エクナ鼎乱篇②
時は現在より少し、遡るーーーー。
ベルリオース島のいずこかにある、<破滅の預言者>の地下アジトーーーー。
その施設内に聞き慣れぬ魔法の警報音が、鳴り響く。
音の出所は、この3年間マルホキアスの生命を維持し続けた医療装置だ。被療者の意識レベルが一定の段階、すなわち覚醒状態に至った場合、そのことを外部に報せるため音が鳴る仕様になっているのだ。
装置の設置された機械室に、真っ先にレモルファスが駆け付けた。少し遅れて、リーリュ、次いでボロッシュも駆け付ける。
装置の硝子窓から覗く内部のマルホキアス。3年間意識の無かった彼の両眼が、かっと見開かれていた。
「マルホキアス!!」
レモルファスがすぐに装置の操作盤に取り付き、操作を開始する。まもなく装置の容器内から治療用霊薬の溶液の排出が始まる。すべての溶液が排出された後、容器の蓋が開き、中からマルホキアスが姿を現す。
「がっ!! がはっっ!! かはっっ!!!!」
両手両膝を床につき、肺と胃を充たした溶液を咳き込みながら吐き出すマルホキアス。意識の無い間、この溶液が彼の酸素呼吸と栄養摂取を補助していたのだ。
更に装置はこの3年間マルホキアスの全身の筋肉に微細な電気刺激を常に与え続けていた。そのため3年間全く動かなかったにもかかわらず、彼の筋肉は萎縮も衰弱もしていない。
「先生!!」
リーリュが大きな布を持って現れ、マルホキアスの全身を包む。装置の中で、彼は全裸だったからだ。
「マルホキアス!! 私たちが判るか!? マルホキアス!!」
レモルファスが、マルホキアスの両肩を掴んで揺さぶり、問い掛ける。
「……勿論だレモルファス。私の生存の維持と覚醒のため、尽力してくれていたようだな。ふたりにも礼を云うぞ、ボロッシュ、リーリュ。心配を掛けたな」
「先生……」
リーリュは大粒の涙をぽろぽろとこぼし、ボロッシュもまた涙ぐんでいた。
「マルホキアスよ。最後に何を憶えている? 貴公は現状を理解出来ているか?」
レモルファスが問うと。
「……すべてを、だ。<悪魔>が教えてくれた。私はドントーに殺されかけ、生と死の境を彷徨った。それを貴公らが救ってくれた。あれからもう、3年が経過している……」
「<悪魔>が……?」
マルホキアスの答にいったんは安堵したレモルファス。が、すぐに訝しげな表情になると。
「そう、<悪魔>だ。貴公は一度死にかけたことで、<悪魔>との契約が解除された。ゆえに貴公は眼醒めぬものと、私たちは考えていたのだが……。いったいどう云うことだ?」
レモルファスの問にマルホキアスは。
「<悪魔>の方が、私の許を訪れてくれたのだ。どうやらオルガと契約していた<悪魔>らしくてな。私ではもて余すほどの強大な<悪魔>なのだが、あちら側が譲歩して契約を締結してくれた。それで私は眼醒めることができたのだ」
「首領どのの……?」
マルホキアスの話に更に訝しげな表情になるレモルファス。だがそこでリーリュが。
「お話の続きは何処か落ち着ける場所に移ってからで良いのでは?」
と話を中断する。するとレモルファスも。
「そうだな。貴公はこの3年間何も摂食していない。食料と飲料の経口摂取が必要だ。食堂に移動しないか? 軽食と温かい飲み物を用意しよう。ボロッシュ、彼の被服一式も用意してくれ」
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場所を食堂に移した一行。マルホキアスは、ボロッシュの用意した衣服に着替え、リーリュの用意した軽食を口にした。
人心地ついた後、マルホキアスは自らの精神世界での体験を仲間たちに語って聞かせた。
「『エクセリス』……? 首領どのの契約<悪魔>は、そのような名前だっただろうか……? いやそもそも、首領どのが契約していたのは、これほど強い<悪魔>だっただろうか……?」
マルホキアスの話を聴き、レモルファスが首を傾げる。同じ邪術師である彼には判る。マルホキアスの背後に居る存在が、どれほど出鱈目な強さであるのかが。
「その疑問は私も抱いた。だが我々は結局のところ、オルガの契約<悪魔>についての詳細は知らない。エクセリスは<破滅の預言者>の計画についても熟知していたし、何よりこれほど強力な助っ人が陣営に加わったのだ。奇貨と考えるべきではないか?」
「そう……だな……」
マルホキアスの言葉に、レモルファスもとりあえずは納得することにした。
「それで、今後の計画だが」
と、マルホキアス。
「あと一度だ。あと一度の戦争で、<悪魔>は完全活性に至る。だがその『あと一度』が、途方もなく遠いのだ」
レモルファスが応える。
「どう云うことだ?」
マルホキアスが疑問を呈する。
「この3年で、三島の情勢は大きく変化した。それぞれの国に優れた為政者が立ち、内政が安定したのだ。シスターンには辣腕の宮廷魔術師が出現し、かねてからの懸案事項であった行財政改革を強力に推し進めた。結果国民の生活満足度は向上し、女王の支持率は鰻登りだ。国内の魔術師団<氷壁の記憶>との関係もかつてないほど親密となり、もはや国体は万全と云って良い」
「あの、資源も金も無い青息吐息だった国がか?」
レモルファスの解説に驚くマルホキアス。
「そうだ。そしてベルリオース。我々が軍事政権下での戦争再開に失敗した国だ。現王ビナークは国民をドワーフの軍部圧政から解放した救世主、しかも自身が先陣を切って戦場に立った英雄として、国民から絶大な支持を受けている。しかも女王に逆らえないと云う種族文化的背景を考慮し、女王の狂信者以外のドワーフは殆ど罰することなくこれまで通り軍事の重責を預けている。このことでドワーフの新女王マヌエラはビナーク王に絶対の忠誠を約束し、ドワーフ族の反発も想定されていたものより遥かに小さい。近年では新たな王妃の誕生により、国全体が祝賀ムードに包まれている。国民の一体感は、これまでになく大きいだろう」
「我らの陰謀が、完全に裏目に出た形か……。だがロベールはどうだ? あの国の国内事情は簡単には解決すまい? 私としては、ロベールの内紛の利用を最後の作戦と考えていたのだが」
マルホキアスの言に、だがしかしレモルファスは首を左右に振ると。
「ロベールには統一王権が出現した」
「統一王権……? だがそんなもの、あの国の利己的な地方領主たちが黙っていないだろう?」
とマルホキアス。だがレモルファスは更に首を横に振る。
「あの国の地方領主たちは全滅した。殆どな」
「全……滅だと!? 莫迦な!? その、統一王とやらの仕業か!?」
「違う」
レモルファスが否定する。
「訳が判らん! いったい何がどうなっている!? ロベールでいったい何が起こった!?」
怒鳴るマルホキアス。そんな彼にレモルファスが。
「私も貴公同様、ロベールの内紛を<悪魔>活性に利用する作戦を考えていてな。この3年間、私はロベールに潜伏していた。かの国では凄惨な武力闘争と同時に高度な情報戦も展開していてな。正直なところ私にもかの国で起こっていた事変の全容は掴めていないのだ」
「構わない。貴方が把握した情報だけで良い。話してくれないか?」
マルホキアスの頼みに、レモルファスは頷くと。
「判った。……まずは3年前、ロベールの最辺境にて覇を唱える者たちが現れた。彼らは武力によるロベールの制圧を標榜し、王都への進軍を開始した。あの辺りは独立色の強い地方領主が多いからな。当然反発し、その覇軍を叩き潰そうとした。だが結果は真逆だった」
「真逆?」
「地方領主側が敗れたのさ。……いや、あれは戦争と云うより、ただの蹂躙だな。覇軍は降伏も逃亡も認めず、ひたすらに殺戮を重ねた。皆殺しさ。次々に領主が滅ぼされたことで、事態の深刻さを認識した地方領主の一部が連合し、共闘を以て覇軍に対抗しようと試みた。だが所詮は自分本位の連中だ。烏合の衆による拙い連携は逆に命取りとなり、連合は鏖殺の憂き目を見た」
「その覇軍とやらはいったい、どれほどの規模の軍勢なのだ?」
「噂の域を出ない未確認情報ではあるが、7人と聞いている。仮にこれが誤報であったとしても、怖らく10人を超えることはない筈だ」
「莫迦な……!? いくら地方軍とは云え、たった7人で滅ぼしたと云うのか!? そやつらは化物か!?」
「そう、化物さ。すべてが文字通り規格外の連中でな。私は滅ぼされた後の領地をこの眼で見てきたが、まさに焦土だったよ。当初は圧政からの解放者として領民たちに歓迎された彼らの名は、すぐに蹂躙者・破壊者として恐怖の対象となった」
レモルファスはそう云って、薄く笑うと。
「そこまで行くと当然、彼ら覇軍には敵わないと考え恭順の意を示す領主も出てきた。だが覇軍は、王家に従意を示さずこれまで好き勝手していた領主どもを信用することはなかった。恭順を誓った者をすら、鏖殺したよ。結果論的に云えば、生き残ったのはこれまで王家に忠義を尽くし、民に善政を敷いていた良識派の領主だけだ」
「期せずしてロベール国内の大掃除が行われた訳か……」
「そうだ。そして覇軍はとうとう、王都にまで進軍してきた。標的は王家だ。地方領主たちの無法を許し、民への圧政を黙認してきた罪の精算を求めてな。そして結論から云えば、王は討たれ、王朝は滅んだ。だが王を喪ってなお、闘いを諦めない者たちが居た。……マルホキアス、貴公は<ブラッディ・シャーク>の名を知っているか?」
「ロベール近海を活動拠点とした、大規模な海賊団だったか? そうとうな戦闘能力を有していたらしいが、噂によると壊滅したのではなかったか?」
「そうだ。<ブラッディ・シャーク>の船長や幹部構成員の逮捕・討伐の功績で名を上げた若い王国騎士が居てな。その者が中心となって騎士団や軍などの残存兵力を纏め上げ、仲間たちとともに覇軍と闘い続け、ついには勝利したのだ」
「勝ったのか!? その化物どもに!? ひょっとしてそやつが、新たな統一王権の君主か?」
「ああ。傾国の、いや滅国の7人から国を守り抜いた英雄として、民の絶大な支持を得てな」
「だがいくら救国の英雄とは云え、そのようなぽっと出の騎士の即位を良く貴族や領主連中が認めたものだな?」
「旧王家の第一王女セノアを妃に迎え、王権の正当性と正統性を確保したものらしい。以前姫が<ブラッディ・シャーク>に誘拐された際に救出したのがこの騎士でな。以来2人は恋仲だったと云う噂だ」
「なるほどな」
「その騎士はそうとうに優秀な情報工作員を配下に飼っているようでな。奴の即位に際しては裏での<幻軍>の働きが大きかったようだ」
「<幻軍>……。ロベール三軍の一つで、旧王家お抱えの諜報機関だな?」
「ああ。覇軍の側にも情報工作にそうとうに長けた者が居たようでな。私がこの3年間ロベールの情報を掴みきれなかったのも、覇軍側の工作者と<幻軍>、双方の邪魔があったからに他ならない」
「そう云うことか……」
「何にしろロベールはその英雄ーー名を統一王ルドルフと云うーーの旗印の下ひとつになった。我々は覇軍の進撃によって奇しくも生まれたロベールの人々の恐怖や絶望と云った負の感情を取り込み、ようやくあと一度の戦争で<悪魔>の活性に至る段階にまで到達した。だが先ほども話した通り、その『あと一度』がとてつもなく遠い」
「統一したとは云え、未だ紛争の火種は燻っているだろう? 裏工作でどうにかならぬか?」
「駄目だな。<幻軍>が眼を光らせている。情報工作など行おうものならたちまち奴らに嗅ぎ付けられ、逆にこちらが消されるだろう」
「そうか……」
レモルファスの説明を聞き終え、マルホキアスは思案を巡らす。
「……よし。最終計画を考えた。我々の正体と、これまで行ってきた陰謀の数々を、すべて白日の下に晒すのだ」
突拍子もないマルホキアスの提案。
「何……!? どう云うことだマルホキアス!? そんな真似をしたら、三島中で手配されるぞ!? 我らの今後の活動が、立ち行かなくなってしまう」
レモルファスの当然の反応。
「戦争は『あと一度』で良いのだろう? ならば『今後』のことなど考える必要は無いさ。最後は我らに三島中の『憎悪(ヘイト)』を集めるのだ。これなら確実に<悪魔>の餌となる負の感情が溢れる」
「……なるほど。各国家で紛争を起こすのが困難なら、『我々のテロリズム』対『国家』と云う新たな戦争の構図を作り上げれば良い、と云う訳か。文字通り背水の陣だな」
「なあに。我らの目的はあくまで負の感情を世に蔓延させ、そして<悪魔>解放の儀式を行う時間を確保すること。闘いに勝利する必要は無い。時間を稼ぎ、<悪魔>が解放されれば我々の勝利だ」
「確かに。だが各国が軍を仕向けてくることは容易に想像が出来る。我々の戦力では心許ないが、どのように対処する?」
レモルファスが、現実的な課題を突き付ける。
「私の契約<悪魔>エクセリスが、しもべの<悪魔>どもを遣わしてくれる。海と水を操る<悪魔>を、そうだな……3体ほど召喚して貰おう。<悪魔>の力で航路を塞ぎ、連中を足止めする。問題は、<悪魔>と契約して各国軍と闘う者が3人ほど必要になるが……」
それなら私が、とボロッシュが名乗りを上げようとした、まさにその瞬間。
「そのお役目、我らにお任せいただけないでしょうか?」
いつの間にかレモルファスの足許に跪いていた<鉄色>・<黒>・<緋色>の護衛団3名。リーダーの<鉄色>が代表して、そう声を上げていた。
「お前たち……」
「我ら3名、本来ならばレモルファス様のお側にて最後までお護りするのが役目。されどお話によれば、計画はいよいよ最終段階を迎えるご様子。我ら、レモルファス様の護衛であると同時に<破滅の預言者>の一員でもございます。組織の悲願が遂に達成されるとあっては、我らもまたその一翼を担うべきと愚考致しました。この上は戦場の最前線にて、各国の軍の進路を阻み、以て御二人の御身を護りたく存じます」
そう云って3人は、顔を上げると。
「レモルファス様。御身のお側を離れる身勝手を、お赦しいただけますでしょうか?」
3人の護衛の嘆願に、マルホキアス、レモルファスと顔を見合わせると。
「良いのか? レモルファス。貴方の部下だろう?」
「……なに。本人たちが望んでいるのだ」
レモルファスはそう云うと、部下たちの方へ向き直り。
「よろしい。私の身は気にしなくて良い。マルホキアスの計画成就のため、存分に力を振るってくるが良い」
「有難き幸せ。必ずやご期待に応えてご覧に入れます」
そう云って再び、護衛団の3人が平伏した。
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「……なあ。レモルファスよ」
「ん?」
食堂での話し合いを終えて暫しーーーー。
最終計画の詰めを行っていたマルホキアスとレモルファス。ふと、マルホキアスがそう声を掛ける。
「先ほど貴公からロベールでの話を聞いたが……。私にはどうにも、すべてがそのルドルフなる男に国を統一させるように仕向ける、そうなるようにすべてが動いていたと思えてならないのだ」
「どう云うことだ? まさか覇軍側とルドルフ側が最初から結託していて、すべてが国を統一させるための茶番だったとでも云うのか? 私は遠巻きに奴らの王都決戦を目撃したが、凄まじいものだったぞ。とてもあれが芝居だったとは思えんが……」
「いや。ルドルフ側は怖らく本気だろう。一芝居打ったとすれば、覇軍の方だ」
「覇軍が? だが奴らは最終的には全員殺されているんだぞ? いったい何の利があってそんな芝居を? そもそも国を統一するなら、最初から自分たちが統一すれば良いではないか? 何故ルドルフに統一させるなどと云う、回りくどい真似を?」
「支配と抑圧のための武力によって奪った権力は、武力によって覆される。……が、解放のための武力によるものであれば、人々の受け止め方も自ずと変わってくるだろうさ」
覇軍の武力は支配と抑圧のため、ルドルフのそれは解放のため、と云う訳か。
「………………いや、忘れてくれ。きっと私の考え過ぎだ。それにいずれにせよ、私たちの計画に変わりはない」
「そう…………だな」
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ーーーーそして、現在。
エクナ島へと至るロベール・ベルリオース・シスターン各島からの航路の途中。その海上の空中に浮遊する、3人の人影。
レモルファスの護衛団。その3人である。
彼らの位置はちょうど、エクナ島を中心とした正三角形の頂点を形成していた。
「……マルホキアス様の放送が始まったようだな」
<鉄色>がひとりごちる。マルホキアスの放送は計画開始の合図だ。
3人が、それぞれの位置で<悪魔>変身を行う。マルホキアスによって与えられた<悪魔>は、その躰を液体へと変え、海水を操る力を授ける。
3人の背後で海面が大きく隆起し、巨大な水の壁が発生する! 3枚の水壁はやがて接触し、エクナ島を三角の水檻の中に孤立させる。
「ーーーーさあ、始めようか」