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『エッセイ編・8 人生の濁流で藁を掴む』

「人を輝かせることをしなさい。」

不思議な、神様との対話で、

それが私の目的だと知らされました。

それが、自分の進むべき方向なのだと、

行動し始めたました。


そして、

『聖まるこ伝』という、企画が誕生したのです。

それは、天才工場の吉田社長に絶賛されました。

それまで閉ざされていた道が開かれたのです。

その経緯を、書いたのがこちらの記事です。

『エッセイ編・7 輝くものはいつも目の前にある』

この記事をnoteに掲載すると、
このようなコメントをいただきました。

「素晴らしい内容だと思いました。
人にした事は自分に返って来るとはいえ、
なかなか、他人を輝かせるのは出来ないが、
心がけたいです」

でも……。

当時の私は、このような言葉には、値しない人間だったのです。


「徳を積む」という言葉があります。

良いおこない、をすると、
神様がそれを見ていて、
ご褒美をくれるというのです。

だから、徳を積むような生き方をしましょう、
いう昔からの教えです。

私は、そのような、立派な心がけではなかったのです。

世のため、人のために、

「人を輝かせよう」というような、

尊い気持ちではなかったのです。


そして、それと真反対の、

打算や、駆け引きの、気持ちもなかったのです。

なぜなら、

それまでの30数年は、

打算と駆け引きばかりで、

世の中を渡ってきたといっても、いいかもしれません。

そして、その無意味さを、散々味わいました。


尊い気持ちもない。

打算という気持ちもない。


では、なぜ、

「人を輝かせる」という道を選んだのでしょうか。


最後に残された選択肢が、

それしかなかったからです。


だめもとで、試すしか、なかったのです。



人生を川に例えると……。

この頃の私の人生は、濁流の川でした。


私は、濁流に飲み込まれ、今にも溺れそうだったのです。

その苦しさから、ただただ、逃れたいために、

何も考えずに、必死で、

神様が差し出してくれた、

一本の藁に、しがみつくしか、なかったのです。


尊さ、打算、さえも、濁流に押し流されていたのです。

だから、「人を輝かせよう」、
「人を輝かせる靴墨になろう」

という思いは、

立派な考えから、出てきたものではなかったのです。


濁流の中で、

「反射的に藁を掴んだ」だけなのです。


その行動の結果を、あえて先に述べてしまいます。

「人を輝かせなさい」という神様のアドバイスに従ったことにより、

『聖まるこ伝』の企画が一瞬で誕生しました。

そして、この、『聖まるこ伝』は、ベストセラーになります。


さくらももこさんも大喜び、

天才工場の吉田社長も大喜び、

そして、私も大喜びしました。

なぜなら企画料として、

多額の印税を手にし、

経済的な危機を、脱することができたからです。


その後、私は、

「人を輝かせる」という気持ちで、

企画を立て続けると、

次々とヒットしました。


その中の一冊、

絵本『虹の橋』は、

模倣した絵本が、が次々と出版されるほど、ヒットしました。

作詞家の湯川れい子さんが、文章を書いてくれました。


歌手の、藤田恵美さんが、

CD化してくれました。


それらの企画に携わっていただいた方々は、

みんな幸せそうでした。

もちろん私も幸せでした。


その時初めて、

「人を輝かせる」というのは、

実は、

自分にとっても、

人にとっても、

世の中にとっても、

素晴らしいことだと、気づかされたのです。


濁流の中で、

反射的に無我夢中でつかんだ藁でしたが、

その藁は、神様の特別な藁だったのです。


自分の心の、奥の奥にあった、

「真我」がボクを助け、導いてくれたのだと、

実感したのです。


理屈や、打算ではなく、


この生き方が、

自分に合っていると、素直に感じたのです。


          

      つづく

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

『今日のひとかけら』


人生の濁流に飲み込まれている時、

目の前に差し出された藁は、

ただの藁に見えるかもしれません。


でも、それを掴んでみたとき、

その藁が特別な意味を持つことに、

気づくこともあります。


行動する勇気が、
人生を輝かせる、最初の一歩になるかもしれません。



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