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フランス精神・・・はいはい

パリ五輪開会式。フランスでは大成功の声が多いようですが、違和感が多いとの意見も聞こえています。
パリは世界屈指の観光都市、その町並みは宝石箱が並んでいるようとの感想を述べた有名作家もいるようで、確かに、その美しさは評価されて当然でしょう。パリではしゃいでいた自民党代議士も居ました。パリを訪問した喜びを書き連ねるのは勝手ですが、公費を使って身内を連れてフレンチ料理を堪能しているところまで見せびらかせば、顰蹙を買うのも当然ではあります。

フランス人の美的センスは世界に冠たるもの・・・とも一概に言えないのが、今回の開会式に限らず、エッフェル塔にしても建設当時は「醜怪」と酷評されたと聞き及びますし、現在のパリ市街の風景を作り出した知事ジョルジュ・オスマンによる19世紀の「travaux haussmanniens(パリ改造)」は、パリの(混沌とした)良さを粉砕したという批判の声が結構大きかったそうですから、現在、彼らが誇りとするモノは一部の急進派により生み出され、多方面から褒められるようになったので「自慢のたね」に昇格したと言えましょう。国家指導者層に先駆的な人材が出現しても、国を挙げて高度かつ先進的な美的感覚を持ち合わせている訳でもなさそうです。天才が偶に出現して、どういうわけか大仕事が託されるという政治風土が彼らの強みなのでしょう。

さて、斬新な芸術性は結構なことだとしても、他者を不快にする表現を世界イベントである五輪の開会式でやらかす彼らの精神性は、深く記憶にとどめるべき点であると思いました。最後の晩餐のパロディー(?)は敬虔なキリスト教徒に怒りを抱かせ、生首を抱えるマリーアントワネットの処刑をフランス共和国建国のシンボルイベントに据えるしても、彼女はオーストリー人で責任者を出すならルイ16世を出せと言いたくなります。エディット ピアフの「愛の賛歌」が名曲でも、薬物中毒で亡くなった歌手の代表曲を五輪で採用するかね?等々、気配りのかけらもない国民性が分かります。素晴らしいものは素晴らしいのさトレビアーン・・・ひとつの生き方ではありますが不安にさせてくれます。

我が国では訪日客用に多国語表示を増やすことに熱心で、この他にも、おもてなし活動の推進が各地で繰り広げられていますが、私がパリに行った際には、外国人ましてや日本人歓迎の風景は記憶にありません。出会った黒人系の女性は愛想がよかったですが、白人は実に事務的・機械的な対応でした。それでもパリは世界最高の観光都市と評する声は今でもあります。ブランド戦略の威力は成功すれば実に凄まじい。おもてなしとか言わずとも、観光客は群がり、パリだから仕方ないと大金を支払います。それでいてオーバーツーリズムの元祖のような地域なのですから、日本人が勝手に思い込んでいるお持て成しの観光戦略は本当に正しいのか、見直す必要があります。

開会式のほかにも、選手村の食事が酷い(採食主体で生肉を提供)、冷房がない(別途有料で受注/フランスチーム区画には当然設置)、トイレに隙間がある、道頓堀川よりはるかに水質の悪いセーヌ川でトライアスロンを強行する等々、外国人を気遣う感性は持ち合わせていない様子にあふれています。対外戦争、革命戦争と長年いくさを繰り返してきた精神性ですから日本人的な感性と全く違っても不思議に思うべきではありません。歴史文化の違いは当然認める他ないものです。でもまあ、気遣いなんかに関心を寄せない姿勢、デモや暴動が今日も絶えないフランスの光景を見るに国家意識が共存共栄の方向に傾くことは至難と見てよさそうです。

最近、海洋テロリスト・シーシェパード幹部の身柄引き渡し交渉がデンマークと日本の間でまとまったようですが、これにマクロン大統領が反対すると言ってきたのは、環境活動家であれば手段が破壊と暴力でも許されるとお考えなのでしょう。どういう訳か彼らの心に刺さった「JUDO」人口は日本の4倍!フランスの戦いはこれからも続きます。



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