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安部公房論ー滲み出る恐怖と心理ー

安部公房論ー滲み出る恐怖と心理ー

前回の安部公房論とは異なり、具体的に作品内部の言語や会話文から、安部公房の本質と魅力を探ってみる。それにあたり、『人間そっくり』と、『笑う月』、の2冊の文庫本を用意してみた。読んでみると、安部公房は、読者の心理を動かすのが非常に上手い小説家だということが、鮮明に分かる。読んでいると、その作品世界に没入する仕掛けになっている個所が、多々みられ、特に、今回取り上げる、『人間そっくり』と、『笑う月』、においては、その方法論が多々ある。こういう技術を、安部公房は持っているのである。

例えば、『人間そっくり』では、火星人と自称する男の言葉巧みな技術によって、主人公が翻弄されるのだが、自称火星人の言葉を拾うと、

「じつを言うと、ぼく、普通の人間じゃないんです。火星人なんですよ」

『人間そっくり』/安部公房

火星人は、地球で暮らしていると、どうしてもノイローゼにかかってしまうんですよ。

『人間そっくり』/安部公房

火星はまだまだファンタスティックだけど、火星協会となると、これはぐんと現実的でしてね。

『人間そっくり』/安部公房

この様な、意味不明な言葉が散乱している。主人公は、その会話の度に、何か得体の知れない滲み出る恐怖に苛まれる。しかし、会話は途切れず、飽くまで、関係を持続させ/或は自称火星人に持続させられ、物語は進んで行く。

そして最後は、

いったい、この現実は、寓話が実話に負けたせいなのか。それとも、実話が寓話に負けたせいなのか。法廷の外にいるあなたに、お尋ねしたいのです。いまあなたが立っている、その場所は、はたして実話の世界なのでしょうか。それとも、寓話の世界なのでしょうか・・・・・

『人間そっくり』/安部公房

この様に、半ば主人公は、自称火星人との出会いから、発狂しているかに見える。ここまでの、滲み出る恐怖を、俯瞰で書いて居る小説家、安部公房は、まさに天才だと言っていいだろう。『人間そっくり』を読めば、物事の価値観が、まるで転倒してしまい、半ば異世界へと読者は運ばれる。

それが、『笑う月』という随筆の短編集の中の、『空飛ぶ男』では、夢の中で、空を飛ぶ男が登場することに対して、会話の中で、主人公は聞く。

そんな事より、君、どうやって飛ぶの。

『空飛ぶ男』/安部公房

出来たらぼくだって飛びたいよ。だって、君、人間が空を飛ぶってのは、こりゃちょっとした才能でしょう。

『空飛ぶ男』/安部公房

でも、ぼくは、ぜんぜんだな。君に恐怖感なんて、想像もつかないよ。

『空飛ぶ男』/安部公房

この様に、空飛ぶ男に対して、滲み出る様な恐怖を感じてはいない。無論、夢の中のことだが、文中では、現実の様な夢として、トリックが掛けてある。読者はやはり、作品に引き込まれるが、安全圏に逃げ出せるように、言葉巧みに、作品は仕上がっている。読者の心理を動かすのが、実に上手いと言わざるを得ないのだ。

『人間そっくり』が、1967年に発売。『笑う月』が、1975年に発売。この期間において、自己存在における、自己の有り様として、滲み出る恐怖、を乗り越えた心理を獲得したのではあるまいか。作中で述べられる会話文に置いても、恐怖感を正常と捉えられるまでに至っている。当たり前じゃないことが、起こりえても、それを恐怖と感じず、正常だと認識すること、これは一つの達観であるだろう。読者の心理を揺さぶっていた安部公房は、いつの間にか、執筆の過程において、自己の心理を安定させるに至る。これは、書くことによるカタルシスによって、アプリオリな心理病の様なものを、打破したのではないだろうか。

でも、ぼくは、ぜんぜんだな。君に恐怖感なんて、想像もつかないよ。

『空飛ぶ男』/安部公房

再度、引用するが、この様に、夢の中ではあっても、随筆ではあっても、空飛ぶ男に対して、この様に言い放てるのは、まさに、滲み出る恐怖への克服である。

安部公房論ー滲み出る恐怖と心理ー、として述べて来たが、この様な心理的変化が、『人間そっくり』から、『空飛ぶ男』に見受けられるのは、安部公房文学の、見逃せない点である。結句、安部公房の小説家としての、或る一側面において、この恐怖の克服というものが、なかなかに、大きなテーマだったと言えるのではないだろうか。読者を翻弄しているようでいて、自己も人生に翻弄されていたことが、その小説に滲み出る恐怖の収束によって、心理の安定へと収斂されて行く事態が、この2冊から伺えたことは、安部公房論を論じるに当たり、非常に貴重なことだったと言える。これにて、安部公房論ー滲み出る恐怖と心理ー、を終えようと思う。

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