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対談は人なり・『向田邦子全対談』(文春文庫、1985年)

『向田邦子全対談』(文春文庫)を読んでいたら、私が大学2年の時に習った英語の先生が向田邦子の対談相手の1人として登場していた。
その先生はとても有名な先生で、マスコミにもしばしば登場する有名人であった。授業はとても面白く、その先生の雑談は、聞いていても飽きることがない。今から30年以上も前の話である。
ところが向田邦子との対談を読んで、私はショックを受けた。
対談は、その先生から口火が切られている。
「今、輝いている女優さん、というと、名前を挙げていきましょうか。思いつくままに」
そしてその先生は、次々と時の女優の名前をあげていった。
どうもその先生は、「女優」というテーマで向田邦子とお話をしたかったらしい。
それに対して向田邦子は、あまりそのテーマに乗り気ではなさそうである。それもそのはずである。ドラマの脚本家が、「この女優は輝いている」とか「この女優はそれほどでもない」などとうっかり評価しようものなら、その先の仕事に支障をきたすからである。だから、脚本家の口から、特定の女優についての評価をあれこれすることは、慎むべきものなのである。
だがその先生は、そんなことはお構いなしに、どんどんと女優の名前を出していっては、評価をしていく。そればかりでなく、自分がその女優をよく知っているということを、自慢げに話すのである。
なんというデリカシーのない人なんだろう。これでは単に、自分がいかに女優のことを知っているかということを自慢しているにすぎない。読んでいてとても不愉快になってきた。
そういえば、大学2年の時に受けた授業の時も、「昨日も(井上)陽水と麻雀をしたんだけれども…」とか、自分が芸能人と親しいことをさりげなく自慢していたことを思い出した。
当時は、すげえなあと授業を聞きながら思っていたが、いま冷静に考えてみると、たんに自慢したかったから話していたにすぎないのではないか、と思えてきた。
というわけで、その先生に対する私の評価が正反対なものになっていった。
他の人との対談を読むと、その違いが際だつ。他の対談では、こんなえげつないテーマで話してはいないからである。もっぱら食べ物の話とか、お酒の話とか、他愛もない話がほとんどである。だが、だからこそ面白い。それこそが、対談の真骨頂なのである。
とりわけ、倉本聰さんとの対談は秀逸で、倉本さんが最初に、
「今日は弁当箱と履物の話をしたいんだけど、弁当箱について、ちょっと言いたいでしょう」
と話をふると、向田邦子は、
「言いたい、言いたい。(笑)」
と、その話に飛びつく。このあたりの関係性がすごくいい。
水上勉との食べ物をめぐる対談や、吉行淳之介との数字をめぐる対談も、読んでいて心地よい。
まさに「対談は人なり」である。

「対談本」はとくに好んで読むわけではないのだけれど、ひとりが何人もの人と対談していると、それが編集者による編集の手が加わっていたとしても、その人の「人となり」の違いが際立つ。そのことを想像しながら読むと、「対談本」の面白さがわかるようになってきた。

これからは「対談は人なり」という対談本のコーナーを設けようと思う。


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