逆襲のシャーク⑦【逆シ7】
時間を僅かに、遡るーーーー。
レーナとミオ、師弟の会話。
「判ったでしょミオ。超速での再生を繰り返す触腕への攻撃は無意味。とは云ってもなまなかな攻撃は、分厚い触腕の壁に阻まれてしまい彼女の本体には届かない。今必要なのは、どんなに厚い防御をも突破する高出力の一撃」
「師匠、それって……」
「そう。あの魔術しかないわ。貴女が使うのよ、ミオ」
レーナの宣告。
「そんな! あれはアズバン大師匠の魔術でしょ!? あんな精密な魔術、ボクには無理だよ。師匠が使うべきじゃ……?」
驚くミオ。だがレーナは。
「良い? あの魔術には強い集中と、精密な制御が要る。集中の間、私は全くの無防備になるわ。貴女には、その間の私を敵の触腕攻撃から完全に護りきることが出来るの?」
「それは…………」
無理だ。
「私なら護りきれるわ。だからあの魔術は、貴女が使うしかないのよ、ミオ」
「そんな……」
「大丈夫。魔術構造式の組み上げは既に完了しているし、やるべきプロセスも頭の中に入っているでしょ? 後はただそれを実践するだけよ」
それでもミオ、自信無さげに暫し逡巡していたが、やがて。
「…………判った! やるよ! 師匠」
「良い子ね。さすがは私の弟子」
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バートにだけ聴こえる小声でレーナが告げる。
「今から3分だけ時間を稼いで。そうしたら、後はミオが何とかするわ」
バート、唾をごくりと呑み込むと。
「………………やってやるっスよ」
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覚悟を決めたミオ、《電光》の呪文を詠唱する。
ミオの両掌の間に電気エネルギーの塊が生まれる。これを敵に向けて放つのが《電光》の魔術だ。だがミオはそうはしない。
掌の中の《電光》に、更に《電光》を重ね掛けする。本来ならあり得ない術式だ。電気の力が暴走し、今にも弾け爆発しそうだ。
だがミオは、暴れ回る力を必死に制御し、抑え込んでいる。それだけではない。そこに更なる《電光》を重ね掛けしている!
暴走する電気エネルギーを制御しつつ、次々と《電光》の魔術を重ね掛けしてゆく。やがて、限界まで圧縮された電気エネルギーの塊は黒色の輝きを放つ。
今にも周囲のすべてを巻き込み破裂しそうな電気エネルギーを制御し続けるミオ。全身に脂汗が浮かび、両掌は焼け焦げ始めている。だがミオは、怖ろしいほどの集中力で魔術を完成形へと近付けていく。
暴れる力を、一点の方角へと集束させていく。その先に居るのは、<カトル・フィッシュ>。
ぎりぎりと、まるで弓を引き絞るかのように力に方向性を付与してゆく。
<カトル・フィッシュ>の吐いた黒液がバートの顔面を直撃し、悶絶させる。
更に背後から近付いたアルフレッドに対し、発光能力でその視力を奪う。
倒れたふたりに対し、触腕刺突の構えに入る<カトル・フィッシュ>。
ーーーー今だ!!!!
ミオは、暴れ狂う電気エネルギーを制御する、その手綱を手放す!
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《貫く雷神の槍(エレアラズ・ジャベリン)》。
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ーーーー解き放たれた雷の塊は、文字通り稲妻の速度で真っ直ぐ<カトル・フィッシュ>に向け飛来し。
だから、意識的にか無意識にか、咄嗟に電光の進路を幾本もの触腕で防御した<カトル・フィッシュ>の反応速度には、驚嘆を禁じ得ない。
ーーーーだが。
高密度に圧縮された雷の槍は、分厚い触腕の壁をものともせず、まるで紙の楯の如く容易に貫き。
<カトル・フィッシュ>の胸部中央に、風穴を開けた。
「な…………に…………?」
闘いは、決着したのだったーーーー。
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「終わった…………スか?」
バートが、眼が見えないながらも闘いの終焉の気配を感じ取り、誰にともなく問う。
「ふたりとも、大丈夫!?」
ミオが慌ててアルフレッドとバートの許へ駆け寄り、ふたりを癒そうとする。が。
「痛っ!!」
ミオは魔術への集中のあまり気付いていなかったが、彼女の両掌は焼け爛れ皮膚がめくれあがり、重度の熱傷を負っていた。魔術を完全には制御できていなかった、その代償だ。
「貴女、その手じゃ魔術の行使は無理でしょう?」
云いながらレーナがやって来て、ミオの掌を治癒魔術で癒す。続けてバートの両眼に《解毒》の魔術を施す。
「やあ、良かった。どうやら失明は免れたみたいっス。ありがとうございます、レーナ師匠」
「坊やたちこそ、見事に時間を稼いでくれたわね。礼を云うわ」
レーナがバートとアルフレッドに声を掛けると。
「あ、やっぱりそう云うことだったんだ?」
とアルフレッド。彼はレーナの指示を直接聞いた訳ではないが、バートの言動から何となくの目的を察していたのだ。
「それにしても、凄い魔術だったね。ミオ、あれは一体……?」
アルフレッドがミオに問うと。
「あれは、師匠の師匠であるアズバン大師匠の魔術だよ。大師匠は雷にまつわる魔術が得意でね。前に<オルカ>と闘った時に師匠が使った《稲妻の嵐(ライトニング・スコール)》、あれもアズバン大師匠の魔術だよ」
「へえ……。凄いじゃないかミオ。大師匠の魔術を会得しているなんて」
「ボクなんてまだまだだよ。実戦で成功したのは初めてのことだし。制御が上手くいかなかったからこちらの掌も大きなダメージを負ってしまった。これでは次の魔術を使うことが出来ないし、何より発動までに時間が掛かり過ぎた」
アルフレッドの称賛にも、次々と反省点を挙げるミオ。
「そ、そうか……」
面喰らうアルフレッド。だがーーーー。
「……アズバンの魔術……。まさか、レーナの他に使い手が居たとはな…………」
地面に横たわった<カトル・フィッシュ>が、ぼそりと呟く。
「そうよ。この場に居たのはアズバンの弟子だけじゃない。アズバンの孫弟子も居たのよ」
両手を腰に当て、レーナが偉そうに宣言する。
「私の弟子は、優秀でしょ?」
「……ああ。確かにな…………」
そう云って<カトル・フィッシュ>は眼を瞑り、薄く笑う。
「待て! 定期船を襲っていたと云うイカの怪物は、貴女の差し金か!?」
アルフレッドが<カトル・フィッシュ>に問うと。
「……そうだ。お前たちをこの島から出さず、足止めするために、な……。私が死ねば、あれに掛けられた支配の呪縛も解ける……。程なく、海に還るだろうさ……」
「そうか……」
安心するアルフレッド。
「<オルカ>に続いて私まで敗れるとはな……。こうなるともう、<ブラッディ・シャーク>の幹部は殆ど残っていない……。組織の復興は怖らく、無理だろうな……」
大して残念でもなさそうに、<カトル・フィッシュ>が云う。
「組織の復興……。それが本当に、命を懸けてまで成したかった貴女の望みなのか……?」
哀しそうに、アルフレッドが問うと。
「さあ……どうだろうな? 今となっては最早良く判らん。案外、<オルカ>の仇を討ちたい、と云うのが本音だったのかもな……。私はどうやら自分で思っていた以上に、あの男に惹かれていたようだからな……」
そう自嘲気味に呟く<カトル>。死を間近にしてようやく、己の本心を口に出せたことへの、それは自嘲だった。
それを聞いたアルフレッドが。
「僕だ。貴女の大切な人に一騎打ちを挑み、その命を奪ったのは、僕なんだ」
自身が<ブラインド・オルカ>の仇であることを、その相棒に告白する。
「そうか……。あいつは一騎打ちで敗れたのか……。それはさぞかし本望だったろうな……。あいつは女なんかより、闘いが生き甲斐だった奴だからな……」
<カトル・フィッシュ>が笑う。今度は自嘲ではなく、何か吹っ切れたような笑いだった。
「憎くないのか……? 貴女の愛する人を奪ったこの僕が。憎んでいいんだぞ? 貴女には、その権利がある」
アルフレッドが云う。何処か、必死な様子で。だが。
「あの男は……<オルカ>は、死の間際に、わずかなりとお前に対して恨み憎しみを抱いていたか……?」
<カトル・フィッシュ>が逆に問う。
「いや…………。褒めて貰った」
「だろう? であればなおのこと、私にお前を憎む理由は無いよ。あの男の我儘に付き合わせてしまって、悪かったな」
<カトル・フィッシュ>は、優しく笑った。
そしてその笑顔のまま、<カトル・フィッシュ>は息を引き取ったーーーー。
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それから後のことは、慌ただしくてあまり憶えていない。
シュナイ神官に連絡を取り、<カトル・フィッシュ>の遺体を引き取って貰った。
「たった数日で<ブラッディ・シャーク>の大幹部を2人も斃すとか、どんだけ出鱈目な人物なんですか貴方は?」
と、シュナイ神官に呆れられたことは憶えている。
ガヤン神殿からは<カトル・フィッシュ>討伐の報奨金が出たが、それがまた莫大な額だった。だがそれだけではない。
定期船の航路を塞ぐ巨大イカを退治するため、リャノ神殿が報酬を用意して冒険者を募っていた。だが実際には、冒険者たちが集まる前に巨大イカは姿を消した。イカの行動を支配していた<カトル・フィッシュ>を、アルフレッドたちが斃したためだった。
そのためリャノ神殿からの報酬も、アルフレッドたちに支払われることとなった。ガヤン分と合わせてあまりの額の大きさに、バートが少々ヤバめのテンションになっていた。
「あと数日もすれば、貴方たちはロベールではすっかり有名人ですよ」
とはシュナイ神官の弁。<ブラッディ・シャーク>幹部討伐の功績は、ロベールに於いてはそれほどまでに大きなものらしい。
「それは困るね。そうなる前に僕たちはこの島を退散させて貰うよ」
そして、定期船の発着する小港街へとやって来たアルフレッドとバート。今度こそ、ロベールとはさよならだ。
今回はミオ、ミリィ、レーナ、そしてシュナイ神官も、わざわざ港街まで見送りに来てくれた。
「色々ありがとうミオ。今回もとても助かったよ」
「そんな。助けられたのはこちらの方だよ。ボクはもっと強くなる。だから、また逢いに来てね」
「僕もだ。僕ももっと強くなる。その手掛かりを探しにエクナ島へと向かう。必ずまた逢おう」
ミオとアルフレッドは、固い握手を交わした。
ーーーーやがて、アルフレッドとバートを乗せた船は港を出航した。
「ボクはまだまだ力不足だ。次にあのふたりと逢った時に足手まといにならないよう、ボクを鍛え直してください、師匠」
「目標が出来たのは良いことね。良いわ。一から鍛え直してあげる。覚悟なさいな」
レーナとミオ、師弟の会話。
「あたしも鍛冶師としての腕を磨くよ。勿論、戦士であることも辞めるつもりはない。次に彼らと再会した時、何も変わってないとは思われたくないからね」
ミオとミリィが、それぞれの決意を表明する。
アルフレッドとバート、ミオとミリィ。次なる再会の時まで、暫しの別れであったーーーー。