かかしのオーディション前編
今回の主役は、我が家の長女、かかしです。
彼女は中学生の頃から役者というものを志しており、彼女のことは初投稿の記事【天然は天才を越えるのか】で紹介させてもらいました。
彼女は明るくポジティブな天然ガールです。
それでは、彼女の傑作エピソード(実話)をどうぞお楽しみ下さい。(^-^)/
【強運の持ち主】
ことの始まりは、伯母のクマ子が彼女の夢をいつも応援してくれていて、地方新聞に市民参加型の舞台オーディションがあるからと情報をくれた。
演目は『人魚姫』でミュージカルときた。
彼女は以前、アマチュア劇団に入っていたこともあり舞台経験はある。役者を志している者としては実績を積むにはまたとないチャンスだ。彼女は二つ返事で挑戦したいと伯母に告げた。
締め切り3日前だったが、速達便でエントリーには何とか間に合った。
なぜ、そんなにも迅速にエントリーできたかというと、彼女はいつ訪れるか分からないチャンスのために、常日頃からオーディション仕様の顔写真を何枚か撮っておく癖があった。
その中で、特にお気に入りの写真をエントリーシートに貼り、舞台経験があること、やる気に満ち溢れていること、とにかく明るい性格であることを簡潔にPRしておいた。
数日後、主催者側から着信があった。
一次書類審査、『合格』
応募総数80名。通過者10名。
彼女は、また強運を引き寄せてしまった。
【これ無理じゃね?】
しばらくして、主催者側から封筒が届いた。
彼女が中を確認すると、オーディションの案内と台本などの課題が入っていた。
求められるものは、歌唱力、ダンス力、演技力の三つの技能だ。
課題曲の音源と、ダンスのお手本動画はスマホにデータ送信されてきた。
「これ無理じゃね?」
彼女は呟いた。送信されてきたダンスのお手本動画は、彼女が想像していたものとは遥かにレベルが違っていたからだ。
彼女は、歌と演技には自信があった。しかし、ダンスだけは昔からほんとうに苦手なのだ。
ダンスがあるだけでも、重い岩を背負わされている気分なのに、動画のお手本となる女性は、白鳥の如く軽やかにクルクルと舞っていた。
致命的だ。彼女にバレエの経験は一切ない。
オーディションまで、あと15日。
バイトだってあるし、15日であの白鳥ダンスをマスターすることなど、彼女にとっては至難の技だ。それに、そもそもダンスを練習する場所に困った。自宅でそんなに広いスペースなどないのだし、体育館のような公共の場でわざわざ見世物になるのは御免だった。
ともかく、愚痴をこぼしていても始まらない。彼女は、歌と演技の課題だけでも自宅で練習を重ねることにした。その間も、ダンスの課題はずっと頭の上のたんこぶであった。
【彼女が得たもの】
オーディションまで、あと5日。
さすがに彼女は焦りだした。SNSで検索しまくると、市のまちづくりセンターという施設で、音楽演劇活動室という貸室が利用できることを知った。一時間200円。市の施設なのに有料とは気に食わなかったが、切羽詰まっている彼女にとっては神の救いだった。
彼女は直ぐに飛びついた。予約制で、意外にも利用者が多くて驚いた。早朝の時間帯しか空きがなかったので、仕方なく8時30分~12時30分までを3日間で予約した。
音楽演劇活動室は鏡張になっていて、ダンスを練習するにはうってつけの場所だった。防音室にもなっているのでとても静かだ。
貸室の広い鏡に、ぽつりと彼女が映っている。さてと…。
彼女はテンションを上げようと、先ずは課題曲を大声で歌ってみることにした。
ふうっ…、とても気持ちよかった!
大きな声で歌うというのは、ストレス解消にもなる。秘密の部屋を見つけた気分だ。
彼女は、何度か歌の仕上がりを確認したあと、このまま調子に乗ってダンスを完全にマスターしてしまいたいと思った。今ならやれる気がした。このチャンスを逃してたまるか!
彼女は、お手本の動画に食らいつきながら体をぎこちなく動かし始めた。
彼女は、再生ー停止ー戻るを何度も繰り返す。
3時間が経過…。
彼女は四苦八苦しながらも、何とか課題の振り付けを覚えることができた。
そして、忘れないうちに全体を通して踊ってみることにした。
彼女は動画撮影をスタートさせると、緊張した面持ちでスタンバイし、曲の始まりにあわせて全力で踊った。
ふうっ…、彼女は直ぐに動画を確認した。
「?」
何かが違う。
お手本の女性のように優雅ではない。
白鳥の如く軽やかなステップ、軸足がしっかりとした素早い回転、指先まで意識したしなやかな手の動き、どれもが違った。
彼女のステップは、どう見ても『エドはるみ』だった。
お笑いではなく、彼女は真面目に踊ってそうなっている。エドはるみのプロの芸人仕事とは訳が違うのだ。
結局、3日間真剣に取り組んではみたものの、彼女が得たものは、笑わせるつもりのないエドはるみのステップだった。
【嵐の予感】
オーディション当日、日本列島には台風が接近していた。朝から雨風が激しい。
彼女は天気予報には殆ど疎く、雨の日には必ず何処かに傘を置き忘れて濡れて帰ってくるタイプだ。この日も、彼女は台風が接近していることも知らずに寝ていた。
10:00 爆音のアラームが鳴った。
ようやく目を覚ました彼女は、もぞもぞとハムスターのようにベットから這い出てきた。
そして、慌てる様子もなく身支度を始めた。
時折、課題曲を歌ってみたり、妙な動きをしてみたり、彼女なりにコンディションを整えているに違いない。
彼女は歯を磨きながら、何を着て行けばよいのだろうかと考えた。何せ、彼女にとっては初めてのオーディションだ。全てに於いて想像もつかないのだ。
結局、彼女は「JUST DO IT」と胸にプリントされた青いスポーツウェアを着た。
勝負服も決まり、リュックサックを背負うと、ようやく電車の時刻を調べ始めた。
「えっ、まじで?」
台風の影響で遅延…、暴風警報…、
彼女はようやく、日本列島に台風が接近していることを知った。
主催者側のホームページを見ても、延期などを知らせる情報はなかった。
「やばい!遅刻しちゃう!」
余裕をこいてる場合ではなかった。
「JUST DO IT!(早くやれよ!)」
スポーツウェアが叫んでいる。
彼女は慌てて家を出た。
強風と小雨が吹き付ける道を、全力で走った。最寄り駅まで走れば5分ほどで着けるはずだ。もはや傘などいらない。邪魔になるだけだ。
ようやく駅に到着すると、彼女は息つく間もなく階段をかけ上がり、改札をくぐり抜け、上りのプラットホームまでかけ降りた。
30秒後、遅延していた電車が到着した。
セーフ。またしても間に合ってしまった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?