「心を打つ」という事
自分はアイアンガーヨガの指導員である。が、東京に出て、一番のびのびと生きていた大学生時代に始めた社交ダンス、誰に遠慮する事なく自分の表現にこだわった。故郷に戻ってからは、ダンスから離れていたが、昔の知り合いとの再会を機に、再びダンスを始めた。故郷では、自分を押し殺し、ひたすら「見猿聞か猿言わ猿」を決め、ひたすら「私は平気、何があっても大丈夫!」をし続けてきた。唯一、自己表現100%を求めるのは、踊りの中だけだった。自分を出すから、ダンスの仲間は多くなり、声も掛けてもらえるのだ