芥川賞、『バリ山行』論ー風土記の系譜としての読みー
芥川賞、『バリ山行』論ー風土記の系譜としての読みー
㈠
第171回芥川賞作品、『バリ山行』を、読んだうえで、これは全く新しいジャンルの小説だ、と思った。しかし、小説家というものは、何かの系譜に分類されることが多々ある。山岳小説としては、この『バリ山行』が原初となるだろう。しかし、小説を読んで居ると、六甲山を始めとして、関西の、特に兵庫や大阪の場名や駅名が出て来る。思わず、あっ、と思ったものだ。
㈡
太宰治の『津軽』と言う小説がある。この小説は、太宰治なりの風土記、という読みがあったと思い、調べてみると、津軽風土記、を依頼されて太宰が書いた、ということだった。論じられた多くの評論もまた、風土記、に着目し、その内実が描かれている。このことを、つい最近思い出したのだが、そうなると、『バリ山行』が、どうも風土記的な位置を占めているのではないか、と思う様になった。
㈢
ここに、風土記、としての、太宰治ー松永K三蔵、の系譜が見受けられる。無論、『バリ山行』が、風土記を書こうとして書かれたかどうかは、分からないし、そういう意味合いが有ったとは思われない。ストーリーとして、六甲山への危険の文字が見受けられるからだ。しかし、筆者は六甲山を殊の外、知り尽くしている様だし、寧ろ、後記的な意味合いでもって、風土記の系譜に入れても良い、と言う感じがする。
㈣
『バリ山行』は、実に面白い作品である。暗さの中にも、途轍もないユーモアがある。しかし、単体としての小説を俯瞰すれば、太宰治の『津軽』の系譜に入ると思う。『バリ山行』もまた、松永K三蔵なりの、風土記と言えるだろう。これはしかし、たいしたことをやったものだ、と思わざるを得ない。太宰治の『津軽』が刊行されたのが、1944年(昭和19年)11月15日、であるから、直系的にはそれ以来の、風土記の復活と読めるはずだ。
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芥川賞、『バリ山行』論ー風土記の系譜としての読みー、として書いて来たが、何も、誰もかれもが、自分のこの風土記の系譜、という主張に納得して頂けるとは思っていない。ただ、自分が思うには、そういった読みも出来るはずだ、ということなのだ。敷いては、日本文学はまだ衰退していない、という明証にもなる。そう言った点で見ると、『バリ山行』は、すごいことをやった、ということになる。『バリ山行』は本当に面白かった。松永K三蔵の、次の作品に、期待したい。
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