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古本市の歩き方

 地元の古本市に行くことになった。
 古本市は地元の古本屋だけではなく、県外の古本屋も参加する大型規模。会場に着いたなりパートナーと別れてまずは一周。古本屋ごとに一区画与えられており、その区画を巡るように簡易な本棚やコンテナを組みながら一つの店が島を形成されている。「この本、後で買おう」とあたりをつけつつ、本棚の海を漂った。楽しい。

 結構な人が来ており、お互い本を見ながら漂っているのだから、気を抜くとぶつかる。ぶつかって「あ、ごめんなさい」と声をかけても集中していて聞こえていないようで、また別の本の島に向かっていったり。他の人から声かけられても、多分私も聞こえていないかもしれない。

 古本市は魅惑の宝庫だが、だからこそ節制が必要だ。現段階で私には10冊の積ん読があり、下手に増やすのは精神的によくない気がしたのだ。ちなみに10冊というのは文芸本のみである。コミックスは別腹。「読みたい」と思って手に入れた本だからみんな「読んで読んで」と絶えず私を呼んでいる。その声が増えるのは、自分にとっても負担になる気がするのだ、気が弱いのかもしれないが。

 「この本、後で買おう」とあたりをつけた本がとりあえず3冊になったところで一周目終了。二周目で購入を検討していく。
 バーゲンなど古本以外でも起こりうる「あるある」が、気に入った後にもう一度探そうと思ったときにはなくなっている、だ。今回の古本サバイバルでも起こった。二周目しているときに「あれ、この島のこの本棚に、この本があったはず…」と執念深く島全体を探してみたが、時すでに遅し。購入を検討していた3冊のうち、2冊は買われた後だった。せめて別の飼い主(買い主)の元で元気にやっていけるよう願うしかない。しかし、デパートや服屋さんのバーゲンでもこんなことはしょっちゅうだから、何度もこんな後悔しているというのに。「見たら買え」「検討している段階でもとりあえずカゴに入れておく」は鉄則なのだ。

 目星をつけていた本が買われた、といっても会場は広大。本も無尽蔵と思われるほど並んでいるため、ほしいと思わせてくれる本には事欠かなかった。だが、予算と愛人(現在の積ん読)の関係上、欲しい本すべてを買うわけにもいかなかった。

 「どうしようかな~」と思っていると、気になる本発見。手に取り一度思案したが、後から後悔するかもしれないが今の私には時期尚早、と思って結局棚に戻した。その後、別の本棚を眺めていてもやっぱりあの本が気になる。「これはもう両思いなんだから、買おう」と心に決めて、島に戻ると、おじさんがくしゃみしたり鼻を触りながら、本をなでなで。おそらく本の背表紙からタイトルを確認したいのだろう。当該私と両思いになった(と私が一方的に思い込んでいる)本もなでなでの刑に処されてしまったのを目撃。一気に冷めた。古本は人の手に触れられる程度が新品より大きいというのは理解できるが、コロナを経てやや潔癖になった私としては、自分の鼻を触りながら本をなでなでという現場を見てしまった以上はもう買えないのである。「この本はやはり時期尚早だったのだ」と潔く諦めることにした。

 本日の釣果は新刊が1冊と古本が2冊であった。古本市とは言いながら、新刊を出す本屋も出店しており、その中にテレビで特集が組まれていた個人書店の本がいくつか並んでいたのである。番組を見たときは「本を出す、本を作る」ということのハードルが近年低くなってきているのだな、と関心していたが、同時にその本も気になっていたため応援も兼ねて購入してみた。読むのが今でも楽しみである。
 家に帰ると、積ん読の本たちが「読んで!読んで!」と私を誘惑してくる。今日はその仲間を増やしてきた。普段はその誘惑と戦うのが至難の業、苦行であるが、買ってきた当日はやっぱり読む楽しみが勝つのである。


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