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あとで読む・第55回・広河隆一『パレスチナ』(岩波新書〈黄版〉、1987年)

実家に立ち寄って、私が若い頃に買った本を漁っていたら、広河隆一さんが書いた岩波新書の『パレスチナ』という本が出てきた。しかし私はこの本を読んだ記憶がない。
奥付を見ると、1987年に刊行され、私は翌年1988年5月の「第6刷」を買っている。1988年といえば、私が大学1年の時である。おそらく大学1年か2年のいわゆる教養課程の時に買ったものであることは間違いない。
買った当時の「帯」も残っていて、そこには「岩波新書創刊50周年記念 大学生協テーマ別特別フェア」とあった。とすればこの新書は間違いなく大学の生協で買ったことになる。
このとき、中東をテーマにした講義を受けていたからこの新書に目が行ったのか、それとも自分なりの関心で手に取ったものなのか、そこのところの記憶が定かではない。情けないことに私は若い頃から中東情勢というのが自分にとって縁遠い世界だと思い込んでいたため、当時どういう思いでこの本を手に取ったのかが、どうしても思い出せないのである。
しかし2023年以降、イスラエルとパレスチナの戦争が続き、連日その情勢が伝えられる中で、いよいよこれは縁遠いなどとは言ってられないことにようやく気づき、中東の歴史や今に至る経緯を内在化したいという思いに駆られた。そんな中で、二十歳になる直前、大学1~2年の頃の自分が何を思ってこの本を手に取ったのか思い出せないにしても、このタイミングでこの本に出会い直したということは、大げさな言い方をすれば、私にとって運命的なことではないか、と感じたのである。
少しずつ読み進めているところだが、とてもわかりやすくて、問題がどこにあるのかが明確に示されている。中東情勢に詳しい方々からは、そんなこともわかってなかったのかと言われそうで恥ずかしいのだが、たとえば、「…パレスチナ人は、他の植民地国とは異なって、搾取の対象ではなく、排除の対象だったのだ」(35頁)という言葉は、この問題の根深さを考える一つの視点なのだろうと思わずにはいられなかった。
40年近く前の新書が、いまの情勢を理解する上で少しも古びていないのだとしたら、これは当然深刻な問題と受けとめなければならない。こんなあたりまえのことについて、私は長らく考えることをしなかった。その反省も込めて、出会い直したこの新書を読まなければならない。

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