禁断の戒名。ヒミツヒミツの物語なんぞはございません。
●●●仏門に入れば
そうじゃないんです。元来は、仏の道に入った者が授かる名前のことなんです。俗名に対して「法号」とか「法名」とか言います。当然、亡くなってからではなく、生前、「授戒」や「得度式」、「おこうぞり(帰敬式)」の際にいただくものでした。
頭を剃って、つるつるになったら、どうぞ、となるんですね。剃髪は型だけの宗派もあります。「戒名」は出家が前提、「法名」は俗世にあって、仏の教えを信じ行じて暮らす、そのしるしとしての名前です。
●●●院号に居士、大姉
ちなみに「院号」なんかをお願いすると、お値段もかなりになりますよね。これはね、大河ドラマなんかで、引退した殿様が「~院さま」とか言われてますでしょ。「~院さま」みたいな偉い人は、死後もそう呼ばれたんです。現世の身分が偉くなきゃ、いくらいい人でもつけてもらえなかったのです。身分制度が解体された明治以降は、身分に関係なく寺院に対して貢献した人々に授けられるようになりました。
「居士(女性の場合は大姉)」は、梵語の「カラオツ(家長)」からきて、直訳しますと「家に居る」人。家で修行している人や、在家にあって悟っている人を表します。「信士(女性の場合は信女)」は、梵語の「ウバソク」=近事男(ごんじなん)。在家信者のことですね。
●●●葬式仏教の始まりは
現在の日本では、葬式仏教と呼ばれるほど葬儀と僧侶が切っても切れない関係となっていますが、そもそもお釈迦さまの時代には、出家者が葬儀に関わることがありませんでした。
日本仏教が葬儀への役割を色濃くしたのは平安時代後期の臨終出家からです。貴族たちは現世利益ばかりか、死後もいい目を見たかったんですね。臨終前に出家する方法が始まり、それがさらに死後出家・死後戒名に結びついて、現在の葬儀へと展開していったようです。
●●●決めるのはあなた
ここまでの説明で、大して意味ないじゃん、と思った人もいるでしょう。そもそも葬儀の必要性すら議論になる昨今です。戒名なんぞいりますかいな、となっていくのは自然です。このジェンダーレスの時代に、居士、大姉のように男女分けするのが意味あるのか、といった考えもあります。
どんな宗派であれ、葬儀とは死んでいった者との別れの儀式です。故人に対する最後の恩返しの機会でもあります。残された者が納得し、しかも癒やしにつながる方法が最もいい。納得感では、伝統的な形式に一日の長があるように思いますが、若い人はどうでしょう。愚僧チョークー、お寺の経営問題は抜きにして、縁者の皆さんが納得いく形で故人を見送っていただきたい、と思うのであります。合掌。
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