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ミュージカル「燃ゆる暗闇にて」を観劇して

まず筆者に関する前提ですが。
・舞台やミュージカルを観に行くことはほとんど無し。
・原作戯曲や韓国版ミュージカルに関する知識・情報は無いに等しい。
よって的外れな感想になっているかもしれませんが、あくまでも個人的な感想だということでご容赦して頂ければ幸いです。

観劇直後に書いた感想


本作品の概要やあらすじ、キャスト等については、公式HPを参照されたい。

公式HP・イントロダクションより一部を引用。
“スペインの巨匠と言われる劇作家“アントニオ・ブエロ・バリェホ”の傑作、「燃ゆる暗闇にて」。盲学校を舞台に、人と人が起こす化学反応や対立・葛藤を繊細に描き、人間の普遍的なテーマに切り込んだ本作は、1950年に初演の幕が上がった。閉ざされた学校の中で繰り広げられる、無垢な学生たちの繊細な心の動きや葛藤は、「幸せ」についての真意を問い、多くの人の共感を呼んだ。”

物語のあらすじは以下の通り(公式HPから全文引用)。
“ドン・パブロ盲学校。ここに通う生徒は全員、光を感じることができない。だが、「自分たちの持つ障がいを忘れるほど、安全で自由な学校」という教育方針のもと生活する生徒たちは皆とても幸せそうだ。彼らの中でもリーダー格であるカルロスとホアナは、誰もが羨む優等生カップル。同じクラスのミゲリン、エリサ、他の生徒たちも、まるで自分の障がいを忘れるように生きていた。長期休み明けの学期初日、転校生がやってくる。転校生のイグナシオは「ここは嘘の楽しさに汚染されている、虚しい幻想・悲しいパロディだ。」と嘆き、生徒は困惑する。自分が盲目であることで、これまで沢山の生きづらさを感じてきた転校生イグナシオ。彼の悲観的で、みえる世界への憧れを隠さず・渇望する態度は、「学校こそ自分たちの生きる世界。」と思っていた生徒たちの今までの信念を揺らがせ、“自分には何かが欠けている”という現実を突きつけられる。
「多くを望まず、与えられた世界に満足することこそ救われる」という学校理念を信じるカルロス。「宿命の悲しみや、やるせなさを分かち合い、いつかの奇跡を信じることこそ救われる」というイグナシオ。2人の対立で学校は更に混乱を極めていきー想像を絶する衝撃的な結末が、彼らを待ち受ける。”


主な登場人物は視覚を持たない盲学校の生徒たちだ。物語の冒頭、休暇で学校を離れていたカルロスと恋人のホアナが再会して他の学生達の前で長いキスをかわす(ちょっとどきどきした)。皆が雰囲気でわかっていたとはいえ、彼らには「人目を気にする」という概念が無いのか、とハッとした。イグナシオが初めて学校に現れる場面では、彼の使う白杖の音で生徒達に学校の外から誰かがやって来た事がわかる。第二幕カルロスがベンチに座って一言も言葉を発しない場面。すぐそばを通っても誰もカルロスがそこに居ることに気が付かない。ホアナがカルロスの名前を呼び、そこでやっとカルロスは声を上げる。この場面は居場所を失ったカルロスの孤独や戸惑いみたいなものが強く感じられてとても印象的なのだが、何処にもいかないで声を出さないことだけで「いなくなる」ことができる事に気が付いた。そして、「見える人」と「見えない人」とでは行動や考え方が異なってくることも。

物語では「見えること」「見えないこと」が象徴的に扱われる。「見えない」の中には「知らない」「知らされていない(隠されている)」や「見ない(知らない)ふりをする」もあるだろう。登場人物の中で唯一の「見える人」が盲学校の副校長かつ教師であるドニャ・ペピータ。彼女は全盲の政治家でこの学校の校長であるドン・パブロのパートナー。第二幕、イグナシオの影響で学校が混乱している状況下、彼女とカルロスが話をする場面。ドニャ・ペピータが「私には今目の前にある物の色、形が全て見えている。真実が見えているのは私?それともイグナシオ?」とカルロスに問う。この場面はシンプルに怖かった。見えるだけで真実がわかるなんてことはないはず。それを視覚を持たないカルロスに言うのか。物理的に「見える」ことと真実を知ることは違う。そもそも真実ってなんだ?
ドニャ・ペピータがイグナシオに語るペールギュントの物語。カルロスに語るイエスキリストの最後。ドニャ・ペピータからイグナシオの処遇(自分から学校を去るように促すこと)について指示を受けたカルロスが答えた「ボタン職人(ペールギュントでは「中庸」の人間を溶かしてボタンにする職人。死神)です」の意味とは。
ある夜、イグナシオが校舎から転落し突然の死を迎える。事故か自死か、あるいは。何が起きたのかはっきりとは分からない。何かを見たドニャ・ペピータはカルロスを一方的に責めるが、彼はこう答える。「あなたも盲人だ、ドニャ・ペピータ。本当のことを言えないなら、見えてないのと同じでしょ?」
そして、カルロスの自死でこの物語は幕を閉じる。2人の死で終わる本作品には救いがない。登場人物は誰も悪くはない(と私は思う)。皆自分の考える真実や幸せのため行動しただけ。もちろんこれは架空の物語でドン・パブロ盲学校は存在しないしイグナシオもカルロスもいない。救いがあるとすれば、こんな悲しい死を迎えた若者がこの世界には存在しないと言うことだけである。

本作品の大千穐楽から10日ほど経った今も、折に触れ様々な事を考えてしまう。作中「不幸は人間の宿命だ」というカルロスの台詞があるが、本当にその通りだと思う。自分のこれまでの人生を振り返っても思い出すのは苦労したり辛かった事ばかり、思い描いた通りになる事なんてほとんど無かった。けれど、そんな中でも日々の小さな幸せや喜びを見つけることは出来るし、まあまあ健康で衣食住が足りた生活が送れていること自体幸せでは、と思う。
でもこれって「多くを望まず、与えられた世界に満足することこそ救われる」なのかな?
「いつかの奇跡を信じる」方がいいのか? 分からない。
一方、この物語に出会えたことは私にとって幸せであることは間違いない。と思う。

最後にキャストの皆さんについて。
・演技・歌唱共に各々の個性が際立っていて素晴らしかった。エリサ役の高槻かなこさんはミュージカル初挑戦だったそうだが、そんなふうには全く見えなかったし、エリサの優しくて芯のある強さが魅力的だった。歌唱が印象的だったのは、ミゲリン役のコゴンさん、ホアナ役の熊谷彩春さん、ドニャ・ペピータ役の壮一帆さん。歌が始まると空気がガラッと変わるのが凄かった。アルベルト役の松村優さん、アンドレス役の雨宮翔さん、エスペランサ役の日髙麻鈴さん、ロリータ役の菅原りこさん4人の奏でるハーモニーはとても美しくて大好きでした。
・イグナシオ役は観劇した回全て坪倉康晴さんでした。坪倉版イグナシオは激しい怒りの中にもどこか静けさが漂っていて、その佇まいからは怒りよりも彼の苦しみ悲しみを強く感じて切なかった。Wキャストの佐奈宏紀さん版イグナシオが見れなかったのは痛恨の極みです。
・そして私をサンシャイン劇場に連れて来てくれたカルロス役の渡辺碧斗さん。幸せな時間をどうもありがとう。

このビジュアル、大好き。

(まだ続く予定)

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