見出し画像

「おい、タダにならんのか!」「お帰りはあちら」

小規模自動車整備工場を営んでるセキと申します
どうにも愚痴っぽくなってます。でも思い返すと普通のやり取りよりおもしろかったりします。
ご容赦下さい

20年以上前、念願の自社自動車整備工場を建てた。
基準最小とは言え国が定める認証基準に適合させるためには油水分離槽設置等々、地中から上物まで隅から隅まで費用がかかるものだ。
出来上がった自工場を見上げた。これから一生をかけて莫大な借り入れを返さねばならんのか・・。

「タダ」とは何か

「ちょっとくらいのサービス」も全部有償にしようと決めたのもこの頃だ。ディーラー勤務の頃はそれでよかったが、とにかくタダは何も生まない。「あ、これはタダでいいんだ」と思われてしまうことも多々あった。

当時町工場連中はこぞって
「(タダで)サービスしてあげたのに何もない(仕事が返ってこない)」と言っていた。その光景はまるで「代金をいただく自信の無さ」を「心意気」と置き換えて自身を慰めているようだった。自分で「タダ」にしておきながら「儲からん儲からん」と口を揃える様子は(本当に商売が下手だなあ)と、我ながら何様風に勝手に思っていた。

昔からやっていたように開業

私は特段ご近所挨拶はしなかった。町内会主要の数人に挨拶したくらいで、あとは数百枚の自作チラシを近隣にポスティングした。
「何となくそこにあった」風、自然と営業開始。

早くも歴史に残る迷惑方ご来店

開業一ヶ月
「わしはそこに住んでいるSだ。知ってるか?」年配男性が車でご来店

「・・・すみません、まだご近所さんがわからなくて」
「何?すぐそこだぞ!知らんのか!」

この頃は昭和的時代背景を伴って、ちょっとばかりの高圧的年配方がまだチラホラと居た。まさに典型的「とりあえず偉ぶって本題に入る」接し方をする。
そのSさんが乗ってきた小型車が2か月後に車検だと言う。見積をしてもらいたいと言う事で私は法定点検を含めた基本料金をプリントして「どうぞ」と差し出した。Sさんは合計金額を数秒間凝視。

「むむむ・・」 言ってないのに聞こえた気がする。そして

「おい、タダにならんのか!」

Sさん、いや、じいさんはいきなりぶっ飛んだことを言い放った。さすがにびっくり。意味が解らなかったので「タダとは?」と聞き返す。

私は一つ一つの項目を指し、丁寧に説明した。説明したところで「タダにしろ」と言うじいさんに分かってもらおうとは思ってなかったが、こうでもしないと帰ってもらえないような気がしたからだ。

だが、調子に乗ったじいさんはさらに高圧的になり
「わしは近所に住んでいるんだ!何故タダにできない!」と言ってきた。

「できませんよ、普通に。お帰りはあちら」
その後もグズグズと居座ったじいさんだったが、早く帰ってほしかった。
何を言っても許される時代はとうに過ぎている。このじいさんはこれで生きてきたのだからある意味幸せ者なのだろう・・こちらが許容してやる道理はないが。
「私には莫大な借り入れがあるのだ。借金してる男を舐めてもらっちゃ困る」と思うと何故だか自分が強くなった気がした。

私は何度も「お帰りはあちら」と促した。
最後まで文句を言いながら、じいさんはやっと帰った。

尻拭い

それから30分後、洗車中の私に女性が小走りに近づいてくる。
「もしかしておじいちゃんが失礼な事言いませんでしたか???」
多分そのじいさんの息子の嫁だろう。
私は手を止めることなく瞬間的に(家族はまともだ、良かった)と感じた。
面倒だったが話の内容をそのまま言った。目を丸くしたその女性は何度も私に謝った。
別にどうこうするつもりは無かったが、家族に謝られるのも良い気持ちはしない。「はいはい、わかったわかった」と聞くしかなかった。

息子の嫁にこんなことさせといて、しかし当のじいさんは自分の我儘を聞かなかった私をただただ腹立たしく思っているだけだろう。虚しいもんだ

気持ちはすっきりしないが、まあいいやと思い洗車再開。
そうするとその3分後、今度は一人の男性がスタスタとやって来た。
「さっきのは親父です。すみませんでした」と謝罪に来た。
息子のほうは実にビジネスライクの振る舞いだった。

「お帰りはあちら」

会社勤めをしていた頃も私はこの手合いに対して自分で対処していた。
「無理筋のお客さんが来ている」と、サービスマネージャー辺りに相談しても「帰ってもらえ」と言われるだけだった。
「いや、だからその帰し方がわからねーんだ!」と何度も思った。

その時の経験が役に立った感じだ 「お帰りはあちら」



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?