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いつか観た映画・大林宣彦監督『金田一耕助の冒険』(1979年、東映)

先日、BS松竹東急で大林宣彦監督の映画『金田一耕助の冒険』が放送されていて、とても感慨深かった。まずこの映画は、ほとんどテレビ放映されたことはないのではなかろうか。BSとはいえ、この映画が放送されたことをまず喜びたい。
10代の頃から、大林映画のファンであり金田一映画のファンであった私にとって、大林宣彦×金田一耕助は夢の顔合わせである。
ただ、純粋な金田一映画ファンからしたら、この映画は噴飯物なのではないだろうか。なにしろ、金田一映画の特徴である「まがまがしさ」とは無縁の映画だし、とにかくふざけている。これまでの金田一映画(あるいはドラマ)にツッコミを入れる「メタ金田一映画」であり、ストーリーや伏線などおかまいなしの徹底した「パロディー映画」であり、それを毎日放送の横溝正史シリーズで金田一耕助役をつとめて大当たりした古谷一行が演じているというのだから、まことに可笑しいことこの上ない。私に言わせれば、これは日本映画における「悪ふざけ映画」の傑作である。
原作と映像作品の関係について神経をとがらせている昨今の状況からすれば、いまではこんな映画は絶対に作られない。「不適切にもほどがある」からである。しかし映画の中には、原作者の横溝正史さんと製作者の角川春樹さんが本人役で登場し、絶妙のやりとりをしてみせる。その場面がコントのようにあまりにも可笑しくて、お二人の懐の深さを実感する。

「金田一耕助は、なぜ全員が殺されてから謎解きをはじめるのだろう」というのは、口に出さないだけで金田一ファンが誰しも思っていることだと思われるが、この映画の中ではそのツッコミを躊躇なくぶちまける。そういう意味で「メタ金田一映画」としてこの映画を観なければいけないのである。
そして、映画の冒頭から最後まで、パロディーの連続である。ひとくちにパロディーといってもさまざまで、金田一映画のパロディーはもちろんのこと、大林監督のそれまでの映画作品のセルフパロディーもあれば、それ以外の有名な日本映画のパロディーもある。たとえばある場面で、三船敏郎が金田一耕助を演じ、等々力警部を三橋達也が演じる架空の金田一映画が劇中映画として流れるが、これは何の映画のパロディーだかわかるよね。
映画だけではない。CMのパロディーも無数にある。大林監督は商業映画にデビューする前、CMのディレクターをつとめていて、無数のCM作品を作っていた。CMのパロディーを多用したことはそのことと関係していると思う。
10代の頃はテレビっ子だったので、このCMのパロディーもほとんどわかる。たとえば映画の中に、金田一耕助が道を歩いていると、風で帽子が飛んでしまうのだが、その帽子を、たまたますれ違った子どもを連れたお父さんがキャッチして、金田一耕助に帽子を渡す、という何の変哲もないシーンがあるのだが、CMマニアにはこのシーンが何のCMのパロディーだかはすぐにわかるはずだ。ということは、CMパロディーのためにあえて不必要な場面を入れていることもあるのだと気づく。しかし「元ネタ」を知らない人はこの場面の意味がまったくわからない。
そう、この映画は、パロディーの元ネタがわからなければ、ちっとも面白くない映画なのだ。その点でいえば、私は大林映画と金田一映画のマニアであり、古い日本映画も多少観ているし、テレビCMにも並々ならぬ関心を持っていたので、パロディーのほとんどを理解することができる。その解像度の高さからすると、1分に1回くらいの割合でパロディーの場面があらわれ、そのたびに私はニヤリとする。ところが、たとえば元ネタの知らない若い人たちが、この映画を観ても、ちんぷんかんぷんだろう。しかしそれでいて、映画のテンポや映像の鮮やかさは、いま観てもまったく色あせていないどころか、他の追随を許さない。その映像魔術を観るだけでも価値がある。
ひとつひとつのパロディーを解説する副音声を作ったら、若い人にも楽しんでいただけるだろうか。そんなことを夢見ている。



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