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ぼくらなら、なんとかなる(4182字) #赤い傘 #シロクマ文芸部


 赤い傘を差したきみ。
 ぼくは先を行くきみを見ていた。

 傘を差さず濡れたまま、きみを追いかけることもできず、ただただ去っていくきみをぼくは見ていた。

 新宿は今日も雨。

 雨は足元のアスファルトを黒く点々と濡らし始めた。湿っぽくて埃臭い空気がぼくの鼻腔を満たし始めた。雨は次第に強くなっていった。地面を打ちつける雨の音がまるでラジオノイズのように新宿の街に響いていた。きみの赤い傘が人混みに紛れ始めた。雨はますます強くなり、より先に立ち上がる雨煙にきみの赤い傘はすっかり霞んで見えなくなってしまった。

 ビルが倒壊し、きみの行った先にコンクリートの巨大な塊が落ちた。

 顔を上げると新宿の空が雨と土煙で霞んで見えた。

 きっとぼくはきみを追いかけるべきだったんだろう。この新宿の空のずっとずっとその先には、雨で絶望するぼくらからは絶対に見えない広大で自由な宙が広がっていて、光の速さで追いかければ過去のきみにも追いつけるのだろうか。過去に戻ればぼくは、コンクリートに潰される前にきみの手を引くことができたのだろうか。もしくは一緒に潰されて。

 同じ絶望なら、是非きみと二人で絶望したかったなんて思って、もう手に届かないどうしようもない過去を思いながら灰色の霞を見上げていると頬に雨が溜まり、ひと粒伝い流れ落ちた。

 悲しんだって無駄さ。

 きみはもうないし、過去には戻れないし、過去は所詮どうせ過去なんだから。



 この日始まった外宇宙からの侵略は効率よく進んで、地球はあっという間に滅ぼされた。とはいえ人類だってなにもしていなかったわけではない。侵略者のテクノロジーを利用して宇宙船を作って宇宙に逃げたり、戦闘用のロボットを作ったりはしたけども、これがただの延命治療であることは誰の目にも明らかだった。きみを失ったぼくは侵略者と戦うパイロットに志願した。一匹でも多くの侵略者を殺したかった。遅かれ早かれみんな滅びるんだ。どうせなら少しでも多く道連れにしたかった。

 滅びゆく人類。
 クソみたいなこの世界。




「―――シンクロ率100%。上々じゃないか。いいぞ、上がれ」

 ぼくは目を開けた。コックピットの暗闇に計器が光っていた。

「いい加減、訓練に慣れろ」

 ぼくのため息にオペレーターのカズシが言った。

「曲がりなりにもお前はエースなんだぞ? シンクロ率毎回カンストさせやがって、お前が扱った[震電シンデン]は感度よくなり過ぎて整備大変なんだわ。まじすげーよ。[震電シンデン]を一番上手く扱えるのはお前なんだ。もっと自信持ってくれよ」

 心配げなカズシの声。

 わかってるよ。
 だから努力してるだろ?

「なあカズシ。シンクロ中、夢の中でいつもカズミに会うんだ。夢の中でカズミを追いかけようとしたけど、いつも足が動かなくて。夢の中で新宿の空を見上げたんだ。たぶんぼくは泣いていた。そんな過去、なかったはずなのに。過去が改変されることなんてあるのだろうか」

 あの日カズミはコンクリートに潰され新宿で死んだ。

 ぼくはその場にいなかった。研究に忙しくてカズミにずっと会えていなかった。カズシに聞くまで、彼女はきっとどこかで元気にやってるんだろう、そう思っていた。

「……過去は過去だろ。変えられねえよ、姉さんが死んだことも、何もかも」
「そだな。上がるよ」
「OK! [震電シンデン]一号、訓練を終了! これより回収作業に入ります!」

 母艦のハッチが開き、緑の格納レーザーが伸びてきた。母艦とぼくの乗る[震電シンデン]との接続シークエンスが終了した。

「接続完了。[震電シンデン]のコントロールを母艦に譲渡します」
「了解! パイロットから[震電シンデン]のコントロールを譲渡されました! ハッチ開け! エース様にシンクロしてビンビンになった[震電シンデン]だ! 丁重に扱えよ!」

 [震電シンデン]のコントロールが母艦に委ねられた。主電源が切れ、コックピットは闇に包まれた。闇に目が慣れると遠く星の煌めきが徐々にぼくを包み始めた。過去の新宿は雨だった。夢の中のぼくは雨に包まれていた。が、今は星に包まれている。非常電源が灯り、[震電シンデン]のセンサーに何かが引っかかった。一匹の宇宙クジラが木星の近くで泳いでいるのが薄暗いモニターに映し出された。悠然と泳ぐその巨体は星々の瞬きを受けて美しく、そして独り悲しそうに見えた。宇宙クジラは大きく口を開けた。木星の衛星エウロパを飲み込むつもりのようだ。歌が響いてきた。伝播する媒体のない宇宙空間で彼らの歌がぼくら遠くまで響く仕組みをまだ人類は理解できない。

「こんなに近くに」

 衛星を一飲みした宇宙クジラは身体を反らせ、ぶるり、身震いした。潮吹きの前兆―――。

 突如コックピットに明るさが戻り、[震電シンデン]の起動シークエンスが開始された。[震電シンデン]のコントロールが母艦から再譲渡され神経接続が始まった。指先と足先から始まって次々と全身の感覚が冷たい鉄の装甲と融合していった。もっと急げよ、マイクロブラックホールを内蔵する宇宙クジラの潮は光速の素粒子をまき散らす広範囲重力波なんだ。これだけの距離で放たれれば母艦の斥力バリアでは防ぎきれない。控えめに言ってやばすぎる。

「カズシ! 起動シークエンスを中断しろ! 代わりに全神経接続! シンクロ限界まで上げろ! あのふざけた潮吹きを止めてやる!」
「バカヤロ、てめえ、死ぬ気かよ!」
「死ぬ気はねえさ!」

 嘘だろ。
 死に場所探してたんだろ。
 もう一人のぼくが囁いた。

 うるせぇ、今やらないで、いつやるってんだ!

 ぼくは弱い心を叱りつけ、心を熱く熱く、[震電シンデン]の体温を上げに上げた。

「カズシ! ぼくは思ったんだ! 異星人に地球を滅ぼされて、カズミもぶっ殺されて、数少ない生き残りがちゃちな船で資源がいつ尽きるか飯がいつ切れるか、共食いしながら、異星人のクジラ兵器に怯えて生きるクソみたいな世界をどうやって終わらせるのか! 過去を変えるんだ! 奴らが来る前の世界に戻るんだ! やつのマイクロブラックホールを通って! やってやるさ!」



 シンクロ率100、200、3000。
 無限に上がり始めたシンクロ。
 [震電シンデン]は熱を帯び金色に光りだした。
 カズシの声はもう聞こえない。
 ぼくの震電。
 金色の獣となったぼくの[震電シンデン]は一筋の閃光となって宙を駆けた。



 クジラが十分に視認できる距離まで来た。[震電シンデン]に内蔵されたヒートサーベル。ヒートサーベルの出力を限界まで上げて巨大なビーム刃を形成。宇宙クジラの腹を切り裂き、ぼくはクジラの中に入っていった。マイクロブラックホール。その黒い絡まりが今まさに弾けようとしているところだった。

「させるかよお!」

 ぼくはありったけのエネルギーを[震電シンデン]に凝縮させた。なにのエネルギーだって? 馬鹿言うな。〝愛〟以外に人類救う力があるのかよ! ぼくはエントロピーさえ振り切って、〝愛のエネルギー〟の塊となって、この世の終わりみたいな闇、宇宙クジラの腹の中の黒い闇に突っ込んでいった。

 ぼくは事象の地平を越えた。
 ぼくの[震電シンデン]が弾ける間際、カズミがぼくの手を握ってくれた。そんな気がした。

「   」

 なにか言った?

 重力波が吹きすさぶ中でカズミがなにを言ったか聞こえなかったけど、カズミの顔は穏やかに見えた。

 〝愛〟が、弾けた。




 新宿は今日も雨。

 赤い傘を差したきみをぼくは見ていた。傘を差さず濡れたまま、きみを追いかけることもできず、ぼくはただ去っていくきみを見ていた。

 雨は足元のアスファルトを黒く点々と濡らし始めた。湿っぽくて埃臭い空気がぼくの鼻腔を満たし始めた。雨は次第に強くなっていった。地面を打ちつける雨の音がまるでラジオノイズのように新宿の街に響いていた。きみの赤い傘が人混みに紛れ始めた。雨はますます強くなり、きみの赤い傘はすっかり霞んで見えなくなった。

 ビルが倒壊し始めた。
 コンクリートの塊が落ちるのが見えた。

 ぼくはきみを追って走り出した。コンクリートに潰される前にきみの手を引いてやりたかった。もしくは一緒に潰されてもいいと思った。ぼくはきみに追いついた。落ちてくるビルの影がぼくたちを覆った。赤い傘を跳ね除けて、ぼくはきみを抱いた。どうせ死ぬなら、ふたり同じ絶望なら、是非きみと絶望したかった。

 顔を上げると倒壊を始めていたビルは、一機のロボットに支えられていた。新宿の空が雨と煙で霞んで見えた。ロボットはビルの塊を安全な位置に置いて飛び去った。しばらくして眩い閃光が空に走り、空が赤く染まった。

 後でわかったことだが、ビルの倒壊は異星人の侵略が原因だったようだ。

 もうロボットは帰って来なかった。異星人も侵略してこなかった。あのロボットの彼は、一体何者だったのだろうか。

 それは誰にもわからない。




 あの事件のあとでぼくはカズミと結婚した。平和な新宿をカズミと歩いていると、あのときのことを思い出す。

 ぼくは思った。

 この晴れた新宿の空のずっとずっとその先には、ぼくらからは絶対に見えない広大で自由な宙が広がっていると。光の速さで追いかければ、過去にも追いつけるのだろうか、なんて。

 いやいや、そんなのは荒唐無稽な夢物語なんだろうけど、大事なのは出来るか出来ないかじゃなくて、やろうとするかしないかということだと思う。

 もし例えば、超テクノロジーを持った異星人が侵略してきたり、きみがカエルみたいにビルに押しつぶされて、そして地球が滅亡して宇宙船で共食いしながら生きながらえる絶望の未来が来たとしても、ぼくならきみを取り戻すために夢物語に縋って過去に追いつこうと必死に足掻くのだろうし、でもきっと死ぬ気でやれば大抵のことはなんとかなる気がするし、実際ぼくらなら本当にやり遂げられるのかもしれない。

「なに考えてるの?」

 カズミはぼくを覗き込んだ。

「いや別に。ただ[ぼくらならこの世界が終わろうとしても絶対になんとかなる]って思って」

「なにその自信、あなた馬鹿?」

 そう言ってカズミは笑った。大きくなり始めたお腹を抱えて笑ってくれた。

 できることならこんな平和がずっと続いてほしい。

 いやいや、平和が続くかどうかはぼくら次第なんだ。でもぼくらならなんとかできるしなんとかなるさ。

 きっとあのロボットのパイロットだってそう思っていたに違いないと思う。





[おわり]
 

 

 


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