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【アラサー上京物語。#114】カメラについて。
上京するタイミングで、手放したものは結構あるのですが、
その中の一つで印象深いのが「カメラ」です。
社会人になってからすぐ買ったミラーレス一眼で、コンパクトで持ち歩けるため旅行にいつも一緒に連れて行っていました。
撮れば撮るほど使いこなせるようになり、鮮やかに撮れるのでお気に入りでした。
上京する一年くらい前でしょうか、もう、ここから抜け出したい、どうしても新しい世界にチャレンジしたい。
もう、居ても立っても居られない。
そんなムードが自分の中に漂い始めていた時、ひとり旅で訪れたとある神社の鳥居をくぐった瞬間に手から滑り落ち、そのカメラは呆気なく壊れてしまったのです。
あんな風にカメラを落としたのは10年の中で初めてで、エラー画面を見ながらかなり動揺して一時間ほど境内で立ち尽くしてしまいました。
旅行の計画が少し狂うほどです。
一時間も立ち尽くしていたなんて思わないくらい、ショックでした。
また旅行も途中ですし、撮りたい景色があったからです。
次第に、鳥居をくぐった瞬間ということもあって「これは何かのメッセージだ」
と思うようになりました。
悲しいけれども、不思議と、少し軽やかになったのです。
その頃の私は、このカメラが好きだったけど、沢山歩く旅行で持ち歩くのには少し重くて、撮らなければいけないという強迫観念に迫られている旅行が窮屈に感じていたのです。
旅行の中でも常に、撮ることに気力や集中が持って行かれていました。
iPhoneもだいぶ綺麗に撮れるようになってきたし、もう一眼レフを手放してもいい時期なんじゃないか。
もっと身軽に旅をしていいんじゃないか。
動画にシフトしてもいいんじゃないか。
不思議と、その時の自分の「変化したい」心境とも重なっていて、壊れたことが、手放せることが少し嬉しいような気もしたのです。
とはいえ思い入れもあるので、家に持ち帰ってもそのままにしていました。
それでもなぜか修理に出すことをしなかったのです。
半年から一年以上経った頃でしょうか。
私はいつの間にか上京へ動き出していました。
着々と荷物を減らす作業をしているなかで、棚の奥にしまっていたこのカメラを見つけました。
忘れてはなかったんですよ、でも、なんとなく、なぜだか見たくない気持ちがありました。
修理に出す、修理の相談をする、ことも考えず、えいやですぐメルカリにジャンク品として出品しました。
まぁいつものように永遠と売れないだろうと。
。。。
すると、一瞬で売れてしまいました。
拍子抜けすると共に、嬉しかったです。
なぜか、もっと身軽に生きていいよ、あなたの道を応援するよ、
そんな風に言われている気もしました。
車と同じで、使い慣れていつも一緒に歩いていたカメラには愛着が湧くんですね。
出かけた先で一緒にいる思い出が詰まっていました。
でも、それをもう手放したかったんですね。その時の私は。
それから一年経って、東京にも一年住んで。
今、やっぱりあのカメラで歩きたいのです。
普通にあのスペックのカメラが買えないくらい高くなっているというのもありますが。笑
あのカメラを持って、散歩したいなぁと。
乱暴な別れをしてしまって申し訳なかったなとも。
ただ、買ってからは10年も経ってますし、きっと改めてカメラ市場を見てみたらより今の自分にフィットするものが見つかるかもしれないですよね。
それこそVlogカメラとかにチャレンジしてみてもいいわけですし。
ミラーレス戦国時代だった当時と変わって今はどうやってカメラを探せばいいのだろう…とりあえず、カメラ屋さんでも行ってみようか。
それとも、憧れのライカを持てるように頑張ってみようか。