いつか観た映画・『トノバン 音楽家加藤和彦とその時代』(相原裕美監督、2024年)
「トノバン」とは加藤和彦さんの愛称であることを、この映画で初めて知った。しかもそのイントネーションも知らなかった。私はてっきり「ブラバン」とか「留守番」と同じイントネーションだと思い込んでいて、そのノリで
「トノバンのチケット1枚ください」
というと、
「トノバンですね」
と、最初の「ト」の音にアクセントがつくイントネーションで返された。「レバノン」とか「キャラバン」と同じイントネーションだったのである。
それくらい、私の中には音楽家・加藤和彦に関する知識がない。むろん、加藤和彦という名前は知っていたし、何よりも「帰って来たヨッパライ」は小学生のときに聴いて衝撃だった。それがザ・フォーク・クルセダーズの歌で、「イムジン河」とか「悲しくてやりきれない」と同じグループが歌っていると知ったのは後になってからのことである。そこに加藤和彦さんがいて、のちにサディスティック・ミカ・バンドを結成するという歴史を、中学生頃になるとなんとなく知識として知っていた。
中学生のときに加藤和彦さんの「あの頃、マリー・ローランサン」という曲を聴いて(たぶんNHK-FMの「坂本龍一のサウンドストリート」でかけていたのだと思う)、なんてオシャレな曲なんだろう!と感激した。いまでもこの曲が好きである。しかし、そのていどの知識しかなかった。
映画の中でミュージシャンの高野寛さんが「自分はYMOが好きだったが、加藤和彦さんのことは実はあまりよくわかっていなかった、今回深掘りしてみてはじめてそのつながりがわかった」みたいなことを話していて(発言を正確に書きとめていないので私の理解不足かもしれない)、なるほどそうかと思った。
最近、ちょっと音楽映画づいているが、この映画は音楽が中心ではなく、加藤和彦さんをめぐる人々のインタビューが中心である。というかそれがほとんどである。映画の中で本人が話している過去の映像は1度しかあらわれない。あとはぜんぶ第三者による「証言」なのだ。
初めて知ることばかりで、加藤和彦さんの音楽家としての歴史を追うことができたのだが、それでもなお、加藤和彦さんがどんなことを考え、どんなことをやりたかったのか、よくわからない。つかみどころのない人のように思えたのである。それでも加藤和彦さんのもとには、自然と才能ある人たちが集まってくる。つまりそれは天才ということなのだろう。実際、音楽活動の遍歴は予想もつかない展開の繰り返しである。
この映画の最後に、名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」を、加藤和彦さんを慕うミュージシャンが集まってレコーディングをする場面があり、これが感動的だ。この映画は、このエンディングを観るための映画だといっても過言ではない。万感胸に迫るとはこういうことである。
この映画を企画したのは高橋幸宏さんだったという。映画のパンフレットの中で相原裕美監督は、幸宏さんに向けて「約束は果たしました。どうぞ安らかに」と書いている。