将来の教科書に載る選挙
今回の兵庫県知事選挙は、その経緯の特殊性、及び現状から、とても大きな注目を集めています。
候補者のうち誰がどうだ、というのは、私は兵庫県民でもないので、避けようと思います。
それでも、この選挙、そしてそれに至る経緯は、我々が日本国憲法のもと、当たり前のように享受していたと思っている民主主義の根幹に関わる問題を含んでいると考えますので、そのことをしたためていきます。
新聞倫理綱領
政治的な意見を形成するためには、さまざまな事実や意見を含めた情報を知らなければなりません。
でも、今回の選挙を通じて思うのは、兵庫県知事の失職までのテレビ・新聞などのマスメディアの報道から得られる情報と、選挙が始まってからの報道内容がまったく異なる、ということです。
もちろん、選挙期間中だと、その報道内容に制約があることは分かるのですが、それでも、失職までの報道内容とまったく違う内容が盛んに取りざたされている現状で、そのことにほとんどまったく触れないのは異常だと思えます。
そこで、「知る権利 マスメディア」を Google で検索してみました。
すると、一般社団法人日本新聞協会の「新聞倫理綱領」というのを見つけました。
なお、協会の名称からは分かりにくいのですが、こちらの会員社には、知っているほぼすべての新聞社、テレビ各局が名を連ねます。
これを読んで
「納得した。新聞もテレビも、そのとおりやっているじゃないか。何で今更こんなことについて語っているんだ?」
と思う人は、少ないのではないでしょうか。
今、新聞やテレビが行うべきなのは、「独立と寛容」の項目に記載があるとおり
「自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。」
であり、それは残念ながら、なされていないと感じます。
私はこれまで
「偏向報道は、ある程度仕方がない。ただ、それら報道内容を精査してよく考えれば、正しい意見を形成できる。」
と考えていましたが、今は違います。
新聞倫理綱領と実際が著しく乖離している状況からは
「報道内容だけからは、ものごとは判断できない」
となりました。
知る権利の現状
今は SNS などを通じて、普通の人たちが昔よりもとても簡単に情報を発信できるようになりました。
多様な情報で溢れる中、これまで、特に新聞の情報が信頼に足りるものだと思われていた根拠は、その紙面 (や番組) ができるまでのプロセスで真実性が担保されると考えられていたからです。
ただ、これも新聞やテレビがいわば権力主体となって、社の方針に従った一面的な情報しか流さないのであれば、新聞・テレビの情報のみから意見を形成するのは危険だ、ということになります。
今後は、新聞やテレビの情報に加えて、YouTubeや X などのSNSにすべて当たらない限り、正しい判断はできないと感じています。
将来の教科書に載る選挙
ここで、タイトルについてです。
今回の選挙では、これまでの政治的意見形成の主たる情報源である新聞、テレビで取り上げられない情報をもとに前兵庫県知事が再選する、または、当選まであと一歩まで近づくことが、投票日3日前の2024年11月14日の時点で、容易に想像できます。
「知る権利保障の担い手を標榜していた新聞やテレビが、その位置にはないことを証明した選挙」
「YouTube や SNS から情報を得て政治的意見を決定するのが常識になる契機となった選挙」
そういう選挙になるのではないか、と考えます。
【ちょっとだけ】選挙中の様子で感じたこと
失職前、斎藤前知事が話していた、彼に対する「応援の声が届いている」というのは、その時点では、全国のほとんどの人が信じていなかったように思います。
でも、選挙活動中の様子で、まだ選挙権がない高校生が、学校の教育環境充実を掲げる前知事のことを一生懸命応援している姿などを見ると、ああ本当のことだったんだな、と心から思うのです。
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