安部公房論ー砂漠の思想を視座に据えてー
安部公房論ー砂漠の思想を視座に据えてー
㈠
この度、講談社から発売されていた、安部公房の『砂漠の思想』なる、エッセイ集を手に入れた。これがなかなか、面白い。何か、安部公房文学の根底を流れている思想が、解読できそうである。例えば、作中の、『ヘビについて Ⅱ』にはこうある。
言葉通り、安部公房の白状していることは、小説『壁』の根底にある構造を言い当ててはいまいか。壁という危険、文字通り、不可能性の出現、結句、『壁』の本質を、このエッセイでは言っていると理解出来よう。「きわめて偏狭な視野の持主」というのが、安部公房文学の根底にはある。同時に、偏狭が故、その偏狭を突き詰めた故の、素晴らしい作品の現出という過程が伺えるのである。
㈡
また、このエッセイを読み進めると、面白い文章に行き当たる。『実験美学ノート』という文章である。引用してみると、
丁度、前回取り上げた、『人間そっくり』の主人公が、半ば発狂したように、ここには、安部公房の「狂気にひかれる三つのタイプ」が語られている。㈠、㈡、㈢、どれを取っても、安部公房文学の、狂気というものに関する、自白が見て取れる。『人間そっくり』の、火星人と名乗る男は、㈠の、「その傾向をおびた者」だろうが、安部公房も自称火星人に、憑依して小説が執筆されていることを考えると、まさに、『人間そっくり』の、小説構造を言い当ててはいまいか。しかしながら、この『実験美学ノート』は、非常に面白かった。云わば、安部公房文学の、小説における、実験美学のノートなのであって、この文章を抜きにして、安部公房のことは語れまい、と言った感じである。
㈢
次に、文庫本のタイトルにもなっている、『砂漠の思想』からの一節。
やはり、砂漠的な満州で幼少年期を過ごしたことからの、砂漠に対する「魅力」について語られることは、『砂の女』の根底構造を意味していよう。『砂の女』で、主人公が砂丘へ昆虫採集に出かけること、それは、単なるプロットではなく、「言い知れぬ魅力」がプロットになっている。果たして安部公房が、どこまで自己体験を小説に取り込めようとしたかは定かではないが、幼少年期の体験がそこに暗示されていることは、言うまでもない。形式としてそこに込められた、何か言い知れぬ魅力のために、砂丘へと出掛けたであろうことは、充分に留意できる。ここに、『砂漠の思想』と『砂の女』の小説根幹の同化を見れば、安部公房文学は、『砂の女』よりもっと広い、安部公房が魅力に感じる、砂漠的世界へのノスタルジアが看取、発見出来よう。その点では、『砂漠の思想』というエッセイは、安部公房の『砂の女』の裏舞台装置の表象であると言える。
㈣
最後に、『砂漠の思想』のあとがき、から、2文章を引用する。
此処でついに、安部公房は、「私の創作手口の公開」だと発言する。このエッセイ集を読んで、最後にそういう発言があったことは、素直に読んでいて嬉しいことであった。読み進めている間、安部公房文学との関係性を思考し、また、小説などと照らし合わせて考えていたその思考の正当性を、半ば、認めて貰った形になる。『壁』、『人間そっくり』、『砂の女』、これらのプロットの根幹構造が、まさに、「創作手口の公開」と一致したという訳である。そして、「砂漠に道がない、砂漠に道はある、両方が正しい説に相違ない」、というこの道とは、紛れもなく、プロットのことを言っているだろう。プロットは小説が完成されると、最早必要のないものになる。それは正しい。しかし、小説というものが出来上がれば、その後ろに、道がないこともあれば、道があることもある、それが両方正しいということは、安部公房の小説のプロットは、プロットがあるもの、プロットがないもの、どちらもある、と言うことだろう。即ち、それが、安部公房の「創作手口の公開」だと認知して適切だろう。我々はここに、『砂漠の思想』というエッセイ集に、一つの金字塔を見ることが出来るのだ。
㈤
安部公房論ー砂漠の思想を視座に据えてー、ということで、述べて来たが、どうだっただろうか。少なくとも、安部公房の本を好む自己にとっては、このエッセイ集『砂漠の思想』との出会いは大きなものであった。より、安部公房文学の根底を知るのに、必携な本であった。そしてまた、安部公房程、自己の創作手口を赤裸々に吐露した小説家は、少ないと思われる。例えば、芥川龍之介は、最後まで自分の文学の根幹を吐露しなかった、と言われているが、それに対し、安部公房は、『砂の女』発表の2年後、1965年に、この『砂漠の思想』を発表している。『砂の女』のプロット、『砂漠の思想』という繋がりが、看取出来ることは、ファンにとってはありがたいことだ。そして、恐らく、『砂の女』を読んで、『砂漠の思想』を読み、もう一度『砂の女』を読めば、新しい読解が精細に且つ刻銘に、遂行出来るはずだ。この、『砂漠の思想』という一冊は、安部公房の文学を深く知りたい者にとっては、とっておきの一冊だと言えると思う。これにて、安部公房論ー砂漠の思想を視座に据えてー、を終えようと思う。