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山本昭宏編『近頃なぜか岡本喜八 反戦の技法、娯楽の思想』(みずき書林、2020年)

「近頃なぜか岡本喜八」という言葉は今の私の気持ちともなぜか重なる。最近、岡本喜八監督の映画『ジャズ大名』を観たからかもしれない。
しかし岡本喜八監督の映画は、実は数本しか見ていない。代表作の『独立愚連隊』すら観ていない。そんな私が岡本喜八監督について何かを語る資格などないのだが、やはりずっと気になっていたのは、私の尊敬する大林宣彦監督が岡本喜八監督に対して特別な敬意をはらっていたということを知ったからである。以前のnoteにも書いたように、大林監督はかつて「敗戦後の日本映画で1本あげろと言ったら、岡本喜八監督の映画「江分利満氏の優雅な生活」(1963年)を1本あげるだけで十分だ」と語ったことがある(「いつか観た映画・岡本喜八監督『江分利満氏の優雅な生活』(山口瞳原作、1963年))。『肉弾』についても戦争映画の傑作と評していた。
いま手もとに本がないので不確かな記憶だが、大林恭子さんの『笑顔と、生きることと、明日を 大林宣彦との六十年』(春陽堂書店、2023年)だったか、こんなエピソードを読んだこともある。CMのディレクターだった若き大林監督が初めての商業映画『HOUSE』の撮影をしようとした時、今でいう「フリー」の監督なので撮影するスタジオに困っていたが、岡本喜八監督が会社に掛け合ってくれて東宝のスタジオで撮影することができたという。私の記憶が正確ではないかもしれないが、たしかこんな内容だったと思う。大林監督は岡本喜八監督に特別な恩義を感じていたのではないかと想像するが、そのことを差し引いても、大林監督は岡本喜八監督の映画に深い共感を寄せていた。
本書では、
「喜八さんの中には映画人として二人の人格がいたのだともいえます。一人は『駅馬車』に純粋に憧れている岡本喜八。もう一人は自分のアイデンティティをしっかり映画で伝えようとしている岡本喜八です」(『最後の講義 完全版 大林宣彦』主婦の友社、2020年、177頁)
という大林監督の言葉を「岡本喜八の資質を的確に指摘した評言だろう」(本書8頁)と評している。

本書は、「戦中派」の職人的映画監督である岡本喜八の経歴や戦争観を実に丁寧に分析している。岡本喜八監督についてほとんど何も知らなかった私には、初めて知ることばかりである。しかも執筆者は岡本喜八監督と同時代を過ごしたわけではない若手の研究者で構成されていて、それもまた驚異的である。
本書を読んでハタと気づいたことがある。それは、岡本喜八監督が近代以降の戦争を描くには、アジア太平洋戦争からではなく戊辰戦争から始める必要があることを意識していたことである。本書ではそのことが再三強調されており、その点が実証的に示される。
「ハタと気づいた」というのは、大林宣彦監督も、「近代の戦争を描くには戊辰戦争から始めなければならない」と語っていたからである。実際、遺作となった映画『海辺の映画館 キネマの玉手箱』では、戊辰戦争からアジア太平洋戦争に至る歴史を大林監督特有の視点で描いていた。ひょっとしたらこの戦争観も岡本喜八監督の影響を受けていたのではないかと想像したくなるのである。大林監督は最後の最後まで、岡本喜八監督の映画に深い敬意を表していたのではないか。本書を読んでそんなことを感じた。

#近頃なぜか岡本喜八

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