佑樹の物語〜プロローグ〜
こんばんは佑樹です。
しばらく投稿から遠ざかっており申し訳ございませんでした。
今回、新たな道に踏み出しましたので、皆様にご報告とお知らせを文章で伝えられればと思います。
僕が、noteを使って初めてした投稿は「どんな人間でありたいか」でした。
社会人になって4年が過ぎましたが、その中で痛いほど経験したことがあります。
それは、「理想」を生きようと本気で自己表現しているサラリーマンはほんの一握りだということです。
みんな、何かを我慢し、何かに耐えて、本当は選びたくない多数派を選択しながら生きている。素直になる勇気がでないから現状維持を選び、波風を立たせないように生活する。
そしていつの日か、他人の夢を笑ってしまうような嫌な人間になっていることに気付く。
僕は、そんな自分が耐えられなかった。
自分が正しいと思うことを貫けるような人間でありたかった。それが、僕のnoteの始まりでした。
でも、どれだけ偉そうなことを言い放っても、いざ飛び出そうとした時に、自分が平凡なんだと思い知らされました。
今!今!今!と心が何度叫んでも、1歩目をどうしても踏み出せない。先のことが頭をよぎって足が竦んで勇気がでない。
僕も所詮、そんな人間でした。
多数派に迎合し、現状維持のまま今の安全を守りながら過ごそうとする自分が嫌いな人達と、蓋を開ければなにも変わらなかった。
こうありたいとか、夢とか、理想とか、綺麗なものを並べて、自分は特別だと思い込んでいた。
自分は、少数派の人間だと言い聞かせることでちっぽけなプライドと承認欲求を満たしたかったのだと思います。
でも、現実はごくごく、どこにでもいる僕が嫌いなサラリーマンでした。
周りにどれだけ、自分を強く見せようとしても、いざという時に否が応でも突きつけられる。
お前にそんな勇気はない、黙ってデクスに座って大人しく座っていろと。
認めるしかありませんでした。
営業成績が良くても、部下の前で強がっても、本当の僕は、自分の弱さに気付けていない、ましてや曝け出せもしない一番弱い人間だと。
でも絶対に、自分自身が幸せになることだけは諦めたくなかった。
たとえどれほど心が弱くても、自分が誇れる自分でありたかった。本音を押さえ込み、心に蓋をする生き方を選びたくないと叫んでいるもう一人の自分に、ただただ認めて欲しかった。
そうしなければ、いつの日か、僕の心は折れて、夢に向かって走っている人を見て後ろ指を刺してしまうような最も嫌いな人間になってしまうと。
この弱さを乗り越えるためには、1歩目を踏み出すには、誰にも依存せずに生きていく「自信」が足りないというのが僕が出した答えでした。
そこから僕は「経営」を学ぶことにしました。
・どういう仕組みで「お金」が動いているのか。
・購入者は、どんな理由でモノを買うのか。
・どんな伝え方をすればモノが売れるのか。
僕なりにインプットとアウトプットをひたすら繰り返し考えてきました。
この動きのおかげで、営業の成績が次第に良くなり、ランキングにも載るようになり、昇格もでき事はポジティブな方向に進んで行きました。
今ではこう考えてます。
サラリーマンは、「経営の実験場」だと。
新しいアイデアが浮かべばすぐに試す。
営業も広告もマーケティングもマネジメントも全てが、とりあえず実験してみるの繰り返しで、とにかくがむしゃらにトライアンドエラーを重ねてきました。気付けば、1000社以上に関わり1億円以上の売上数字ができていました。
夢中で実験を繰り返し、不意に後ろを振り返った時に、意外と遠くまで来ていたことが少し嬉しかった。
でも、また新たな壁が訪れました。
そうやって少しづつ「自信」がついてきてやっと踏み出せると思った時、「まだ踏み出せない」自分がいたのです。
自信がつけば1歩目を踏み出せると思ってた。
でも、どうやらそれも甘かったみたいです。
僕には、「踏み出して何がしたい」の明確な答えがなかったんです。
そんなもん後出しでいいと、自信があるなら突っ込めよと、沢山周りの経営者さんに言われました。つくづく平凡で大したことない男だなと毎度痛いほど痛感させられます。頭では理解できるけれど、どうしても足が動かない。「踏み出さなくていい理由」を自信がついてもなお、無意識に探そうとしていました。
どの口が偉そうにイキがってどんな人間でありたいとか、夢とか語ってんだという話しです。
僕が、世界で一番薄っぺらい人間だと思い知らされます。
そんな中、よくTikTokなどで偉人や起業家の名言を見たりして気休めの勇気をもらってました。(その行動自体が大したことないなと思わせる証明ですが)
その時に「登りたい山を見つけろ」と孫正義の言葉がありました。大谷翔平も「辛い時にそれでも頑張ろうと思えるものがあるだけでとても幸せ。僕にとってそれが野球でした。」と発言してました。
情けない話しですが、どうしても形にこだわろうとしている自分を殺せなかったので、探すことにしました。「僕自身が登りたい山」を。
「自信」を身に付けて、「踏み出す理由」も見つけ出して、自分自身を完全論破することができれば、もう動がざるを得ないと。
ここから僕の地獄が始まりました。
僕が山を見つける方法として選んだのは、「自分との対話」でした。
「何が好きで、何が嫌いで」をただただ自問自答し続けることで自分に合った山を探そうと考えました。参考までに僕の実際のメモを添付しておきますので自問自答している姿を見てください。
こんな感じで、ご飯食べている時もお風呂に入っている時も散歩している時もデートしている時も夜寝ている時も、ただひたすら思い付いた過去の感情やその場のアイデアを書きまくりました。
気づけばメモの数は2万を超えてました。
よくそんなにも書くことがあったと思うのですが、おかげで少しづつ、佑樹という人物が、どんな趣味趣向を持っているのかが見えてきた気がしました。例えば、同じようなメモ書きが増えたり、自分が無意識に熱中できていることに気付けたり、怒りのスイッチがどこにあるのかに気付けたりと、自分の輪郭が少しづつクリアになって行きました。
その結果、わかったことを3つご紹介致します。
①「心」が一番大事だと考えていること
②自分の言葉で表現することが好きなこと
③感情を解析することが好きなこと
びっくりするでしょう。
2万回も自己分析を繰り返しても、辿り着く答えは、こんなもんでした。
世の中には、魔法も特効薬も存在しない。
地味で本当に小さい1歩を積み重ねていくことでしか、ゴールに辿り着く道はないと、僕は、知識ではなく体験で体に理解させることができました。
ここまでいけば、あとは手段の話しです。
名前のある事業にするために、誰に、何を、どのように与えるのかを形作っていかなくてはなりません。
その時に私は、先ほど挙げた3つの自分の特性に優先順位をつけて、No.1に該当するものを基準に選ぼうと思いました。
私にとってそれは、(「心」が一番大事だと考えていること。)です。
なんでこれが一番強い想いだったのかの理由は、また別の時にお話しします。
心に嘘を付き続ければ、夢に真っ直ぐ生きている人を蔑むようになる。
心が壊れれば、最終的に命さえも諦めてしまうことがある。
生まれたアイデンティティも、残っている人生の時間も、簡単に捨てようと思えてしまう状態は、僕にとって何よりも許せないことでした。
だから、僕と関わる人達には、こう伝えていきたい「心を何よりも大事にして生きろ」と。他人の批判なんてどうでもいい。自分が正しいと思ったことを、やりたいと思ったことを、変えたいと思ったことを、その純度の高い自分のコンパスに従って生きてほしいと願っています。
自分のコンパスに従っている人達を、心から応援したい。
それが、僕が興す事業の形です。
自分の理想に挑戦し、例えそれがどんなに深い暗闇であっても、光に出逢うことを信じて突き進む。そんな人達の力になりたい。僕の全てをかけて。
僕は、営業畑の人間です。
「売ること」が、僕の仕事です。
創作に全てをかけて打ち込んでいる人がいるなら、それを世の中に届けることに僕は全てをかけようと決めました。
クリエイター専門の営業代行人をやっています。
自分のアイデアを届けたい、それで生活できるようになりたい。
ほんの少しでもそう思うなら、一度ご相談ください。
頑張っているあなたの背中が、誰かにとっての勇気に変わるように。
僕の持てる全てでお手伝いさせていただきます。
以上です。
長々とお聞きいただき、誠にありがとうございました。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。