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サンサーラ ~人間1回目~
輪廻転生を信じますか?
輪廻転生とは、生命が何度も生まれ変わり、新しい生命に生まれ変わるというサンスクリット語でいうとサンサーラってやつです。
竹原ピストルさんの歌うサンサーラっていいですよね。味があって。
生命は幾度も生まれ変わっていく・・・
そうであって欲しいとは思うけれど・・・そんなことは実際に見たことも無いし、自分が何かの生まれ変わりだとも感じたことはなく、あの愛すべき両親の愚息でしかないと思うのです。
同じ年の人間でも、人は様々です。
例えば学校で、同じ話を聞いていたとして、一生懸命に聞き入ったとしても理解できない子もいるのに、一瞬ですべてを把握するかのごとく、知識を吸収してしまう優秀な子が存在します。
一方で、とんでもなく、どうしようもなく愚かな子も存在します。
金魚鉢に墨汁を入れてみたり、炊飯ジャーの温度を測ってみようと体温計を入れてみて、水銀(昔の体温計は水銀使ってたのです)をぶちまけたり。
あ、それ・・・私なのですけれど。
なんで同じ年なのに、なんでこんなにも違いがあるのでしょうか。
また大人になってからも、敷居の高い由緒正しい寺社の高僧などは世の中の森羅万象を司っているかのような威厳さえあります。
その高僧が、下手したら自分よりも年下ってこともあります。
私などちょっと考え事をしながら、片手間に風呂の湯を入れた時、なんということか風呂の栓を入れ忘れてしまい、あとで風呂に入ろうとしたら、すっからかん。なんてこともあります。
そのことを何度もことある事に嫁さんから馬鹿にされ、ムカついて逆ギレするなど、とてもアラフィフとは言えない情けなさです。
かの論語を説いた孔子は50歳で、天が自分に与えた使命を悟ったそうで「知名」と言うらしいです。
私の知名は、一体なんなんでしょう。
同じ50歳なのに・・・なんでこんなに違うのだろう・・・。
同じ年なのにこんなにも違うのには何らかの理由があると思うのです。
それこそが、輪廻転生なのかもしれないと気付いたのです。
人は何度も生まれ変わり、魂が磨かれていくもの、それはゲームでいうレベルアップをしていくものだと思うのです。
高僧などは幾度も幾度も生まれ変わり、レベル100。
子供の頃の頭がいいあの子もおそらくレベル10。
そりゃあ何度も聞いてりゃあ、話半分でもそりゃ分かるでしょ。
だって10回目だし。
こちとら初見だし。
そう考えてみると・・・人の違いが合点がいくのです。
高僧などはレベル100。
百回も生まれ変わり、魂を磨き、徳を積んできたのでしょう。
もう一方で、そう考えてみることで・・・私のミスなど
人間1回目なのだから、お風呂の栓を入れ忘れたとしても、そんなに私を責めないで欲しいと思うのです。
知名が舞い降りる前に・・・言い訳が舞い降りてきたようです。