー経済なら大丈夫。
アメリカの有名大学でMBAを取得した人たちが最新のマーケティング理論を引っさげて企業に挑戦してもほとんど失敗するらしい。それは彼らが儲かることをやろうとして好きなことをしないからて言われてる。
好きを仕事にすれば、必ずマーケットはあるんだから空振りはしないと。社会的な成功をするかどうかはともかくね。少なくとも塁に出てチャレンジはし続けられる。
バイクが好きな人がバイク便を初めて数年で体を壊して失敗した例もあるんだけど、その理由は、好きをビジネスにする理由をバイク便会社に依存してたから。
バイク便の会社はライダーを搾取しているわけではないけど、彼らの幸福のために存在しているわけではないから。
好きを仕事にするから、ビジネスモデル(収益化の仕組み)を自分で作らなくちゃならんさ。
Googleやアップルがそのためのインフラを用意してくれてるぞと、それを活用して幸福の新しい可能性を見つけられるかどうかは君次第だぞと、いうことでした。
伽藍を捨ててバザールに向かえば、自分に相応しいニッチ(生態的な地位のこと)があるに違いないっていうお話でした。
あとがき
この社会は言語的知能とか論理数学的知能が優れた人がなれる職業が高収入の職業を独占している。
だからみんなそれに適応しようと自己啓発系で、”自分”を変えようとする。
でも変わらない。
だったら自分に適した環境を探すしかない。これが「伽藍を捨ててバザールに向かえ、恐竜の頭の中に尻尾を探せ」で、これ以外に合理的な人生設計の戦略は原理的に存在しない、と言い切れる。
人生は短い
楽しんでいこう
おわり〜