逆襲のシャーク②【逆シ2】
海賊団<ブラッディ・シャーク>の元幹部、<ブラインド・オルカ>に拉致されたミオ救出へと動き出したミリィ、レーナ、アルフレッド、バートの4人。
街道を南下し、ようやく指定された難破船跡が見えてきたところで、アルフレッドとバートが一行を離脱し、気配を殺しながら海側の死角へと難破船を回り込む。
一方でミリィとレーナは陽動も兼ねて正面から堂々と近付く。そして難破船の目前で立ち止まり、ミリィが周囲を警戒しながら大声で呼び掛ける。
「指示通り<神の鳥>の羽を持って来たぞ! ミオを返せ!」
ややあって、船の横腹に開いた穴の中から3人の人物が姿を現した。
1人はミオだ。両手を縛られ、猿轡を咬まされている。彼女は魔術師だから、魔術の使用を警戒されているのだろう。もう1人はそんなミオの腕を掴んでいる、チンピラ風の男だ。
そして最後の1人。カルシファード風の衣装を身に纏い、木製の鞘に納めたカルシファード・ショート・ブレードを脇に差している。
特筆すべきは男の顔だ。両眼の部分に横一文字に刀傷が走っており、男は両眼を瞑っている。
……いや、「瞑っている」のではなく「潰れている」。男には、視力が無いのだ。
「……<ブラインド・オルカ>とは良く云ったものだね」
ミリィが、男の呼称の由来を理解する。
見た限り、どうやらミオは無事なようだ。外傷をさせられているような様子もない。
「羽は持って来たぞ! ミオを返せ!」
ミリィが先ほどの台詞を繰り返すと。
「待て! 羽を見せるのが先だ!」
そうチンピラが怒鳴り返す。だが、<ブラインド・オルカ>が。
「……大丈夫。持って来ているよ。右側の戦士風の娘かな? とんでもない魔力を抱え込んでいる」
掠れた声でそう呟く。
「……あいつ、魔力を感知出来るみたいだね。でも見えてないんだよね? どうしてあたしのことが判ったんだろう? 戦士風の娘だって」
ミリィがレーナに小声で話し掛けると。
「……見えなくとも、判ることは沢山あるのだよ。お嬢ちゃん」
<ブラインド・オルカ>が再び呟く。ぎくりとするミリィ。
その瞬間ーーーー!
気配を殺し、敵の背後に接近していたアルフレッドとバートが、2人同時に<ブラインド・オルカ>に不意打ちを仕掛けた! アルフレッドは延髄を狙った細刀による刺突攻撃を。バートは体勢を低くし、大型ナイフで足の腱を狙う!
ーーーーが。
<ブラインド・オルカ>は背後を振り返ることもなく、わずかな脚捌きでバートの刃を難なく躱す。そしてカルシファード・ショート・ブレードを鞘から半分ほど抜き、露出した刀身でアルフレッドの細刀をも受け止める!
「「な…………!?」」
異口同音に驚愕する2人。だが<ブラインド・オルカ>の注意がアルフレッドとバートに向いたこの一瞬に、拘束を解いたミオがチンピラを思いきり突き飛ばし、ミリィとレーナの方へ走った!
「莫迦な!? 魔法は使えなかった筈だ!?」
ミオが拘束を解いたことに驚いたチンピラが、ミオを逃がした自らの失態を誤魔化すかのように怒鳴り散らす。
「縄抜けくらい、魔術を使わなくても出来るでしょ? 親指の関節を外せば良いだけの話じゃない?」
とは、レーナ師匠の言。
「お店の客引きイベントの、びっくり人間ショーのために師匠から叩き込まれた脱出手品が、まさかこんな場面で役に立つとはね!」
ミオの台詞。一体何を学ばされているんだか。
「何事も覚えておくものよ」
確かに。
無事逃げきったミオがミリィの元へ大きく跳躍し、ミリィがミオを抱き止める。これで当初の狙い通り、人質は取り戻した。予定通りでなかったのは…………。
「……気配を殺していたつもりだろうけどね。丸判りだよ。兄さんたち」
掠れた声で呟く<オルカ>。計画では、2人の攻撃で<オルカ>に少なくとも手傷を負わせている筈だった。
「何で判ったんスか?」
軽口を叩くバート。すると。
「……気配の殺し方はなかなかだったと思うよ。けど、いくら足音や呼吸音を抑えたところで、運動に伴い筋肉が軋む音や、心臓の鼓動音を消すことは出来ないだろう?」
しれっととんでもないことを云ってのける<オルカ>。
「やれやれ。どんだけ耳が良いんスか?」
冷汗をかきながら、なおも軽口を叩くバート。アルフレッドとともに、ミリィたちのところまで後退する。
「だが人質は取り戻した。これで貴様らに羽を渡す理由は無くなったな」
アルフレッドが宣言をする。だが<オルカ>は。
「……さあ。それはどうかな? こちらの目的は最初から羽を『持って来させる』こと。持って来さえすれば、後は力尽くで奪えば良いだけだからねえ」
そう掠れ声で呟き右手を挙げる。するとそれを合図に、難破船の中から次々と海賊の戦士たちが姿を現す。下っ端戦闘員とは云え、その数およそ20人。加えて<オルカ>。どう考えても、5人で相手に出来る人数ではない。
「……悪いが死んで貰うよ」
<オルカ>の呟き。貌には嘲笑が浮かんでいる。
手下の海賊たちも同様に、下卑た薄笑いを浮かべている。尤も彼らの大半は、ミオやレーナの豊満な肢体を舐(ねぶ)るように眺めてのことだが。
だがその時既に、一行の最後尾でレーナが魔術の詠唱と動作を終えようとしていた。気付いたのは、怖らく<オルカ>だけだ。
ーーーーと。
海賊たちが密集する場所全体を覆うように、地面から3メルーほどの空中に薄い黒雲が垂れ込めていた。そしてその黒雲から地面に向けて、まるで豪雨のように稲妻が降り注ぎ、荒れ狂った!!
「ーーーー《稲妻の嵐(ライトニング・スコール)》」
《爆炎舞(バースト・ロンド)》、《氷剣連撃(アイシクル・ダガーズ)》と並ぶ、対集団用の精霊系直接攻撃魔術だ。
……魔術が収まった時、海賊たちの殆どは絶命していた。わずかに生き残った者も、電撃のせいで躰が麻痺し、身動きひとつ取れない。
無事だったのは魔術の発動前にいち早く効果範囲外へと移動していた、<オルカ>だけだった。
「……やってくれたねえ。お蔭で数の有利が無くなってしまったよ」
<オルカ>が恨み節を零す。
「そちらこそ、まさかこの魔術を回避されるとはね。一撃で終わらせるつもりだったのだけれど」
レーナも感心したように云う。
「……今の魔術、憶えがあったからねえ。王国宮廷魔術師団<叡智の源泉>の長アズバン。……確か奴の魔術だったんじゃないかな? あれには参ったよ。お前さん、アズバンの弟子かい?」
<オルカ>が、ロベールで最高の権力と最強の魔術の実力を有する魔術師の名に言及する。やがて。
「……そうか。お姉さん<天才児>レーナだろ? アズバンの弟子の中で最強の素質を持ちながら、権力にも魔術を極めることにも一切興味を持たず、アズバンの後継も拒み遊び歩いていると云う、師匠泣かせの問題児」
<オルカ>が顎に手を当て、記憶を辿るように確認する。
「いかにも。私レーナは自由を何より尊び、愛する女。労働なんて面倒なことは師匠や弟子に押し付けて、金とイケメンに溺れる人生を愉しむのよ」
レーナが豊かな胸を張って答える。
「あ。この人駄目な大人だ。人として駄目なやつだ」
「そうなんだよ。ごめん」
レーナの言動に思わずツッコむバートと、そのツッコミを見事に回収するミリィ。ミオは恥ずかしそうに顔を伏せている。
「さて、露払いは済ませてあげたわよ。<オルカ>1人だけなら、貴方たちだけでも何とか出来るわよね。見守っていてあげるから、やってみなさい」
そう云いながら、近くの岩場に腰掛けるレーナ。口ではこんなことを云っているが、《稲妻の嵐》の魔力消費はそうとうなものなのだ。今は魔力が枯渇し、回復には暫く時間が掛かる。
若者たちに、託すしかないのだ。だがそのことに気付いているのは、この場ではミオ1人だけだろう。
だからミオは、あえてこう云い放った。
「せっかく師匠がボクたちに任せてくれるって云うんだ。ボクたちなら出来るってことさ。その期待には、応えないとね」
「……舐められたものだねえ。ガキどもだけで、あたしをどうにか出来るとでも? こいつらが死体になってから後悔しても遅いのだよ?」
<オルカ>の台詞は、レーナに向けられたものだ。
「舐めてるのはアンタの方よ。心配は要らないわ。私の弟子たちは誰ひとり欠けることなく、アンタを斃す」
レーナが、大見得を切った。
「……そうかい。それじゃま、試してみるとするかねえ」
そう云った、次の瞬間ーーーー。
<オルカ>の気配が変わった。その表情から、薄笑いが消えていた。その細い躰から、とてつもない圧が押し寄せる。
もしもこの場に危険を報せる第六感の持ち主が居れば、全力で逃げろと警鐘を鳴らしていただろう。
ミオが、アルフレッドとミリィに《倍速》の魔術を施す。そして2人同時に<オルカ>へと攻め掛かる!
<オルカ>が一の攻撃を繰り出す間に二の攻撃を与えられる。それが2人。つまり四の攻撃だ。
それなのにーーーー。
<オルカ>はアルフレッドの攻撃を二度ともカルシファード・ショート・ブレードの刃で受け止めた。そしてミリィの斧はすべて躱している。
当たらない。二倍の速度でも、当たらない。
ミリィが、防御を棄てた。全力を攻撃のみに注ぎ、攻撃の回転を上げる。更に倍だ。1人で四の攻撃。アルフレッドと合わせ、実に六の攻撃。
だがーーーー!
当たらない。<オルカ>の眼は視えていない。それでも躱し続ける。そればかりかーーーー。
ざしゅっっ!!
抜刀の一閃!! 防御を棄てたミリィには回避出来ない。腹部を、深々と斬り裂かれた。
「がはっっ!!」
倒れるミリィ。
「ミリィ!!!!」
悲鳴を上げ、ミオが駆け付ける。治癒魔術の詠唱を始める。
「強い……!!」
歯噛みするアルフレッド。光、闇、幻覚。彼の魔法は相手の視覚に訴えるものが殆どだ。盲目の<オルカ>に、効果は期待出来ない。
加えて部下をすべて失い、これだけの敵に囲まれてなお揺るがない胆力。精神に効果を及ぼすバートの魔法も、通用しなさそうだ。
正攻法での剣技、それも二人掛かりが通用しないとなると、はっきり云って手詰まりだ。
「……何故、攻撃が当たらないんだ?」
アルフレッドの独言。するとそれを拾った<オルカ>が。
「……眼は視えずとも聴こえるからねえ。お前さんがたの足音、呼吸、心音、鎧の軋む音、武器の鍔鳴り、躰と空気の摩擦音。それらすべてがお前さんがたの身長、体重、武器の形状、間合い、位置、体勢、動き、考えを教えてくれる」
そう語る<ブラインド・オルカ>。
「……化け物め」
苦しげな息の下、ミリィが悪態を吐く。
ーーーーそこまで『音』に依存していると云うのなら。
アルフレッドは作戦を思い付いた。《作音》の魔法を発動する。種々の無意味な雑音が、一帯に満ちる。
(この雑音の中でなら! 盲目の奴にとっては目眩ましに等しい筈だ!!)
アルフレッドは気配を殺し、雑音の中細刀を構えながら慎重に<オルカ>に近付く。がーーーー。
ひゅんっっ!!!!
<オルカ>のカルシファード・ショート・ブレードの横薙ぎの一閃が、アルフレッドの喉元を正確に掠めた。アルフレッドがあと一歩踏み込んでいたら、首と胴体が泣き別れていただろう。
慌てて後退るアルフレッド。そんな彼に<オルカ>が掠れた声を掛ける。
「……そんな手はさ、これまであたしと闘った誰しもが思い付いたさ。……あたしはね、自分が聴くべき音を選り分けることが出来るのさ」
(ーーーーただ耳が良いだけじゃない! 奴の耳は、指向性の聴覚!)
何一つ通用しない。アルフレッドの頬を、冷たい汗が伝う。
「……おいおい。まさかもう手詰まりなのかい? 威勢は口だけだったのかな? もし他に打つ手が無いと云うのなら……」
<ブラインド・オルカ>は、凄絶に笑った。
「……死んで貰うとするかねえ」