エクナ鼎乱篇⑥
水壁創造の一角<緋色>の死亡により、海面がその隆起を維持できず、元の高さに戻ろうとしていた。
「さて、これでエクナ島へ向かえるようになった訳だけれど……」
フルーチェがエクナ島があるであろう方角を見据え、ひとりごちると。
「そのことなんですが、フルーチェさま、これから他国の救援に向かうことを提案いたします」
モナリが挙手をし、発言する。
「このままエクナには向かわないの? 何故?」
フルーチェがモナリに返す。疑問、と云うよりは確認だ。どうやらフルーチェも同じことを考えていたらしい。
「水の壁が破れたとてそれはまだベルリオース方面の1枚だけです。エクナが袋小路であることに変わりはありません。もしも進攻後にこの壁が再生されたら、囚われ孤立するのは私たちの方です。ここは、可能な限り他国と足並みを揃えるべきかと」
モナリの回答。
「そうね。概ね賛成よ。それでロベールとシスターン、どちらに向かう?」
「ロベールの海軍力は三国随一です。あの国は心配要らないでしょう。私たちは海洋軍事力を持たないとされるシスターンの支援に向かうべきかと。新しい宮廷魔術師さんともお話してみたいですし」
「了解よ。貴女たちはこのまま転進して水壁沿いにシスターン方面へ向かいなさい。私とヨクはこのままエクナ島へ向かい、アルフレッドやバートとの合流を目指すわ」
そう云うとフルーチェとヨク、来訪時と同様再びギガント・シーガルの両脚に掴まる。羽ばたきとともにシーガルが宙に浮き。
「フルーチェさま! ヨクさま! お気を付けて!」
「アンタたちもね! くれぐれも油断するんじゃないわよ!!」
ギガント・シーガルはエクナ島を目指し飛翔する。フルーチェたちとベルリオース王国勢。両者の道は、再び分かたれたのだったーーーー。
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ギガント・シーガルとの暫しの空の旅。やがてフルーチェたちは、エクナ島上空へと到達する。
「フルーチェ。アレを見てクダサイ」
ヨクが指差した先。不自然に霧に覆われた一帯が上空から見て取れる。
「怪しさ大爆発ね……。間違いなくマルホキアスたちはあそこに居るわね。あの霧、どう見ても自然のものじゃないわ。けど魔法……とも違う。なんだろう?」
「とりアエず、近付いてみマセンか?」
ヨクの提案にフルーチェも頷き、シーガルに降下をお願いする。
「毒や有害物質の類ではないようね」
霧の海域まで降下した後、フルーチェが実際に霧に触れて確かめる。
「中に入っテみまショウか?」
「そうね」
シーガルがゆっくりと慎重に、霧の中へと突入する。
「これは……!!」
霧の中の光景に、驚くふたり。
そこは船の墓場よろしく、数多の船が漂流していた。しかもそれらの船はすべて同じ形状、前衛的で現在の船舶には見られないデザインだった。
「これではっきりしたわね。この霧もこの船たちも、すべて幻術の影響下にある」
「だトスルと、とてツモナイ規模の幻術デスね。術者は何処でショウか?」
ヨクの疑問に、フルーチェは瞑目し<波動>の気配を探る。
「……魔術による幻覚じゃないから、気配がつかみにくいのよね……。複数の気配……。これは……海中? 喫水線の下……船底かしら?」
「船底で幻術と云えバ、ひとつ心当たりがありマス」
「心当たり?」
「霧影、と云う名の海の魔物デス。甲殻ト無数の触手を持ち、船舶や大型海洋生物に取り付いテ幻覚を見せて惑わセ、獲物が弱ったところで捕食しマス。ただ、知性が低いためコレほど組織的で複雑な幻覚を作れるトハ思えマセンし、調教も難しいデス」
「なるほど霧影か……。知性とか調教とか、そのあたりは魔法的な生体改造で何とかなりそうね」
「改造? ソンなことガ、可能なのデスか?」
「敵の中にレモルファスって奴が居るって話を憶えてる? 優秀な魔法技術者らしいから、そいつなら可能かも知れないわ。能力を向上させ、何らかの手段で無理矢理支配し従えているんでしょうね」
「無理矢理従エ……」
ヨクが顎に手を当て、何事か考え込んでいる。
「それにしても、どの船からも魔力の気配をまるで感じないわ。アルフレッドたちが既にドンパチを始めているのだとしたら、よほど強力な感知防御が施されているのね。彼らはいったい、どうやって本物の敵本拠船を見破ったのかしら?」
フルーチェが頭を捻ると。
「敵のそれを遥かに凌ぐ魔力によっテ、感知防御を掻い潜ったのでショウか?」
「敵を遥かに凌ぐ魔力……」
ヨクが何気無く口にしたそのフレーズで、フルーチェの頭に思い浮かぶ人物が1人あった。
3年前のベルリオース王城会議。十年戦争終結の英雄アザリーとイザベラの横で、目立たぬよう佇んでいた人物。
(魔術師レクォーナ……!)
出自や素性は一切不明のその人物は、思い切り魔力の気配を抑えていた。そのため彼の正確な実力は判らない。判らない、が。
根拠の無い憶測に過ぎない。すべてはフルーチェの妄想かも知れない。が、フルーチェは彼に底知れない『何か』を感じていた。
フルーチェがこれまでの人生で出逢った中で最強の魔術師は師匠であるロアだった。だが。
(ことによるとあの男、婆(ババ)ロアさまより強いかも知れないわね)
あの男なら、強力な感知防御を意志の力で貫いて、<破滅の預言者>の本部船を発見し得たのかも知れない。
「いずれにせよ、私にはそんな真似は無理。幻術を何とかして、本物の本部船を発見するしかないわね」
溜息を吐くフルーチェ。云うは易いが、その手段が思い付かない。
そんなフルーチェの様子を見詰めていたヨクが。
「……幻術は、私の方デどうにか出来るかモ知れマセン」
「ホント!? どうするの!?」
するとヨク、やおら真顔になり。
「……今から私ガ行うのハ、オキアの民の中デモ一部の者にシか行えナイ秘儀。本来なラ、一族の者以外にハ見せることすら禁忌、デスが……」
ヨクはそこで、フルーチェに向けて微笑むと。
「貴女はオキアの民全体をペリデナ女王の支配かラ救ってくレタ恩人デス。そして私個人にとっテも家族同然ダ。貴女になラ見せたとシテも、何も問題はナイでショウ」
「ありがとうヨク……。それで、私に何か手伝えることはある?」
フルーチェの問に。
「私ガ今カラ大きな声デ叫びマス。それも水ノ中デ。その声をこの海域一帯に届けタイのデスが、可能でショウか?」
「水中で声を……? ええ。《水中呼吸》と《拡声》を組み合わせれば可能だと思うわ」
「でハ、お願いしマス」
ーーーーヨクはまず、オキアの民に伝わる独自の呼吸法で大きく息を吸い、止める。
次にフルーチェが、ヨクに2つの魔術を施す。
最後にふたり揃って海中へと没し、そしてフルーチェに躰を支えられながらヨクが思い切り叫ぶ!!
…………………………。
「ぷはっっ!!!!」
ふたり揃って海面に顔を出し、大きく息を吸って酸素を求める。まあヨクはフルーチェの魔術で《水中呼吸》が出来る訳だが。気分の問題だ。
すると、不思議なことが起こった。
辺り一帯に重く垂れ込めていた深い霧が、フルーチェたちの居る位置を中心に同心円状に、どんどんと晴れていくのだ。
それだけではない。フルーチェたちの近くに在る船から順番に、その姿を変えてゆく。施されていた幻覚が剥げ、本来の姿を顕しているのだ。
「これは……!? ヨク、いったい何をしたの?」
「[解放の雄叫び(ワイルド・ロア)]デス。オキアの民の中デモ限られた者ニシか使えナイ特殊能力デ、彷徨いの月信仰の名残、トモ云われていマス。先祖還りのヨウなものデスね」
「[解放の雄叫び]?」
「ハイ。自らの意思に依ラズ支配されている動物ガこの声を聴くと、その支配カラ解放されマス。元々は、パートナー動物との契約の最終段階に於イテ、動物の意思確認をするタメに使われマス。真に自らの意思デその人間との契約を望む動物ナラ、この声を聴いてもパートナーの傍を離れることハありマセン。デスが……」
「何らかのインチキで無理矢理動物を従えている場合は、この声を聴いた途端その支配から解放され逃げていく……。つまり、《動物制御》なんかの効果を強制的に解除する能力、と云うこと?」
「そう云うことデス」
そう云って微笑むヨク。
「フルーチェが、奴ラが霧影を『無理矢理支配し、従えている』と云ったのヲ聞いテ、思い付きマシタ」
「そうか。霧影たちは強制支配の状態から脱し、幻術を放棄して皆逃げ出しているのね? だから声が届くのが早かったこの近くから順に幻覚と霧が、消えていっている……」
フルーチェとヨクはギガント・シーガルの脚に掴まり再び空へ。《水破壊》で濡れた服と体表を乾かし、改めて下を見る。
とうとうすべての船の幻覚が解除された後、1隻だけ今までと姿の変わらない船があった。
「あれが、本物……!」
「行きマショウ、フルーチェ」
ヨクの合図で、ギガント・シーガルは『本物の』本部船甲板に向け、降下を開始するーーーー。
やがて、シーガルの脚から手を放し、甲板上へと着地するフルーチェとヨク。
「この船は危険デス。近くの船に止マルか、この近辺を旋回していてクダサイ」
ヨクの言葉に従い、本部船から離れるギガント・シーガル。ヨクはそれを見送ると、フルーチェに問う。
「どうデス? 何か感じマスか?」
「ええ。大きな魔力が2つ。こいつはきっとレモルファスとマルホキアスね。どうやら鉄壁の感知防御も、船に乗ってしまえば関係無いようね。……それにしても、やっぱり生きていたのねマルホキアス! アザリーは奴の死を最後まで疑っていたけど、どうやら彼女が正しかったようね」
「ドチラに向かいマスか?」
「当然! マルホキアスよ! ベルリオース内乱の黒幕、借りは返すわよ! 今度こそ息の根を止めてやる!」
気合いとともに、船内に向け駆け出すフルーチェ。その後を油断無くヨクが追う。
……フルーチェとヨクも参戦し、闘いは、新たな局面を迎えるーーーー。