安部公房ー『飢餓同盟』論、その4ー
安部公房ー『飢餓同盟』論、その4ー
㈠
『飢餓同盟』論も、その4を迎えた。その本質的魅力を、考察をするために、随分『飢餓同盟』を読み込んでいるが、やはり、安部公房文学の起点になっているがためか、非常に重要箇所が多いのである。それも、安部公房が商業的に売れ出す頃、と言えば適切か、『壁』から数年後のため、人生における或る種の勝負魂の様なものが、随所に見られ、これは、安部公房が文学と戦っているな、という感じのする、気合の入った小説なのである。その3までで、述べて来た様に、この小説が安部公房の一つの分岐点になっているとは、言えるだろうという、考察結果になっているが、今回も重要箇所を抜粋し、考察していく。
㈡
例えば、この様な箇所。
結句、『飢餓同盟』で言いたかったことの、総括的箇所として、この「(略)株式会社って、思想があるんですね。」、という台詞は重要である。安部公房自身の、世間に対する発見とでも言えば、自然に聞こえるだろうか。悉くこの抜粋箇所は、安部公房の人生における、重大事項であり、安部公房が、社会に出た時に痛切に感じたであろう、この、企業というものの体質を言い当てている。社会に出て初めて分かる、社会の構図が、前面に押し出された言葉として、人の精神を打つかの様である。「思想ですよ。企業自体っていう思想なんだ。法律もあるし、精神もあるし、主義もあるんです。分からんですよ。むちゃですよ。」、という事実を知ったものは、なかなか、社会人として生き辛い。
㈢
この箇所の裏付けは、拙稿、安部公房論ー全集最終巻、十五巻からの、安部公房方法論、そのⅢー、の『ぜんぶ本当の話』に、体験として書いてある。
「思想ですよ。企業自体っていう思想なんだ。法律もあるし、精神もあるし、主義もあるんです。分からんですよ。むちゃですよ。」という弁解は、この『ぜんぶ本当の話』で語った、安部公房自身の気質の様なものを、明証している。集団である企業というものに、融けこめないという独白は、この小説で既に述べられて居た。それは、実に安部公房にとって危険極まりない場所としての、『飢餓同盟』なのである。であるからして、この『飢餓同盟』の主題としては、引用した箇所に述べられているし、後に、『ぜんぶ本当の話』で語られるような、安部公房の集団拒否感、同盟拒否感を、暗に言い当てている。
㈣
安部公房ー『飢餓同盟』論、その4ー、として述べて来たが、『飢餓同盟』論も、今回で終わりとなる。その1、その2、その3、そして今回のその4、で分断して述べて来たような考察が、自己の安部公房論の『飢餓同盟』から感得出来た、考察の結果である。畢竟、『飢餓同盟』は、集団を求め、集団が分破される形式で幕を閉じるが、これは、壮大な、一つの国家論とも読めなくもない。集団には様々あり、企業を含め、政党や宗教や家族など、そういったものに対する安部公房の思考の様なものが、詰まっている小説である。無論、これを、『壁』以上の作品だ、とするつもりはない。ただ、『壁』とは全く異なる種類の小説として、『壁』に比類無き小説だとは言えると思う。安部公房ー『飢餓同盟』論は、かくして、同盟という集団の困難を描いた小説として、意味を持ち、また、そういった主題を持った作品だった、ということで、考察の末の結果としたい。以上で、安部公房ー『飢餓同盟』論を、終幕させようと思う。