どうしてうつになったのか
さて、経緯を話す前にうつ(鬱)とは何か。うつ病の説明を軽くします。
うつ病は心の病気と言われてきましたが、端的にいうならば脳機能の不調です。
というか心なんて臓器ないです。意味わかんないです。
最近では脳の画像検査で血流量の変化など特有のパターンが見られ、脳にも変化が出ていることが分かってきています。
「心の風邪だから誰でもかかる」という言葉が大変浸透しており、だからすぐ治ると曲解している方も多くお見掛けします。大変残念な方々です。
ストレスが度を越えてある程度の期間かけ続けると、徐々に心身に不調が出始め、ある日発症というかんじです。
うつ病を公表されているサカナクションのボーカル山口さんがNHKスペシャルで仰っていました。ある日決壊すると。まさしくそうです。
さてここから本題です。
私はただいま休職していますが、身分としては地方公共団体の事務職です。つまり地方公務員ですね。市町村職員というやつです。
よくたたかれている職業ですが、平時は所管の課で事業を進め、選挙のときは投票所の運営と開票(+片付け)、災害時には災害箇所の確認と報告または避難所開設運営えとせとら…
忙しいですよ普通に。夜中12時こえたこと何度もあります。
そんなでも自分の力で獲得した仕事なのでそれなりにがんばってました。
そこそこ昇進したある年に公立病院に異動命令が出ました。病院経営も公務員の仕事です。おそらくどの市町村も統括する課(お給料や物品等)と医事課(診療報酬全般を取り扱う)の2つがあるかと思います。
私は医事課に配属されました。
とある大型掲示板で部署の格付けありましたが、医事課はド底辺でした。
いやだなあと内心思うもののすめば都、一生懸命やってればきっとなんとかなるさと楽観的にスタートしました。異動は何度かしていたのであえて構えないのが私のスタイルでした。
でしたが、ときは最悪の年、令和2年4月。新型コロナウイルス感染症パンデミック勃発です。
病院は瞬く間に地獄にかわりました。
事務も例外でなく、出入り口で手の消毒と検温の当番。夜間出入り口で入院患者面会の対応の当番とまともに業務に集中できる時間はなく、それでいて減らない仕事、謎会議、謎うちあわせ…
また、感染者は当時はあちこちたたかれていたので、病院勤務が第一号感染者になれないとみんな必死でした。公立病院以外は分散勤務でしたが、病院は毎日きてくださいとのこと。それで発熱した人に近づくのに感染しないは無理なのでは。
まあ、とにかく立場と環境が味わったことのない地獄だったのです。
さらにここに人間問題がプラスされカオスを極めていきます。
私は身体症状が先に出るタイプだったので、止まらないまぶたのけいれんや、ひどい肩凝りと頭痛、胃腸機能悪化と、急に泣き出すなどありました。
自分でもなにが起きてるかわからず休めないと頑なに思い込む不思議。
親につれていかれた精神科で診断書を書いてもらい、休職となりました。
ひとまず経緯はこのようなかんじです。
次は身体症状と精神状態など無理のない範囲でふりかえれたらいいでしょうか。
心の整理のためなので無理なく気楽めいてかいていこうと思います。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。