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今日を生きること

 東の地に住む人から、朝日の写真が送られてきた。

 私の住むところは、まだ夜明けではないから、その時差から、その人との距離を改めて感じさせられた。

 そう、私の今日は、こうして今始まった。

 本当の朝でなくても、始まったのである。

 1日、1日をまるで、地層のように重ねることで少しずつ高いところから自分を俯瞰してみることが出来るのだと思う。

 年を重ねれば、重ねるほど、その『俯瞰』は『鳥瞰』となる。
隅々まで見渡すことができる一方で、自分の「腹」「ハラ」


つまり
文字通りの「お腹」ではなくて、自分の「腹のうち」が自分でもわからなくなってしまうこともあるのだと思う。

私は、自分の腹の内は、まだ見えてるように思う。

否、信じたいのだと思う。

 今日を生きることを意識しすぎていた時、私は何か結果を出さなければいけないという妄信にとりつかれていたように思う。

 金曜午後。

 顧客からの電話を受けて、過去の自分自身を見せられたように思った時、
ふとそんなことを思い返していた。

「そう、くるか。」

 早ければよい、という考えも一元的に自分に刃先のように向かってくると、「よい」とは言えないのだ、ということに気づかされた。

しかしながら、不思議と、もやもやしなかった。

端から見ると、「嫌な電話だったね。」
「クレーマー?」

そんな内容だったから、自分の反応に自分で驚きを隠せなかった。

前の自分だったら、

確実に違った反応を見せたに違いない。

私は、何か変わったのかもしれない。

それに反応し、対応しなければならない。できなかった自分や
しようとしなかった自分に自責の念を送り続けたに違いない。

それは、何ともいえない体験であると同時に

自分の腹の内の中に、新たな部屋(Chamber)が出来たような感じなのである。

 人間の心臓には、4つのChamberがある。5つ目ができたような感じなのである。

Chamberとは、日本語でいうところの特別な部屋、室。
わかりやすい例でいうと、
ハリーポッターと秘密の部屋と訳されたこの「部屋」は
Chamberである。

引用元:中学生のころの私

 5つ目のこの部屋こそ、大切にすべきなのだと思う。

その部屋が、窮屈に感じられたのなら何かが間違っているのだと思う。

1つのサインとして、自分の中にとどめておきたいと思う。

 朝日は、文字通り東の地から上り始める。自分の心の中の東の場所に
5つ目の部屋を作って、今日を生きていきたい。

 


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家出猫
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