見出し画像

フィンセント・ファン・ゴッホという画家に共感し過ぎて切なくなった自分

ご覧くださりありがとうございます!
執筆担当のブリキです。
今回は、久しぶりに絵画を題材としたお話しを投稿しますね。

前回の記事で、私は画家アンリ・ルソーが大好きだと述べましたが、ルソーの純粋で素朴な絵の素晴らしさを知るもっと以前から、フィンセント・ファン・ゴッホという男は、私にとって唯一無比の存在であり、心から最も敬愛している画家なのです。

ゴッホといえば、日本人の誰もが一度は耳にしたことのある画家なのではないでしょうか?
ここで、美術にあまり詳しくないという方に向けて、ゴッホの生涯を下記の参考文献をもとに紹介させてもらいます。

発行 株式会社CCCメディアハウス 
定価:本体1600円+税

『14ページより引用』
1853年、オランダ南部の村ズンデルトで生まれたゴッホは、画商や伝道師を志すものの挫折。画家になることを決意するのは27歳ときわめて遅い。一時期、画塾に通うものの長期にはわたらず、ほぼ独学で彼は絵を進化させた。しだいに精神を病み、自分の耳を切るというショッキングな事件を起こす。そして、90年にピストル自殺を図った。いわば社会のアウトサイダーであったということも、人々の関心を引きつけている。弟テオや友人と交わした膨大な書簡が出版され、彼の人生は、広く人の知るところとなった。 

Vincent  Van  Gogh  ポスト印象主義(派)。
1853.3.30~1890.7.29 享年37。

【器用に生きられなかった孤高の画家】

ゴッホは幼い頃から癇癪持ちで気難しい性格だったと言われています。私が思うに、ゴッホはひとつのことに過度に集中するあまり、途中でそのとき向き合っているものとは関係のない要因が入り込んでくることをとても嫌っていたのでしょう。これは、集中力を潜水に例えるとするならば、ゴッホの過度の集中力は深海に達するほどの深さだと考えられます。ひとたび深海の深さまで潜ってしまえばもう一度水面まで上がってくることは容易ではありません。
一方、集中力が水面にダイブして潜る程度の深さならば直ぐに水面に顔を出すことができますね。だから、世の中の多くの人は安全な水面にいつでも戻ってこられる領域を認知しており、集中する度合いも上手く調整しているのだと思います。
私はどちらかと言えば、深海まで潜ってしまうタイプの人間ですね。趣味の油絵もひとたび描き始めるとぶっ通しで6時間くらいはあっという間に時間が過ぎてしまいます。だからゴッホの気持ちが手に取るように分かるのです。
もちろん、途中で外的要因による妨げがあって集中力が強制的にシャットダウンしても、それで癇癪を起こすというのは大人げないことは百も承知です。ですから、私はなるべく怒ったり不機嫌な態度を取ることはしないように心がけています。(ごく稀に突然キレます😅)
そんな超ハードな潜水の往復を今日まで繰り返すことで私は強靭な忍耐力を手に入れることができました。でも、これは良いときも悪いときもありますね…

強靭な忍耐力が顕著に現れた実例はゴッホにも当てはまることなのです。
ゴッホは、南フランスの「アルル」という町に芸術家の共同体を作ろうと夢見て「黄色い家」を借りました。もちろん、資金は面倒見がよい弟のテオが引き受けました。そして、弟のテオは兄の希望の光でもある「黄色い家」に画家のゴーギャンを向かわせるように手配しました。いよいよゴーギャンが「黄色い家」やって来ることになると、ゴッホは高揚した嬉しい気持ちをキャンバスに表現しました。
そう、それがゴッホの傑作「ひまわり」です。

「ひまわり」

ゴッホは「黄色い家」の装飾画として、黄色いひまわりの絵を7枚も描き続けました。これは凄いことですね。95×73㎝ものキャンバスにひまわりだけを何枚も描くのですから。はたして、この強靭な忍耐力が一体どこから来るのかといえば、ゴッホがゴーギャンとの共同生活の始まりに期待を膨らませていた喜びの強さからだと考えられます。
しかし、現実にはゴッホとゴーギャンはお互いの制作における価値観の違いから、黄色い家での共同生活はわずか2ヶ月で破綻しました。
口論の末、ゴーギャンが黄色い家を去ると、ゴッホは錯乱して自分の耳を切り落としました。これが有名な「耳切り事件」です。
ゴッホは、この事件をきっかけに町の人々から避難を浴び孤立していきました。
夢破れたゴッホはさらに精神状態を悪化させ、89年5月、アルルを離れプロヴァンス地方にあるサン=レミの精神病院に自ら入院することを決めました。このサン=レミでの療養生活は約一年間続きました。病院では絵を描くことが許されたので、ゴッホは療養中に「星月夜」などの数々の名作を残しました。

「星月夜」

この「星月夜」という作品には、ゴッホの苦悩と闘う姿を覆い隠すように、星と月の輝きが眩いほどに主張しています。きっと、ゴッホの病から抜け出したいという強い願いが、希望の光として星と月に託されているように私は感じとれるのです。

ゴッホはやがて精神病院での窮屈な生活からも抜け出したいと願うようになります。そして、90年5月、ゴッホは北フランスの小さな村、オーヴェール=シュル=オワーズへと向かいました。ここが、ゴッホが生涯最後に過ごした地となります。
ゴッホの死はピストルによる自殺とも、他殺だとも言われており、その真相は闇のなかです。しかし、ゴッホは亡くなるまでの70日間で、一日に一枚を超えるペースで絵を描いていたそうです。

みなさんはどう思われますか?
自殺を考えている人間が、毎日精力的に絵を描き続けられるものなのでしょうか?
それとも、命の炎を最後まで燃やし尽くすように、ゴッホはその澄んだ瞳で死を見つめて描き続けたのでしょうか?
やはり、ゴッホの謎は深まるばかりです。

では、またね(^-^)/







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?