萩原朔太郎論ー医者の長男として生まれ、定職にも就かずー

萩原朔太郎論ー医者の長男として生まれ、定職にも就かずー

萩原朔太郎は、タイトルにもあるように、医者の長男として生まれ、定職にも就かず、そういった人生を送った。これは、或る側面から言えば、非常に怠け者の様に世間からは見えるのかもしれない。しかし、口語自由詩の確立者として、日本文学史に大きく刻まれたその詩的営為は、文壇という位置から見れば、世間の目を大きく跳ね返すだけの、実に素晴らしい業績である。要は、ものの見方によって、価値観は異なるのであって、詩人が職だと考えれば、定職に就いて居た、と萩原朔太郎は反論する余地がある。しかし、医者という稼業を継がなかったことに、負い目も有った様だ。

ところで、現在の大学でのカテゴライズによれば、理系、文系、と大きく分けられるが、父親が理系の医者なら、萩原朔太郎は文系の詩人、である。ところが、萩原朔太郎を研究した論者の論文を読んで居ると、理系的発想で、詩を評論している論者が少なからず居る。萩原朔太郎の詩の理解には、理系の発想が必要となって来るようなのである。

詩から拾い出せば、

「ますぐなるもの」「するどき青きもの」「するどく指をとがらして」「この青白い窓の壁にそうて、家の内部に立つてゐるわけです」「およぐひとのからだはななめにのびる」/詩集『月に吠える』から

上記した言葉からも、その理系的発想は充分に看取出来る。「ますぐ」、つまり直線や、「するどき」「するどく」、などの鋭利や、「窓の壁にそうて」、などの枠組みや、「ななめにのびる」、などの角度、などである。上記は一例に過ぎない。萩原朔太郎は、ー医者の長男として生まれ、定職にも就かずー、とも、多分に医者の長男としての理系的なものを文系に転化するという継承を行い、定職ではないにしても、詩人として充分な業績を果たしている。これが、医者を継がなかった萩原朔太郎が、その人生の裏側で成し得た、最大の親孝行だったと言えるのではないだろうか。そこには、まさしく、理系的なるものの継承が、言語として生き生きと成されているし、隠れた裏側での萩原朔太郎の親を超えんとするもの、だったのである。これにて、萩原朔太郎論ー医者の長男として生まれ、定職にも就かずー、を終えようと思う。


いいなと思ったら応援しよう!