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連想読書・夏目漱石『硝子戸の中』(1915年)

『硝子戸の中』は、病床にある漱石が、硝子戸に囲まれた書斎で思いつくままに書いた、漱石晩年の随筆である。読んでいくと、漱石と同い年の親友だった正岡子規の『病牀六尺』を思い出させるが、子規を意識して書いたのかどうかはわからない。
いくつも共感するところはあるのだが、印象深い文章の一つをあげると、

「私は宅へ帰って机の前に坐って、人間の寿命は実に不思議なものだと考える。多病な私はなぜ生き残っているのだろうかと疑って見る。あの人はどういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う。
 私としてこういう黙想に耽るのはむしろ当然だといわなければならない。けれども自分の位地や、身体や、才能や――すべて己おのれというもののおり所を忘れがちな人間の一人として、私は死なないのが当り前だと思いながら暮らしている場合が多い。読経の間ですら、焼香の際ですら、死んだ仏のあとに生き残った、この私という形骸を、ちっとも不思議と心得ずに澄ましている事が常である。
 或人が私に告げて、「他(ひと)の死ぬのは当り前のように見えますが、自分が死ぬという事だけはとても考えられません」と云った事がある。戦争に出た経験のある男に、「そんなに隊のものが続々斃れるのを見ていながら、自分だけは死なないと思っていられますか」と聞いたら、その人は「いられますね。おおかた死ぬまでは死なないと思ってるんでしょう」と答えた。それから大学の理科に関係のある人に、飛行機の話を聴かされた時に、こんな問答をした覚えもある。
「ああして始終落ちたり死んだりしたら、後から乗るものは怖いだろうね。今度はおれの番だという気になりそうなものだが、そうでないかしら」
「ところがそうでないと見えます」
「なぜ」
「なぜって、まるで反対の心理状態に支配されるようになるらしいのです。やッぱりあいつは墜落して死んだが、おれは大丈夫だという気になると見えますね」
 私も恐らくこういう人の気分で、比較的平気にしていられるのだろう。それもそのはずである。死ぬまでは誰しも生きているのだから。」

ところで、片山夏子さんの『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録』(朝日新聞出版、2020年)を読んでいたら、こんなことが書いてあった。

「仮に目の前で鼻血を出して倒れた人がいれば怖いけれど、そういったこともない。線量計がピッピッて鳴ると、放射線量は上がっているな、そこを早く通り過ぎなければと思うけれど、だんだん慣れてきてしまう。慣れてはいけないのだけど」。戦争に行っても自分には弾が当たらない、と思ってしまうのと同じ、と話していた」(36頁)

長くその状態に置かれていると、戦地にあっても自分には弾が当たらない、と思うのと同様に、原発の復旧作業の現場で自分だけは放射能の被害からは免れる、とか、新型コロナウイルスの感染が拡大しても自分だけは感染しない、といった人間の普遍的心理を、すでに漱石先生は言い当てていた。

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