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忘れ得ぬ人々・第13回「ここはひまわり通り」再会編

忘れ得ぬ人々・第13回「ここはひまわり通り」

以前勤めていた職場の裏通りに、こぢんまりとした洋食屋さんがあった。おじさんシェフがひとりで切り盛りしていて、料理の腕はたしかだし、値段も手頃だった。店名は、「ひまわり」の学名に由来した名前だった。この洋食屋さんの近くに「ひまわり」という定食屋さんもあって、私はこの裏通りを勝手に「ひまわり通り」と名づけていた。

今日(2024年7月14日)、以前勤めていた職場で研修会の講師として招かれ、午前中に1時間ほどお話をしたのだが、それが終わるとお昼休みである。「昼食は各自自由に済ませてください」と言われたので、あの洋食屋さんに再訪することにした。
歩くこと数分、お店の前に立つと、「営業中」の看板があったので、お店の扉を開けた。
だが厨房にシェフがいる気配がない。
「ごめんください」
というと、テーブル席に座って何か書きものをしていたTシャツ姿のおじさんが立ち上がった。
「いらっしゃい」
シェフだった。最後に訪れてから10年が経っていたが、面影はほとんど変わっていなかった。客のテーブル席に座って書きものをしていたことからもわかるように、店内にはお客さんはいなかった。シェフは急いでTシャツの上にコックコートを羽織った。
「すみません。奥のテーブル席にどうぞ」
促されるままに奥のテーブル席に座り、メニューを見て、ランチを注文した。
シェフの作る洋食は、むかしと変わらず美味しかった。若い頃に都内の一流ホテルで料理人をつとめていた腕は、まったく落ちていなかった。
あたたかいうちにランチを食べ、食後のコーヒーを注文した。「よく喋るシェフ」のお話をまた聞きたかったため、食事を早く済ませたわけである。
シェフがコーヒーを持ってきたタイミングで、シェフが言った。
「今日はご旅行か何かですか?」
「いえ、仕事です。実は10年前まですぐ近くの職場に勤めていて、10年ぶりにこのお店に来ました」
そう言うとシェフは驚いたような顔をして、
「そうでしたか。お名前はなんというのですか?」
「三上といいます」
「…ごめんなさい。最近歳を取ったせいか、物忘れがひどくて」
シェフが覚えていないのも無理はない。私もこの洋食屋さんにそう頻繁に訪れていたわけではなかったから。
しかしこのやりとりがきっかけで、シェフのひとり語りが始まった。その大半が愚痴だった。「故郷に帰るんじゃなかった。コロナ禍が明けてから、常連さんが来なくなっちゃった」
「東京から故郷に戻ってきて30年くらい経ちますよね」
「ええ、よくご存じですよね」
「そのお話をしてくださったじゃないですか」
「そうでしたか」
そこからまた、シェフは自らの半生を語り始めた。というか、私がシェフの話を聞きたいがために、そのように誘導したに過ぎないのだが、シェフはずっと喋り続けて、気がつくと1時間半が経っていた。もちろん、10年の歳月を感じさせる風貌にはなっていたが、それはお互い様のことで、「イヤだイヤだ」と言いながら、いまの仕事を手放さずにかつてと変わらない美味しさの料理を出し続けていることに敬意を表し、そしてかつてと変わらず愚痴をこぼしている姿に可笑しみと安心感を覚えた。あのコロナ禍を乗り越えて、お店を閉めずに営業を続けているのは驚異的である。
さすがに午後の研修会にはこれ以上遅れることはできないと判断し、頃合いを見てテーブル席を立ち上がり、会計を済ませた。するとシェフはお店の外にまで出て、私を見送った。
「また機会がありましたらぜひお立ち寄りください」
「ええ、必ずうかがいます」
そういえば私がコーヒーを飲みながらシェフと雑談している間、日曜日のお昼という稼ぎ時であるにもかかわらず、お客さんがまったく来なかったことにあらためて気づいた。それもまたむかしと変わらない。
次に訪れるときも、「おいしいごはんが食べられますように」。

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