転がり続ける空き缶
私は一体、何にイラついていたのだろう?
こんばんは!yokoです。
日産スタジアムでのライブ後、電車内での話を聞いていただければ
ありがたいです…
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満員までいかない車内でした、私の目の前を左から右に転がっていた空き缶。ママ友グループの6歳ぐらい?の子どもたちの前で止まり、一人の子どもが足で踏みつぶそうとすると、即座に母親が子どもを引っ張り、空き缶はそのまま転がり続ける…そして誰もが知らんぷり。
心の中で母親に対して
(えっ?拾わないの?)
(なんで?子どもに拾うように教えないの?)
こんな気持ちがよぎった…
数日、経って思うのは、何にイラついていたのか?ということ。
母親の反応は、あるあるの一部、何せ私の目の前にも空き缶は転がっていたのでイラつくぐらいなら気づいた私が拾えば良かったではないか!?でも拾わなかった。(汚いと思っているから)本音では、誰が飲んだかも分からないただの空き缶なんか知らんぷりでいいと思っています。
なのに、正論やキレイ事の自分が顔を出す。
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子どもたちが家ではない社会(保育所、幼稚園、小学校、中学校など)に出ると当たり前のこと、ルールを教えられます。
今回の空き缶であれば
↓
ゴミは拾いましょう!
電車の中にいた人ほとんどが知っている当たり前のこと。
もっと言えば
↓
自分が出したゴミは自分で持ち帰りましょう!
そうかーこの空き缶の持ち主にイラついていたのか…イヤなんか違う
学校生活で教えてもらうことって日が経つと結局、実生活では役立っていないことにイラついていたのか??…これもなんか違う、そんな大げさなことではない。
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この1ヶ月間、自分の感情について書くエッセイの課題ばかり考えていたので、今の時点での気づき、答えのようなものが出ました!
自分の目の前に起こる状況について、一瞬のうちに正論が顔を出してその正論通りにいかないことにイラついていたことです。真面目な自分はイヤじゃないけれど、何もかもに真面目でなくていい。
転がっている空き缶を拾いたいと心から思えば拾えばいい、でも本当は拾いたくもないし、公共機関だから片づけてくれる人がいる、放っておけばいい。
生きていくってそんなもんなんです!
いちいち真面目でなくていいんです。
毎度毎度、正論と対峙していると身も心も持ちません…私は何でもないただの人だから。
空き缶1つで長々と書いてしまいましたが、ここまで付き合ってくれた方には感謝します。
これって「エッセイ」になっているのかな?と思いながら終わりとします。