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読書メモ・第12回・小川洋子、平松洋子『洋子さんの本棚』(集英社文庫、2015年)

『洋子さんの本棚』(集英社)は、小川洋子さんと平松洋子さんの、二人の洋子さんによる対談本である。二人はほとんど同世代で、出身も同じ岡山県である。
これまで二人のそれぞれの人生を後押ししてきた本をサカナに、語り合う二人の話は、言ってみればちょっとした人生の処方箋である。
心覚えのために印象的な会話の部分を引用する。

「小川 『夜と霧』の中に、「すなわち最もよき人々は帰ってこなかった」という有名な一文がありますが、あまりにも理不尽で過酷な体験をした人は、自分が生き残った意味を考え続けなければいけない運命を背負わされている。それはとても苦しいことだと思うんです。(中略)

平松 (略)誤解を恐れずに言えば『アンネの日記』にも、日記というジャンルを超えた過剰さがありますが、しかし、それは必要な過剰さだった。言葉というものがどんなに人を救うか、ただ単に救うだけでなくその人を作りもするかということを切に感じます。

小川 書くにしても、読むにしても、考えるにしても、人は言葉とかかわっていくことで自分という人間を組み立てていく。それを人生をかけて繰り返していくのでしょう。

平松 人は客観的でないと言葉を探せないし、論理を働かせなければ言葉を重ねていけない。言葉にかかわることによって自己を補強するし、発見もするのだと思います。私は子どものときに本をたくさん読むことがすべてとは思わないし、“良書”と出会うことだけが人を育てるとも思わない。本に出会う時期、本と友達になる時期はいろいろで、適切な言葉に出会いさえすれば、いつでも自分を見つめなおせるのだと思います。

小川 考えてみれば、文字を書くことを職業にしているのは幸せなことです。言葉と意識的に向き合うことが、そのまま仕事なのですから。誰のためでもなく、報酬のためでもなく、書くことで自分を支えている人は大勢いると思います。文字にしないまでも、胸の中で言葉に置き換えながら、日々はつくられている。

平松 そう考えると、読むことと書くことはそれほど違わない。

小川 さらに言えば、作家だから物語を書いているのではない。誰もが物語を持っていて、それを実際に書くか書かないかだけの違いだと思います。

(中略)

小川 人って未熟なまま、言い残したことがあるまま、互いの手を放してしまうことがある。きっとその方が多いですよね。

平松 だけど、いっぽうで、言葉にしなかったからこそお互いに救われるということもたくさんあるから、どっちが正解とも言えなくて。

(中略)

小川 どんな失敗も、どんな愚かな行いも、過去は、それはそういうものだったんだと、その代わり、先々のことは心配しすぎるくらいします。心配性の楽観主義者です。

平松 はい。やっぱり私も同じです。私がいつも思うようにしているのは、過去は必然だったのだと。自分が今ここにこうあるのは、やっぱりあの過去があったから、と。思い出したくない過去なんていくらでもありますけど、その時、いやいや、あれは必然だったと肯定すると、ちょっと救われる感じがします。」


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