たった一日の2024年の夏
(この記事はnoteが主催している夏の一コマに出そうか迷った挙句、あまりにも『夏』に関係なさ過ぎて没にした記事です)
※あと、「自殺」に関する話が出てきますので嫌な人はブラウザバックして下さい
どうも!
ガイアです。
先先日に精神病棟に入院したという記事を書いたのですが、実は入院前自殺しようと思ったんですよね。
それで入院する前に自殺未遂をしたんですけど、それをするために首吊りのロープを近くのホームセンターで買ったんですよ。
それでその日の帰りに食べた昼飯が近くのラーメン屋だったわけよ。
もうここに二度と訪れないかもって思うと寂しい気がして僕はそこに入ったわけ。
ちなみにこのラーメン屋は自分の人生で始めて「ラーメン」を食べたとこで、たまに行く家族の外食場所がここだったのよ。
正直きれいとは言えない内装とそんなに広いとは言えない店なんだけど、自分にとっては好きなとこで。別に特定の仲いい店員さんがいたわけじゃないけど。
でもそんな店でも僕にとっては自分の人生のなんとなく「おなじみの店」っていうのがあって一人でもたまに行ってた。
そこでいつも、餃子とラーメンとチャーシュー丼を食べてたのよ。本当に量が多い。成人男性でも吐くレベル。うまいけど。胃が馬鹿になる。
それが自分の目の前に出されたときにいろいろやっぱ考えたのよ。そんなかで考えた2つのことが、「やっぱ死ぬ前に高カロリーなモノ食べるよね」っていうことと「これから死ぬのかぁ」っていうこと。
最初の「やっぱ死ぬ前に高カロリーなモノ食べるよね」っていうのは、一時期(今も暗に流行ってるかも)病み垢界隈にて『最後の晩餐』ってツイートして自殺する前の最後の晩飯を投稿するのが風潮としてあったんだけど、そのツイートの画像がみんなまあまあ高カロリーなんだよね。
マックとか牛丼とか。そういうのをみてなんでこんな高カロリーなもの食いたくなるんだろって思ったけど今ならわかる。最後に好きなものくらい食べたいし、死ぬならカロリー関係ないからね。
もう一つの「これから死ぬのかぁ」っていうのはそのまんまなんだけど、自分が本当に死ぬことになったらそこからすべての動詞に「人生最後の」がつくことを考えると終わっちゃうのかあっていう寂しさはあった。
最後の「いらっしゃいませ」、最後の「いただきます」、最後の「ラーメン」、最後の「ごちそうさま」、最後の「ありがとうございました」
正直、聞こえていた音は右から左へと流れてただけで何を話したとかそんな記憶は一切ない。
これから「死ぬ」っていうめっちゃブラックすぎる考えて支配されててご飯食べてる時もずっと死ぬことしか頭になかったから味なんて覚えてない。
そして数週間後、結局自殺に失敗して入院することになった。
なんだかんだで8月中はほぼ全部病院内で消費することになった。閉鎖病棟だったから外に出れることなんてそんななくて。だから僕にとって夏休みは全部は病院の記憶しかないのよ。
まあ院内の話はいったん置いておいて、そんなこんなで8月は終わって僕が退院した時には9月が始まろうとしてたのよ。
中で約1か月弱過ごして、ようやく退院したのはいいんだけど、なんかどこか無気力な感じになってね。たぶん精神的な問題の本質は改善してなかったのかも。
無気力が相まって、退院したここ数日ずっと「何してこれから過ごしたらいいんだろう」みたいな感じが続いたのよ。
俺が知らない間に米は売り切れてたし、そんな買い物する日は曇りで。気晴らしで買おうと思って何かゲームを買おうと思ったけどゲームをする気にもなれなかったし。
このまんまじゃ2024年の夏がすんごい微妙な感じで終わっちゃうじゃねえかっていうその日の帰りに、たまたまあのラーメン屋を発見したのよ。
ただ漫然と「あ~。ここ自殺決めた日の昼飯食べたとこだ~~」って思いながらその店に入っていったわけよ。
病院から外に出て一番最初にする外食がこれで、そしてあの時となにも変わらない店員さんと、何も変わらない内装と、何も変わらないメニューで。
自分以外の店のすべてにそんなつもりはなかっただろうけど、僕からするとこの店全体が入った瞬間「おかえり」って言ってくれたような気がしてすごいうれしかったんだよね。
自分の話になるけど、こういうしんどい時に「つらかったね」とか慰めよりも何も変わらずに接してくれるほうが結構心に来るわけでさ。俺は泣きそうになったよ。
この店に来た時に「いらっしゃいませ」としか言われなかったんだけど、僕からするとそれは再び生きることを許してくれたような気がして。すごいうれしかったんだよね。
今書いてて思ったんだけど、そう考えると生きてみてもいいのかもしれないってそこで初めて気が付いてさ。ぼくにとってその事実って大発見じゃねえかってようやく気付いた。
花火大会も、ゲームも、そうめんもそんな夏らしいことなんて何一つなかったけど、精神病棟の1か月を経て、僕が体験したそのたった一日が自分にとってこれまで経験したどの夏休みよりも価値のある一日になれた。
この店を出るときに「ありがとうございました~」って言われたけど、僕にとってそれが「行ってらっしゃい」っていうような意味に聞こえてさ。まだ生きてみるかってようやく人生の一歩を踏み出せたような気がした。
ありがとう