【エッセイ】営業関西支部1位の先輩の話
理不尽なことは書いて消化してきた。
わたしが入社した時、わたしの勤める会社はブラック企業の代表みたいな会社だった。
「昔は大変だった」自慢はダサいと思うので簡潔に止めるが、
土日のサービス出社は当たり前で、休んで遊びに行こうものなら、働いてる先輩がいるのに一年目が遊びに行くなんてどういうことだと土曜に上司に呼び出されたこともあった。
コロナもなかった時代、インフルで休む子がいれば、上司は「締め切り近いのに、、私だったら秘密にして来るけどな」と言っていた。
書き出したらキリがない。
それでも理不尽の合間は執が進んだ。
誰にも見せない小説をずっと書いていた。
気持ち悪がられるので書いてることすら誰にも言えなかったが、そうすることで気持ちをやり過ごしていた。
そして、わたしにはもう一つ頑張れる理由があった。
こんなひどい毎日でも休まずに出社できたのは、同性の憧れの先輩がいたからだった。(仮に白石先輩とする。)
白石先輩は売上も関西支部で圧倒的に1位。
1人で月に何億と売り上げを出していた。
壁のグラフは売上が天井までいき、ついには天井をつたうように折り曲がっていた。
天邪鬼で、当時会社に不満ばかり抱えていたわたしは、売上だけでは憧れなど抱かなかっただろう。
その先輩はいつも本当に楽しそうに働いていた。無理やりやれと言われるから数字をあげているのではないのだ。
わたしの案件を見てもらったことがある。
「このお客さんの資産はこれくらいで投資の配分はこうなってます」とわたしがキャッシュフロー表を見せると
先輩は「私な、こういうとき普通に疑問やねんけど、このお客さんはなんでこのプランに入ったんやろ。家族が増えたのかな?これを入った時どんな思いがあって、今はどんな思いを抱えてるんやろ。兄弟とかいるんかな?趣味とかあるんかな?右利きなんかな?」
わたしはそこで初めてお客さんのことを何も知らないことに気づいた。
それを白石先輩は純粋に興味津々で目を輝かせながら話した。口角は上がっていて本当に楽しそうに言っていた。
営業技術だとか、「お客様のことはまずヒアリングしましょう」だとか、表面だけにノリでつけたような言葉ではなかった。
心からこの人は、お客さんに、というより人間に興味があるんだと思うような顔つきだった。だからこそ出てくる質問もいっぱいあった。
人は本能的に自分のことを聞かれるのが好きだと営業本には書いてある。
だが、それと同時に自分に興味がないかどうかも目線や態度で敏感に感じ取れるともわたしは思う。
言葉では、「いいですね。」「お子さんおいくつなんですか?」「可愛い年頃ですね」と笑顔で言えても、それが付け焼き刃やお世辞であることは言われた側もわかってるのだ。
瞳の奥が自分を見ていないことに気づいてしまう。
白石先輩の瞳の奥はしっかりとわたしの心を掴んで離さなかった。
お客さんに、この人は自分のことを本当に考えてプランを組んでくれるという安心感を与えた。
そんな楽しそうに働く先輩に憧れて、会社に不平不満を抱きながらもかっこいい背中を追いかけ、
アポの時にも自分の中に白石先輩を憑依させて、話すようになった。
白石先輩のように成果はどんどん出るわけではなかったが、その後、6年間この会社の酷い待遇と闘い抜けた。
ところが、働き方改革、コロナ、不景気がいっぺんに押し寄せた。
働き方改革によって、土日のサービス残業が減り、物価高にともない給料改定があり全体の給料があがった。
それは素晴らしいことだが、その皺寄せは数字をやっていた人が受けることとなった。
インセンティブの率を下げることで帳尻が合わされたのだ。
世の中の不景気もあわさり、リモートが普及し、出社率やお客さんとの面談数も減った。
全体的な売り上げは見込めない、しかし社員のモチベーションを保つために、売り上げを持ってくるよりも丁寧な事務作業や研修資料を作った人たちが評価されるようになった。
それは働き方改革や労基の目線を気にしての変化でもあっただろう。
ホワイト企業の仲間入りをはたし、昔に比べるとだいぶ働きやすくなった。
ただ、今まで会社に数字を貢献してきた人たちからすると急な手のひら返しのように感じた。
そうして、白石先輩は退社した。
あれほどに会社に貢献した白石先輩を守れない会社に今後の未来があるのか疑問だった。
ずいぶん居心地の良くなったホワイト企業にその後も居座り続けてるわたしは
あの時の熱のやり場を無くしたまま、
文章を書くことで消化させようとしている。
(前回の記事で出てきたギャルの後輩にこの話をするとあっけらかんと「その時代に入社しなくてよかったー」と言っていた。)