エクナ鼎乱篇③
<破滅の預言者>本部船、その内部へと進入したアルフレッド、バート、そしてアザリー一行。
マリアとレクォーナは船体前方の操舵室、レモルファスの許へ。残りの5人は船体中央、マルホキアスの許へと。
二手に別れ、それぞれ船体深部を目指す。
船内廊下を慎重に進むアルフレッド、アザリーら5人。だが、廊下はどう云う訳か長い。果てしなく長い。いくら本部船が大型船であるとは云え、これは長過ぎる。あまりに不自然だ。
初見であればその不自然さにすら気付けなかったのかも知れない。違和感を覚えることもなく、延々とその廊下を歩き続けていたのかも知れない。
だがアルフレッド、そしてバートには、その感覚に憶えがあった。
「なあ、バート。この感じ……」
「ええ、憶えてるっスよ。リシュトの不審船……っスよね?」
「どうしたの?」
アルフレッドとバート、ふたりの懐古に、アザリーが割って入る。
「やっぱり気付きませんでした? この廊下、長過ぎると思いませんか? 明らかに船の長さを超えているでしょう?」
アルフレッドに指摘され、アザリー、イザベラ、クラウスがはっとする。
「云われてみれば……! 何故、指摘されるまで気付かなかったのかしら?」
アザリーが頭を捻る。
「幻術です。それもただの幻影や幻聴ではない。僕たちの認識そのものをも騙している」
「いわゆる“化かす”、ってやつっス。オイラたちは自分たちでは歩いてると思ってるっスが、実際には同じ場所で足踏みをしてるって寸法っス」
「良く気付いたわね……! 流石は幻術の専門家シャストア信者、と云ったところかしら?」
アザリーの称賛に、だがしかしアルフレッドは。
「……と、云いたいところなんですがね。違うんです。僕とバートは、同じ幻術の経験があるんですよ」
「同じ幻術の?」
「ええ。以前、シスターンの港街リシュトの沖合に、不審船が漂着する事件がありました。その不審船を調査するため、街のガヤン神殿が冒険者を募りました。そこに応募したのが」
「アルフレッドくんにバートくんだった、と云う訳だね?」
クラウスが、アルフレッドの言葉を先回りする。
「そうっス。オイラとアルフは、その時初めてパーティを組んだんスよ」
「それで、その不審船の内部が何者かの幻術によって無限の迷宮と化していたんです。ちょうどこの船と同じように。しかも僕らは、その不自然さに気付くことが出来なかった」
と、アルフレッド。
「その時はどうやって、その幻術を打ち破ったの?」
アザリーの問い掛けに。
「パーティの中に、方向感覚に非常に優れた魔術師が居ましてね。彼女が頭の中のマッピングと、歩くことで感じていた移動距離との齟齬に気付きました。認識に干渉するこの幻術は、いちど不自然さにさえ気付いてしまえば正気に戻ることができる。ちょうど今の皆さんのように」
「なるほどね。で、その幻術の術者は結局何者だったの?」
「それが判らず終いだったんスよ。この事件、担当のガヤン神官が実は悪い奴でしてね。調査隊を組織しておきながら一方で妖獣ガンテを操って調査隊を全滅させましてね」
「何故、そんなことを?」
「どうやらそのガヤン神官、神殿以外にも仕えている相手が居たようで。不審船事件での凶行はその仕える相手への配慮ゆえだったようです。その船には彼らにとって『見られて困るもの』があったらしく、僕らは知らずしてその『見られて困るもの』を見てしまっていたようなんです」
「『見られて困るもの』? それはいったい、何だったの?」
「結局それも判らず終いっス。ヨルゴスの野郎、最期までまんまと隠しおおせやがって」
バートが、リシュト不審船事件での殺人犯のガヤン神官の名を口にすると。
「ヨルゴス……? バートくん、今ヨルゴスと云ったか!?」
クラウスがその名に反応し、問い掛けてきた。
「ヨルゴスをご存じなんですか? クラウスさん」
アルフレッドが問うと。
「ああ、知っている。ヨルゴスはボロッシュやリーリュ、私同様、反戦活動家であった頃のマルホキアス先生の教え子だよ」
「何ですって……!!!?」
その事実を耳にした時、アルフレッドの脳裡にはかつてのヨルゴスとの会話が鮮明に思い出され。
そしてすべてが、腑に落ちた。
「そうか……! そう云うことだったのか……!」
「?」
ひとり納得するアルフレッドに、疑問符を浮かべるアザリーたち。
「ヨルゴスが語っていたんです。貴族同士の争いのせいで戦災孤児となった後の、苛烈な人生を。そこから救い出してくれた恩人が居て、衣食住や初等教育まで与えてくれたと。よくよく考えてみると、以前クラウスさんが話してくれた半生に酷似しています」
と、アルフレッド。クラウスは頷きながら。
「僕ら先生の教え子たちは、多かれ少なかれ同じような境遇を辿っているからね。その恩人と云うのがマルホキアス先生だ」
「ですね。彼は恩人のお蔭で、憧れだった社会正義を守るガヤン信者になれたと云っていました。彼がリシュトの治安維持のため働いていたことに、偽りは無かったと思います。が、その正義と恩人ーーマルホキアスの利益が抵触した時、彼はマルホキアスを選んだ」
「オイラたちが不審船で見たものが、マルホキアスの不都合に繋がる……。そうか、『見られて困るもの』ってのは、幻術の迷宮そのものだったんだ! たぶんあの不審船はこの<破滅の預言者>の本部船の試作機(プロトタイプ)か、少なくとも同じ仕組みで幻術が働いてたんス!」
「なるほど。あの幻術の迷宮を経験した者が生きて街に戻り報告すれば、今度は幻術の原因を調査しよう、と云う流れになる。そうなると本部船の秘密を暴かれることに繋がり、最終的には十年戦争の真実に辿り着く者が出てくるかも知れない。だからヨルゴスは調査隊の全員を殺す必要があったのか。口封じのために」
アルフレッドとバートの中で、点がようやく一本の線に繋がった。
「それで、ヨルゴスはいったいどうなった?」
いくぶん覚悟を決めながら、クラウスが問うと。
「死にました。最期は自分で操っていた妖獣ガンテに襲われて。でもそれは、ガンテを操っていた魔法具をオイラが破壊したせいで。そう云う意味では、ヨルゴスはオイラが殺したも同然っス」
バートはそう云って、クラウスを真っ直ぐ見詰めると。
「恨みますか? オイラのことを」
そう、問うた。
クラウスもまた、バートを真っ直ぐ見詰めると。
「……………………いや。ヨルゴスは罪のない無関係な者を大勢殺したのだろう? そして君たちのことも殺そうと。それは裁かれるべき罪で、断じて赦されることではない。君たちの行動は正義だ。私には君たちを恨むべき理由など、何も無いよ」
そう云って、哀しげに笑った。
「そう、スか……」
バートもまた、複雑な表情だ。
「だがしかし、そうか…………。ヨルゴスも逝ったか」
淋しげな表情で、天井を見上げるクラウス。
「で? 幻術に掛けられていると云うのは理解できたけど、具体的にどうやって突破するの?」
イザベラが、喫緊の課題を口にする。
「それについては僕に考えがある。頭で歩こうと考えても脳そのものが騙されている訳だから上手くいかない。だったら歩こうとしなければ良い」
そう云ってアルフレッド、呪文の詠唱を始めると。
「《念動》」
《念動》の魔法を発動し、それを自分の両脚に掛ける。アルフレッドは魔法の力で自分の両脚を交互に前へと動かしていく。
「考えたっスね。これなら歩こうとは考えていない訳だから、脳が騙される心配も無い」
ーーーーすると、不思議な現象が起こった。
アルフレッドが実際に前進したことによって、周囲の幻影との間に情報の矛盾が生じた。するとアルフレッドが進む先から廊下の光景が収縮を始めた。幻術が破れ、本来の廊下の光景に戻りつつあるのだ。
「みんな! アルフに掴まるっス! そうすりゃ幻術に掛かっていようが関係無く、みんなで前に進めるっス!」
バートの呼び掛けで、アルフレッドを先頭に全員で手を繋いで前進するーーーー。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
そうして暫く進んだ先。通路を塞ぐようにして立つ人影がふたつ。
エルファの血を引くとおぼしき耳の尖った細身の女性と、頭を剃り上げた筋骨隆々の大男。
「やはりな。幻影の迷路程度では、お前たちの進攻を阻むことは出来なかったか」
女性の方が、そう声を掛けてくる。
「ボロッシュ! リーリュ……!」
アルフレッドが立ち止まり、2人の名を呼ぶ。そして彼が腰の細刀の柄に手を掛けた時、それを制して前に出る人影がひとつ。
クラウスだった。そして。
「みんな。2人の相手は、私に任せてくれないか?」
仲間たちに対し、そう申し出た。
「2対1だよ。私も残ろうか?」
イザベラが提案する。だがクラウスは首を左右に振ると。
「お気遣いありがとうございます。ですが、私1人で大丈夫です」
そうしてクラウス、アザリーの方に向き直ると。
「貴女の騎士を自認しておきながら、お側を離れる身勝手をお許しください」
「構わないわよ。存分に決着を付けなさい。悔いの残らないようにね」
アザリーの許しに、クラウスは頭を下げると。
「みんな、行ってくれ。マルホキアス先生のことは任せた」
クラウスの号令で、アルフレッド、バート、アザリー、イザベラの4人はボロッシュたちの脇を通り抜け、先へと進む。ボロッシュたちが4人の邪魔をしなかったのは、クラウス1人との対峙を了承したと云うことだろう。
やがて、場に3人きりになると。
「先生の許へ、アザリーたちを行かせて良かったのか?」
クラウスが問う。するとリーリュが。
「構わないさ。あいつらに今の先生が止められるとは思えない」
「そうか……」
リーリュの答を聞いたクラウス、腰の剣を鞘に納めたまま外すと、ゆっくりと床に置く。次いで左手の盾も床に置いた。
「怖らくはこれが最後だ。存分に語り合おう。ボロッシュ兄さん、リーリュ姉さん」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
一方、アザリーたちと別れ行動しているマリアとレクォーナ。
「これは……幻術だね。どうやら私たちは惑わされているようだ」
暫く進み続け、レクォーナが異変に気付いた。
「幻術……ですか?」
「ああ。私たちは先ほどからずいぶんな距離を進んでいると云うのに、ちっとも目的地に着かない。しかもそのことに不自然さを感じないと云うおまけ付きだ。どうやら認識に直接干渉されているらしい」
「そう云われると、確かに……!」
レクォーナの指摘を受け、マリアもようやく現状を認識する。
「今、私は視覚を光学から魔力に切り換えた。こうして視ると良く判る。船内の<波動>がどれだけ歪んでいるかがね」
そう云ってレクォーナ、マリアに掌を差し出すと。
「掴まりたまえ。私が操舵室、レモルファスの許まで先導しよう」
「はい!」
マリアがレクォーナの手を取り、2人は敵陣への道行きを急ぐーーーー。
ーーーーそうして程なく、2人はこの巨大船の操舵室へと到着する。
入口の扉を慎重に開ける。特に罠を仕掛けたりすることもなく、室内では1人の老人がマリアたちを待ち構えていた。
「レモルファス……!」
マリアがその名を呼ぶ。
「マリアにレクォーナ……。なるほどこちらに来たのはお前たち2人か。幻術の迷路は足止めにすらならなかったようだな。まあレクォーナが居るならそれも当然か」
そう云ってレモルファスが嗤う。
「レモルファスよ。君には訊いておきたかったことがある。かつては<名工(マエストロ)>の名を欲しいままにした超一流の魔法技術者の君が、なにゆえこんなことを? <破滅の預言者>のテロ行為に加担し、危険な<悪魔>を復活させ世界を危機に陥れようなどと……」
レクォーナが質す。どうやらレクォーナは<破滅の預言者>以前のレモルファスのことを知っているらしい。
「これはまた……。ずいぶんと古い呼び名を持ち出してきたものだな」
苦笑するレモルファス。いや、照れ笑い……か?
「当然だろう。<名工>の名は、知らぬ者など無い」
「だとすれば、その<名工>が辿った末路も知らぬ訳ではあるまい?」
「いや、済まないな。寡聞にして知らぬ。正直現代の世俗には疎くてな」
「いつの時代の人間だ貴様……。まあ良いさ。本当に知りたい、と云うのなら語ってやろう。<名工>などともてはやされた哀れな道化の、滑稽な末路をな」