BRIDGE④~王宮にて~
<魔神封印の螺旋塔>を後にしたバートは、危険な砂漠地帯を渡る。
だが何故だろう。3年前は命懸けだったこの砂漠の横断。今のバートは不思議と何の恐怖も感じてはいなかった。
彼が歩んだその後に、何の足跡も残っていない。柔らかな砂の上を歩いているにもかかわらず、だ。
砂漠の獰猛な蟲や怪物の、すぐ真横を歩いて通過するバート。それらはバートの存在に気付きもしない。バートの気配遮断の技術が、もはや異次元の領域に達していた。
こうしてあっと云う間に砂漠の横断を成し遂げたバートは、王都へと向かう。
タマット最高司祭が口にした『始まりました』。あれはバートにだけ判る符牒だ。つまりは、<破滅の預言者>が活動を再開したのだ。最高司祭が己の持つ情報網を駆使して、その事実を突き止めてくれた。
更に最高司祭の情報に依れば、アルフレッドはこの3年エクナ島を動いていない。ガヤン中央神殿にてプリメラ高司祭との修業を継続中らしい。だから、バートが向かうのはエクナ島だ。
だがその前に王城に立ち寄って、ビナーク王やフルーチェたちに報告と警告をしておこうと考えたのだ。その後王都の港から定期船でエクナに航っても、遅くはない筈だ。
王都に入ったバート。そのまま真っ直ぐ王城へと向かう。素直に名乗って申請すれば、抵抗軍の英雄たるバートなら、すぐに入城を許可される筈だ。
だがここで、バートの悪戯心がむくむくと頭をもたげる。自分の<忍び>技術が何処まで通用するのか、試してみたくなってしまったのだ。
バートは気配を絶ち足音を殺し、そっと城内に潜入する。見付かってしまったらその時は、土下座して謝罪しようと考えていた。
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(これ…………、まずいんじゃないスか?)
<忍び>技術を駆使してベルリオース王城への潜入を試みたバートーーーー。
発見されることもなくあれよあれよと云う間に、もはや洒落では済まない王宮の深奥にまで到達してしまったーーーー。
ここまで来ると、もはや謝って赦して貰える限度を超えてしまっている気がする。
かくなる上は、知り合いを探して事情を説明し、勘弁して貰うより他なさそうだ。
(…………お?)
王宮の深奥をこそこそと進む。と、少し豪華な両開きの扉を見付けた。扉の左右には2人の衛兵が陣取っている。いかにも重要人物が居そうな部屋だ。
だが、その部屋の中の人物の気配に、バートは憶えがあった。
(この気配……。たぶん、モナリちゃんっスね)
モナリーーーー。かつての抵抗軍の一員であった魔術師の少女だ。
抵抗活動当時、彼女は未成年だった。『未成年の少女に人殺しはさせられない』との皆の配慮で直接戦闘に駆り出されることはなく、抵抗軍総参謀フルーチェの事務補助や、連絡係を担ってくれていた。
王権奪還後は、宮廷魔術師就任を嫌うフルーチェによって、王政府の仕事のイロハを叩き込まれていた。フルーチェが自分に代わり、モナリを正規の宮廷魔術師に就任させるためである。
(そう云えば、あれから3年経ったんスね)
それだけの時間が経過していれば、モナリが正規の宮廷魔術師に任命されていてもおかしくはない。
(こんな豪華な部屋をあてがわれるなんて……。やっぱ宮廷魔術師は違うっスね)
何にしても助かった。モナリに事情を説明して、口を利いて貰おう。
バートは《集団眩惑》の魔法で2人の衛兵の知覚を一瞬だけ閉ざす。
そして音を立てぬよう扉を開け、そっと室内に侵入する。
「モナリちゃ~ん、居るスか……?」
バートが小声で呼び掛ける。すると広い部屋の中の、更に別室の扉が開き、中から1人の女性が姿を現した。
ーーーー魔術師特有の雪色の純白髪に紅玉色の瞳。背は3年前に比べて少し伸びたか。
かつての野暮ったい魔術師のローブではなく、質素だが高級そうな仕立てのドレスに身を包んでいる。
薄く化粧をしたその姿は、見違えるほどに美しかった。
「たった3年で……。女は化けるモンっスね」
バート、思わず口笛を吹いてしまう。
「……バートさん!? どうしてここに!? いらっしゃるなんて話、聞いていませんが……」
と、そこでモナリ。何かに気付いたかのようにジト眼になり。
「まさかとは思いますけど……、こっそり侵入して来たんじゃあ……?」
「え~と、あはは……。その、オイラの<忍び>技術が何処まで通用するものか、ちょ~っと試してみたくなっちゃったりなんかして……。あはは」
バート、汗をかきながら後頭部を掻く。
「それで、誰にも見付からずにこんな処まで忍び込んで来た、と云う訳ですか……。色々な意味で問題が山積みです」
ジト眼のまま溜息を吐き、呆れたように云うモナリ。と、その時。
「王妃さま! 何者かの話し声が聴こえたのですが、どうかなさいましたか!? 失礼いたします!」
と云って、衛兵2人が扉を開け、室内へと入って来る。そしてバートの姿を認めると。
「曲者!? おのれ何奴!?」
そう云ってバートに槍の穂先を向けてくる。当然の反応だ。
「待ってください。この方は陛下と私の友人です。ご心配には及びません。どうか武器を納めてください」
と、モナリがバートを庇う。
「陛下のご友人……ですか? ですがそんな話は、聞いておりませんが……?」
なおも訝しげな衛兵。仕事熱心で優秀なようだ。
「それは…………当然です。この方は、城の警備体制の調査(セキュリティ・チェック)のために私がお呼びしたのです。抜き打ちで、城に潜入して貰いました。何処まで潜入したところで警備の者に発見されるか、試して貰ったのです。それで、私の部屋にまで辿り着いたのです」
モナリが咄嗟に嘘を吐く。が、その話を鵜呑みにした衛兵たちの貌は、真っ青になっていた。
当然だ。自分たちが守る部屋への侵入を許しているのだから。
「何にしろ、ご報告のため今から陛下にお逢いします。お取次ぎをよろしくお願いします」
「か、かしこまりました!」
モナリの言葉に衛兵たちは、一目散に部屋を退室する。
「さっすが王妃さま。……ん? 王妃さま? え? 王妃さま!? え、えぇぇええええ!!!?」
衛兵の台詞にバート、仰天して大きな声を上げてしまう。
「ご存じなかったのですか? てっきり知っているものと……」
何故今まで気が付かなかったのだろう? 確かにモナリは髪に宝冠(ティアラ)を差し、そして左手の薬指には美しい宝石をあしらった指輪を填めている。
「でもまあ、バートさんの驚いた貌などと云う珍しいものが見れたのです。私が驚かされたことと、これでおあいこですね」
そう云って若き王妃は、悪戯っぽく微笑った。
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抵抗軍が王権を奪還した当時、モナリは14歳だった。
その後1年、フルーチェによる仕事の引継ぎを受け、成人すると同時、モナリは正式に宮廷魔術師に就任した。それを見届けると、フルーチェは相棒のヨクを伴い、自由気ままな旅に出たのだった。
宮廷魔術師はその豊富な知見と知恵を以て、王の決断を導き補佐する役職だ。当然王とともに居る時間は誰よりも長い。
ビナーク王はその間、モナリの知性にすっかり惚れ込んだ。そして就任から1年後、モナリが16歳の時に求婚した。
一般民衆が魔術師に対し抱く畏敬いや畏怖の感情や、魔術師は子どもが産めないと云う事実。モナリは随分と懊悩した。
だが最後はビナーク王の熱意いや熱愛に負け、婚姻を承諾したのだと云う。
「ありがとうっスモナリちゃん。あ、いや、もうこんな馴れ馴れしい口は利いちゃまずいっスね?」
礼は、咄嗟に嘘を吐いて庇ってくれたことに対するものだ。
「公式の場以外では、今まで通りに接してください。急に平身低頭されてもこそばゆいです」
と、モナリ。
「了解っス。でもモナリちゃん、王妃さまになったってことは、宮廷魔術師は辞めちゃったんスか?」
「いえ。王妃と宮廷魔術師の兼任です。他に人材が居ないものですから」
どんなブラック職場だ。凄えな。
「デリカシーの無い質問しても良いスか?」
「何だか怖いですね……。お手柔らかにお願いします」
「魔術師って子ども作れないんスよね? 後継ぎとか、どうするんスか?」
「ホントにデリカシーがありませんね。側室を設けることになっています。陛下の乳母のご息女で、陛下とは兄妹のように育った女性です。ご本人の承諾は得ています」
「それ……。モナリちゃん的には大丈夫なんスか?」
「本当にデリカシーがありませんね。正妃としては心中穏やかではありません。が、宮廷魔術師としては合理的な選択だと思います。王族としては、世継ぎを設けない訳にはいきませんし、<やわらか斬り>の使い手も途絶えてしまいます」
<やわらか斬り>とは、ベルリオース王家に受け継がれる宝剣だ。王家の血脈の者が手にした時にのみ、真価を発揮する。
そうだった。この子は宮廷魔術師としても判断を下さないといけないのだ。
(それにしても……。王サマは確か前は、フルーチェに熱を上げてたよな? あの人、ひょっとしてただの魔術師フェ……)
バート、喉元まで出かかった言葉を辛うじて呑み込んだ。いくら親しい友人とは云え、さすがに不敬罪で首が飛ぶと思ったのだ。
「……バートさん? 今何かとても失礼なことを考えていませんでしたか?」
おくびにも出していなかった筈だ。女の勘か? 凄えな。
「さて、それでは陛下の許へ参りましょうか。あ、バートさん。後ほど、この城の警備体制についての報告書をお願いしますね」
そう云えば、衛兵たちにそんな嘘を吐いていた。
「嘘から出た真実(まこと)、ってやつっスね? 了解っス」
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王城、謁見の間にてーーーー。
「久し振りだな我が友バートよ。聞くところによると我が妻の私室に忍び込んだそうじゃないか? お前でなければ首を刎ねているところだぞ」
ビナーク王の剣呑なオープニングトーク。
「誠に申し訳ございませんでした!!!!」
バート、フライング土下座。芸術的だ。
「冗談だ」
冗談に聞こえねえよ。
「妻によると、この城の警備体制の調査を頼まれたそうだな? 一体いつの間に? この私も聞いていなかったぞ?」
「陛下。その辺りの事情については、後で詳しくご説明します。今はバートさんのお話を」
モナリが話を本題に戻す。
「それにしても、まさか陛下がモナリちゃ……いえ、モナリさんと結婚していたとは。ちっとも知りませんでした」
「どうだ? 我が妻は美しかろう?」
鼻高々にビナーク王が自慢するのを。
「陛下。逢う客人逢う客人全員に同じ自慢をするのはいい加減辞めてください。まるで莫迦ップルみたいです」
モナリが嗜める。
「何を云う。美しい者を美しいと云って何が悪い?」
「だから、そう云うことを真顔で仰らないでください」
「すみません。イチャイチャは二人きりの時にしていただけますか」
バートが挙手をしてツッコむ。モナリは貌を赤らめてそっぽを向いている。
「式には是非お前たちも呼びたかったのだがな。お前もアルフレッドもカシアも、さっぱり居場所が判らなかった」
「1年前ですよね? オイラは<魔神封印の螺旋塔>で訓練を兼ねて働いてました。アルフはエクナ島のガヤン中央神殿で師匠に修業をつけて貰っていた筈です。カシアの姐御は、オイラも行方を知りません」
「なんと。<魔神封印の螺旋塔>に居たのか。まさかベルリオース国内に居たとは。灯台もと暗しとはこのことか。それにアルフレッドはガヤン中央神殿に居たのか。シャストアの関連施設ばかり探してしまった。どうりで見付からぬ訳よ」
「アルフがガヤン高司祭だってこと、忘れがちっスよね」
「なんと。あやつはガヤン高司祭に昇任したのか?」
「あ、そっか。ご存じなかったっスね? ロベールでちょっとした活躍をして、それで高司祭昇任が認められたっス。ちなみにオイラもタマット神官になったっスよ」
「そうだったか。時の経つのは早いものだな」
「それで陛下。オイラが訓練を終えて<塔>を出た理由。<破滅の預言者>が活動を再開したようです」
「何…………!!!?」
思わず玉座から立ち上がるビナーク。
「どう云うことだ!?」
「詳細はオイラにも。ただ、奴らの動向についてはタマットの最高司祭さまに頼んで探って貰っていたのですが、あの方の情報網に引っ掛かったようです。怖らく動き出したのは、最後の大幹部レモルファス。オイラは警告にここへ寄りました。ベルリオースは一度奴らの標的になっています。再び攻撃を受ける可能性がある。くれぐれも警戒してください」
「なるほど、あい判った。それでバートよ、お前はこれからどうするのだ?」
「報告書を書き終えたら、エクナ島に航ってアルフと合流します。それで闘いに備えつつ、奴らの情報を集めるつもりです」
「そうか……。私はフルーチェたちと連絡を取ってみよう。カシアにも是非来て貰いたいところだが、あやつは連絡の取りようが無いからな」
「なあに、姐御のことです。闘いの気配を感じれば、向こうから来てくれますよ」
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その後、城の警備に関する報告書を作成し終えたバートは、エクナ島へ航るべく城の出口へと向かっていた。見送りを買って出てくれたのは近衛騎士団長・レクトだ。
「若の花婿姿を見届けられて、これでもう思い残すことはありませぬ」
涙ながらに語るレクト老。この話題はこれでもう5回めだ。
「それにしても魔術師の妃とは思いきりましたね……。反対は無かったのですか?」
ビナークやモナリには訊きづらかったバートの疑問に。
「確かに。一般民衆は魔術師に畏れを抱きますし、子どもを産めないと云う事実もあります。そのことで難色を示す向きもありました。ですが抵抗軍でともに闘った仲間。何よりモナリどのは皆に好かれていましたゆえ、表立って反対する者は居りませなんだ」
「そうですか。ま、仲睦まじい様子で何よりでした」
「仲睦まじい……と云うか、若が一方的にベタベタしてるだけですな。モナリどのは仕事柄、やはり冷静です。まあ、若を愛してくださっているのは間違いないと思いますが」
「ああ……。そんな感じでしたね」
「それよりバートどの。若直属の国家隠密になってくださる気は、やはりありませぬか? 私としては、バートどのが若とモナリどのの傍に居てくださると安心なのですが」
「オイラっスか? ま、当面はアルフのために頑張るっスよ。宮仕えはだいぶ先の話っスね」
「それは残念。ま、選択肢のひとつとして、考えておいてくだされ」
「感謝っス」
ーーーーかくして、レクトに見送られ城を後にしたバートは、船上の人となり、アルフレッドの待つエクナ島へ向けて旅立った。
戦友と宿敵が待つ闘いの地へと。運命の時は、刻一刻と迫っていたーーーー。