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自分の中に流れているもの

母が旅立って、悲しい、寂しいと綴っていたらあるnoterさんからコメントを頂いた。それを読んでまた号泣。しかしそれは喜びの涙だった。


頂いたコメント

私自身は、「母が亡くなっても、母の血肉を受け継いでいる私が、しっかり生きていけば、それで良い。それが母が”生きること”になるのだから。」と思っています。
お母様を想う様に、ご自分の事を大切にされて下さい。
それが一番だと思います。

IIsa G.M.さんのコメントより

自分のことを大切に」の言葉にドキッとした。自分のことは考えていなかったから。
母を大切に想うなら、母が大切に育ててくれた自分を大切にする、ということだ。
そして、私の中には母の血が流れている、ということに今さらながら気づかされた。

それならば、母が楽しんでくれた花畑をこれからも育てていけば、私の目と心を通して母も楽しんでくれる、ということだろうか。

母と一緒に見た海や月やお日様を「キレイね」と言って見れば、母も一緒に見ているのだろう。いや、母だけでなく父も。

ここでハタと考えた。
父と母の血が流れている、ということは父のくじけない魂、ブラックジョークを楽しむセンス、手先の器用さ、そして母の器用さ、臨機応変に対応できる力、ユーモアも私の中にある、ということだ。

DNAがどうなっているかは知らないけど、私の中を探せばあるかもしれない、ユーモアとくじけない心と、器用さと。

これだけあれば、楽しく生きて行けそうだな!

ご先祖から引き継いだもの


私は父や母から血を受け継いだ。父は父の両親から、母は母の両親から血を受け継いだ。私の祖父母の血が父と母にそれぞれ受け継がれた。

久しぶりに両方の祖父母を思い出す。

べっ甲職人だった父方の祖父。父が入院中は祖父が海水浴に連れて行ってくれた。
そして着物を縫うことを生業としていた祖母。和裁士というらしい。キレイな残り布をよくもらっていた。それは私にとって宝物だった。

母方の実家は農家。
祖父は早くに母親を亡くし、大変な苦労をしたらしい。しかし祖母とステキな家庭を築いた。謙虚で誰に対しても優しい人。そして勉強家。
母の話によると祖父母は日本一周の旅をしたことがあるという。まだみんな旅行なんてしない時代。旅から帰ると親戚や近所の人たちがお土産話を聞きに集まったそうだ。なかなか進取の気性があると思う。

こう考えると、私の中にもなにがしか流れていても不思議ではない。

父方の曾祖父、母方の曾祖父の話もうっすらと聞いた記憶がある。ずっと遡ったらおもしろいだろうな。

良い血もそうでない血もあるかもしれないが、淘汰されて良い血が受け継がれた、と都合よく考えることにしよう。

見よう見まねで作ったもの

母の部屋を片付けた時、たんすの引き出しにビーズのポーチが大切にしまわれていた。一つは母が昔、編んだもの、一つは私が母に教わって編んだもの。

上が母の作品、下が私の作品

母は昼に働きながら、夜は小物を作っていた。副業だ。
ビーズの小物が印象に残っている。

母は小さなビーズで編んでいる。ビーズは小さいほどキレイでむずかしい。私は全部の材料を百均でそろえた。ビーズはやや大きい。

「どうやって糸にビーズを通すのか」聞いたら
「糸の端にボンドを少しつけて、乾いて固くなったらビーズを通す」と教わった。

なかなか根気のいる作業だったが、ツボにはまって楽しくなった。

やはり「見たことあるものはできる可能性が高い」と思う。
見たことも聞いたこともないものに取り組むのは敷居が高い。

今はインターネットで興味のあるもの・ことを調べることができるが、やはり自分の目で見る、自分の耳で聞くとイメージがしやすい。

ということは、子どものうちにたくさんのことを観たり聞いたりすることは大事だな、と思うのだ。子どもが好きかどうかは別にして、見聞きすることは良いことだ。

そのために学校があって、好き嫌いに関係なく多くの教科を勉強するのだね!

「自分にはできない」と思っていた縫い物や編み物など、今は楽しんでできている。出来栄えはともかく!

次は何作ろうかな?

心配性まで引きついだ!


母が旅立ってから実家に時々片付けに行く。
家には妹家族が住んでいるので「実家じまい」はしなくて良い。「実家じまい」で苦労している話を友人から聞いているので、それに比べて私は楽だ。

それでも、片付けながら家の今後が心配になる。母の書類ファイルには家を建ててからのメンテナンスの見積もり、契約書、報告書がたくさん入っている。「あぁ、父と建てた家を大事にしたんだな」と思う。

それだけのことを妹が今後していくのだ。大丈夫かな?
時々、妹と家のことを話す。働いている妹は、忙しくて疲れている。母が居なくなったことで一気に自分のすべきことが増えて、悲しみの上に疲れが溜まる。

私は今までわりと能天気に生きてきたので妹は私のセリフに驚く。
「そんな先のことまで心配するの?」
そしてこう言った。
「お母さんが心配性を姉ちゃんに置いて行ったね!!」

妹の言葉を聞いてハッとした!
確かに今までの私とはちょっと違う。

母の心配症を私たち姉妹は笑っていたのだ。
「そんなこと心配してもねぇ!」
「お母さん、心配しすぎ!」

私の中には母の心配性の血も流れていたらしい。
紅葉は「色が変わるのではなく、もともと持っている色が出てくる」。紅葉のように私の中にもともとあったものが今、出てきたのかもしない。


最後まで読んでいただきありがとうございました♡

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