見出し画像

【第5位 ベストプレープロ野球】チーム作りの愛しさと切なさと心強さと

こんにちは、ハルリです。

思い出のゲームの紹介も、いよいよ残り5本となりました。今回は第5位「ベストプレープロ野球」の紹介です。

【ゲームデータ】
●発売日  1988年7月15日
●メーカー アスキー
●機種   ファミコン


男子憧れの職業!?

「一生に一度でいいからやってみたいのは、連合艦隊司令長官、オーケストラの指揮者、そして、プロ野球の監督だ」

初代フジテレビ社長 水野成夫氏の発言より

この言葉を残したのは、初代フジテレビ社長でフジサンケイグループ元会長の水野成夫氏です。

私が若かった頃はよく聞かれた言葉ではありましたが、最近ほとんど聞かなくなったのは気のせいでしょうか。

しかし、この言葉どおり、私もプロ野球監督に憧れている一人です。

そんなプロ野球の監督を体験できる作品が、今から36年前にファミコンで発売されました。
それが『ベストプレープロ野球(以下、ベストプレー)』です。

当時、野球ゲームと言えば間違いなく『ファミスタ』でしょう。私も、『ファミスタ』には相当ハマりました。

『ファミスタ』に代表されるように、プレイヤーは、打つ、投げる、走るなどの動作をプレイヤー自身が操作するのは当たり前で、現在の多くの野球ゲームでもそのようになっています。

ただし『ベストプレー』はそうではありませんでした。
試合中、自分でやることは、代打や継投、盗塁や守備シフトなど采配をするだけです。

野球に興味のない方でも、『ファミスタ』であれば、ホームランを打ったり、三振を奪ったら気持ちいいだろうし、面白いと感じると思いますが、この『ベストプレー』は間違いなくプレイしていても楽しくないでしょう(苦笑)

子ども向けというより、大人向けといった感じですが、小さい頃からプロ野球が大好きで、監督の采配に対して「ここで代打出せよ~」とか「投手交代が遅すぎる!」とか、生意気な口を利いていた(今も変わらずですがw)私にとっては、最高に楽しいコンセプトのゲームの登場でした。

「スタメンはどうする?」「ここで代打を出すか?」「先発をあと1イニング投げさせるか?」「思い切ってエンドランでいくか?」「次の1球はスクイズはずすか?」「明後日から首位攻防なので明日の先発はエースを温存するか?」・・・etc

次から次へ判断を迫られ、頭を使ってプレイするこのスタイルは、私のハートをぶち抜きました。

そんな玄人好みする『ベストプレー』でしたが、私は『ファミスタ』以上にこのゲームが大好きになり、私にとってのNo1野球ゲームの地位を確立することになります。

ファミコン本体を酷使した熱きペナントレース

お話した通り、『ベストプレー』は一試合一試合の采配を楽しむゲームで、私も当初はそのように楽しみましたが、ある日、ファミコン雑誌「ファミ通」で発売元のアスキーから一つのルールが発表されました。

それが、オリジナルのチームを作ってオリジナルリーグを開催する場合などの「オリジナルチーム製作ルール」です。

一定のルールがないと、チーム間の公平な戦力の均衡が保たれにくく、バランスの取れたペナントレースになりにくいため、アスキーが公式にルールを発表してくれたことは有難かったです。

選手の能力について、打者なら「長打力」「足」「選球眼」など、投手には「切れ」「制球」「安定」など、選手それぞれS~Eまでのパラメータがあり、プレイヤー自身でそのパラメータを自由に変更することができました。

そのパラメータの設定に様々な条件を作ったのが、「オリジナルチーム制作ルール」です

パラメータのSからEを点数(S=6点、A=5点、・・・E=1点)に置き換え、例えば

・「S」「A」は合計で14個以下、「E」は27個以下。
・「足」「長打」「切れ」「制球」「安定」各項目の合計が195点以下。
・守備力の「S」「A」は合計3個まで。1チーム合計で84点以下。

などいくつかの条件を設定し、そのルールに基づいてオリジナルチームを作るというものです。

この企画を見た瞬間、「これは面白い!!」と察知し、友達に声をかけ、出来れば6人でやりたかったのですが、それでも、私を含め5人でオリジナルチームを作りました。

なお、試合の采配はすべてコンピューターにお任せします。当時ペナントレースは今と違って130試合だったのですが、現代ならおそらく一瞬で結果が出るのでしょうが、初代の『ベストプレー』はなんとCOM同士の試合を早送りするスキップモードがなく、1試合ずつ再生する必要がありました。

とても全試合を見る時間などなく、どのように進めていたかというと、寝ている時も、そして学校へ行く時もファミコンつけっぱなしという荒業でした!

もちろんテレビは消してあるので画面は映っていないのですが、裏でファミコン本体がフル回転していました(苦笑)

記憶ではシーズンが終了するのに3日ぐらいかかっていたような気がしています。ただ、その間は気が気でなく、結果が気になって仕方がありませんでした。学校行く前に確認したら首位だったのに、帰ってみたら3位になっているとか(笑)

そしてシーズンが終わると、各選手の成績を確認し、パラメータを再度調整し、来シーズンに臨みます。

おそらく人生で最初のPDCAを実践した経験です(笑)

確か4シーズンぐらいやった後、COM同士の試合を早送りできるSKIP機能がついた『ベストプレープロ野球Ⅱ』で6シーズン、合計10シーズンをプレイしました。

結果は私のチームが、10シーズン中4回優勝を果たし、幕を閉じました。

ちなみに私は相撲が好きだったので、力士の名前をベースに「リキシッズ」というチームを作り、エースを当時の横綱「ちよのふじ」、抑えを「ほくとうみ」、開幕4番を「おおのくに」が務めていました。

友人5人がそれぞれ好きなものの名前をつけ、結果に一喜一憂する。
くだらないと言えばくだらないですが、すごく楽しかった記憶しかなく、過去のゲームの語る上では、外せない思い出となりました。

もし、オリジナルチームを考えている時間を勉強に使っていたら、ひょっとしたら一つ上のランクの高校、大学に行けていたのかもしれません(笑)

ただ、くだらなくても楽しい思い出が一つでも多い人生の方が、最終的には幸せなのかなとも思ったり・・・この記事を書きながら、そんな事を思っています。

おわりに

『ベストプレー』はファミコンで何作かマイナーチェンジを繰り返したあと、スーパーファミコン版の発売が予定されます。

しかし、結果的には、スーパーファミコン版は発売されませんでした。原因は、当時大ヒットした「ダービースタリオン」の製作が優先された影響と言われています。

もし、ファミコンでハマった勢いでスーファミ版が発売されていたら、未来の『ベストプレー』の運命も変わっていたのかもしれません。

その後、ゲームボーイアドバンスとPS2で発売されてそれぞれ買いましたが、ファミコン版ほどハマることはなく、私の『ベストプレー』はファミコン版の強烈な面白さと楽しさの印象で終わっています。

でも、このゲームをプレイして、手塩にかけて育てたチームへの”愛しさ”と、思い通りに人が動かない”切なさ”と、ペナントレースを勝ち取ったチームの”心強さ”を学ぶことが出来ました。

冒頭、初代フジテレビ社長の言葉を紹介しましたが、現実では叶わないプロ野球監督を体験できたこの作品には感謝しかありません。

『ベストプレープロ野球』の制作に携わってくださった皆様、素晴らしい作品を届けて頂き、本当にありがとうございました。

そして、令和の今、開発が中止になったスーファミ版の『ベストプレー』の開発の再開を心から願っております!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?