![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/121312788/rectangle_large_type_2_d997eb98980944c41e481c20b4e9d00d.jpeg?width=1200)
元医療従事者で発達障害の僕のこと❷
興味をもっていただきありがとうございます。
人生の半分の期間、精神科・心療内科の通院と
服薬を続けているshinobuです。
今回も記憶の整理と、今の僕とをつなげる作業をしてみます。
読みづらいところや、文章がおかしいところがあると思いますが
それが僕なのでご理解ください。
前回の自己紹介、幼少期~高校生までの❶はこちらです。
あわせて読んでもらえるとうれしいです。
医療系専門学校時代
専門学校1年生
1学年3クラス、120人の専門学科に入学。
人見知りでなかなか友達もできず、しばらくは他の学科の高校の同級生と昼休み集まっていた。
2〜3ヶ月すぎた頃、医療系の学科なのにタバコ休憩を取っていた。
そのおかげでか、ちょこちょこと話す人ができ、次第に声をかけてもらえるようになった。
グループもできその仲間入りしたが、飲み会はひどく苦痛だった。
お酒が体に合わないから・・・。
よくみんな飲めるなーと思っていた。
コンビニのアルバイトから居酒屋へ
その頃やっていた深夜のコンビニのアルバイトで、近所の居酒屋さんが大量に氷を買いによく来ていた。
一度その居酒屋さんに高校の同級生と行ってみたところ(僕はジュース)、みんなすごく楽しそうに働いていたのが印象に残った。
深夜のコンビニは面白みがない。
再度居酒屋さんに訪れた時、店員の方が僕のことを覚えて下さっていて「あ〜コンビニのお兄ちゃん」と声をかけてくれた。
店長さんも声をかけてきてくれ「今忙しくて、募集中なんだけど働いてみない?」と。
「人見知りで酒も飲めませんが、楽しそうなのでやってみたいです」と伝え、二つ返事で採用。
居酒屋さんではみんな自由に仕事していた。
酒を飲みながら仕事している人がほとんど。
人見知りが激しいことを伝えてあったので、皿洗いからスタート。
「なんでも好きなの飲みなよ」と言ってくれていたので、コーラをお願いしたがコークハイがきてしまい、何も言えずちょっとずつ飲んでいた。
だんだん気分が悪くなり、トイレでリバース。
「大丈夫か〜。上で休んでて」と、そのまま閉店まで休んで一日目終了。
学校とアルバイトと
徐々にバイトに慣れ、包丁の使い方から教わるように。
その頃には、リバースせず少量飲めるようになった。
そのうちに飲める量も増え、学校へ二日酔いの状態で行くようになった。
飲み会にも誘われても断ることもなく、楽しめたが・・・。
学校はきちんと毎日通っていた。
1年生なので医学系の教科はほとんどなく、物理は理解不能。
とても苦労した。
医学英語の授業は面白かった。
英字の生理学の本を買って読んでいたが、かなり難しく途中で挫折。
ここまで書いてみて思うこと
僕はすぐ何かに飛び付き、ものすごく集中するが飽きると挫折してしまう癖が出ている。
どこか出かけるにも、急に「ディズニーランドに行こう」とか「○○県に行こう」とか、突飛な行動を今でもとる。
それと、執着心が強い。
学校の勉強はどのようにやっていたかは、あまり覚えていない。
アルバイトメインで生活していた感じ。
どこかで必死に勉強していたかも。
あとがき
これからも記憶を整理しつつ、僕が考えていることを記していこうと思っています。
僕と同じような気持ちを抱えている人に、安心が届くことを願っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。