![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/145520018/rectangle_large_type_2_769aacd3e62a176c6aa4880ad453a06d.jpeg?width=1200)
「ウルトラマン:ライジング」大批判 本当に”リスペクトあふれる作品”なのか?(2024.7.4 追記)
「怪獣8号」や「戦隊大失格」で騒ぐことなかれ、とんでもない黒船がやってきた。アメリカのヘイト創作に戦慄した!
![](https://assets.st-note.com/img/1719604473258-XB2YIaW2tE.jpg)
結論から言うとリスペクトなんかない。
前者2作は本家と全く関係のないマンガ誌等で連載、特撮を"利用"している(それはそれで不愉快だが)。
対して今作は「ウルトラマン」の名を冠しているのにも関わらず、過去作に唾を吐くような思想を持っている。
本家本元がヘイト創作を作ったのだからそりゃ並の駄作とは話が違う。オタクはこっちに切れるべきだ。
長く拙い文章になるが付き合ってほしい。これを「リスペクトある」なんて評してるヤツは全員目を覚ませ。
なお、私は本作を評価するにあたり、吹替2回、字幕1回、計3回視聴している(本当に時間を返してほしい……)。
1、「行き過ぎた怪獣の制圧」ってなに?
![](https://assets.st-note.com/img/1719579969410-HdI4ePsLLk.png?width=1200)
ケン、KDFが行き過ぎた怪獣の制圧をしています。
これは吹き替え版のセリフだが、行き過ぎた怪獣の制圧ってなんなんだ?
KDF(防衛隊)は街を襲う怪獣を倒そうとしているだけだし、ネロンガによる被害をこれ以上出すまいと拘束した上で撃破するのは理にかなった戦法だろう。
「ライジング」は人類を守ろうとするKDFが"悪役"なのだ。
「調和」を押し出す本作は怪獣を駆除しようとする防衛隊を露悪的に描く。
拘束されているネロンガを駆除しに向かう戦闘機が頭上を飛んでいくシーン、オンダがやけに暗い部屋で演説するシーン等の細かい描写でいかにも悪役のような演出をする。
演出だけにとどまらず、物語終盤には一般人であるケンの家にミサイルを撃ち込む、怪獣の住処である島を破壊しようとする等一線を超えた行動をする。
(余談ではあるが、字幕版ではKDFが怪獣を痛めつけているという趣旨のセリフになっている。しかし劇中でのオンダのセリフを素直に受け取るならば、彼はそのような趣向は持っていないのでこれはこれで的外れだ)
たしかに怪獣の島まで破壊するのは「行き過ぎ」ているかもしれないが、このセリフが飛び出した時点ではKDFは至極真っ当に怪獣の脅威から人間を守ろうとしているだけ。
つまりこの場面において、ライジングは過去作の防衛隊がやっていたような"普通"の怪獣退治を「行き過ぎた怪獣の制圧」と評している、とも言える。
舐めんな。
このシーンの後も頭の痛くなるようなセリフが頻出する。
例えば、16分過ぎの、戦いで肩を負傷したことをぼやくケンに対してのミナのセリフ。
「市民を救うことはあなたの義務です」
「KDFにまかせたらどうなるか、わかってますよね?」
どうなるかわからないので教えてほしい。念を押すが、物語前半時点でのKDFは、”街に現れた怪獣を退治する”という普通の防衛隊である。
追記 2024 7/4
![](https://assets.st-note.com/img/1720069275540-VI1wcQRMQv.jpg?width=1200)
KDFの隊服、ウルトラ警備隊の柄に科特隊のカラーリングらしい。本当に勘弁してくれ。
これでハッキリしたが、完全に過去作の防衛隊をコケにしている。
2、主人公陣営に好感が持てない
父親について
先代ウルトラマン。息子にウルトラマンの使命を押し付け人生を歪めた。その自覚はどうやらあるようだが..….
この世に残り一匹しかいないジャイガントロンを「最も崇高な生物」と崇めている怪獣優生思想の持ち主で、やたらと"調和"を強調している。
怪獣生かそうとする前に怪獣によって出る被害に目を向けてくれ。
ケンについて
ウルトラマンであることを押し付けられ、人生を歪められた可哀想な人、ではあるんだが、いかんせんコイツの言動は目に余る。
前半の巨人監督への「俺が勝たせる」などもひどいものだが、ウルトラマンとしてはもっと酷い。
戦闘中にベラベラ自分を誇示するようなことを市民に言い、市民やAIのミナと言い争い、油断してネロンガの攻撃を喰らう。KDFのドローンが壊されるのを見て軽口を叩いたり、そのくせスペシウム光線が撃てずネロンガ退治をKDFに丸投げしたり、ニュース番組みて悪態ついたり...…
あとソバの食い方が下品。
ん?防衛隊の露悪描写?怪獣優生思想?戦闘中に軽口?野球?ウルトラマンであることにウダウダ文句?ニュースに悪態...?
![](https://assets.st-note.com/img/1719653899956-UJVvUpKF42.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1719653622860-FUrjmpbyx5.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1719653631704-FUpmmxiK0p.jpg?width=1200)
あ、ニュージェネレーションの系譜だったんですね!
3、人間と怪獣とウルトラマン、そして父と子の関係
ここでかのギレルモ・デル・トロ氏の「ライジング」評を見てみよう。
ギレルモ・デル・トロ監督、『Ultraman: Rising』を絶賛「ただアニメ化されたウルトラマンという訳ではない」|シネマトゥデイ (cinematoday.jp)
「人間と怪獣とウルトラマン、そして父と子の関係がとても健全で美しく描かれています」
果たして本当に「健全な関係性」は描かれているのだろうか。また、どのような関係性が描かれていたのか。それについてこの章では話していきたい。
人間と怪獣とウルトラマンの、それぞれの視点から見た関係性
本作で、ケンとその父親、つまりウルトラマン陣営は怪獣を"保護するべき存在"とみなしている印象を受けた。それなんてコスモス?
前述するネロンガ駆除への言及や、ジャイガントロンに引くよう説得するウルトラマンなどの描写を踏まえれば明白だろう。やがて敵になることを承知したうえでエミを育て始める始末。
なお、ケンは普通にネロンガにスぺシウム光線を撃とうとしていたのでブレブレである。
ちなみに、肝心の宇宙人としてのウルトラマンと人間の関係性は皆無だ。今作ラストで描かれるM78星雲の描写以外、”ウルトラマン”はただの力として扱われているため。
1章の内容と若干かぶるが、KDFは怪獣を”脅威”と見做し、怪獣によって起こされる悲劇を防ごうとしている。
あくまで重視しているのは市民の安全だ。みな怪獣による被害を受けていて、これ以上同じ人を出したくないという理由で戦っている。なお、これも前述したケンの自宅にミサイルをぶち込むという描写で台無しになるが。
とはいえ怪獣島侵略にもアオシマは疑問を抱いているし、オンダも「罪悪感はある」と言っていることは留意しておきたい。
市民の視点はどうだろう?
ウルトラマンと怪獣の戦いから逃げ惑うシーンや、エミにおびえて逃げる描写もある。「早く仕事をしなさい(≒怪獣を倒しなさい)」や、子供がスペシウム光線の真似をしている描写からもわかる通り、市民は怪獣を"脅威”と、そしてウルトラマンを”怪獣を倒す存在”として認識している。
まさかスペシウム光線で怪獣死にませんとか言わないでしょ。
父と子の関係
先ほど説明した通り、本作におけるウルトラマンは、ラストシーンを除きただの”力”として扱われている。それも子供に受け継がれる”力”だ。
冒頭のシーンでの、幼少期のケンに父親が「ウルトラマンと野球選手、どちらにもなれるとしたらどうする?」という旨のセリフ、そしてエンディング前の母親からのメッセージ、ここでは字幕版のほうが原文に近いのでそちらを引用するが、
「あなたが将来の試練に耐えられるよう備えさせたかっただけなの」
![](https://assets.st-note.com/img/1719651333755-evvRIsib4f.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1719651272335-v2BD7H1RwD.png?width=1200)
これらのセリフを踏まえると、ウルトラマンになることを子供に背負わせることは前提として考えていたことがわかる。2章でも触れたが、ケンを渡米させ、今度は自分の都合でアメリカでの野球人生を捨てさせ、使命を押し付けたともとれる。
「健全な関係性」を描けていたか
さて、長々書いたが、「ライジング」では「健全な関係性」とやらは全く描かれていない。
親子はエミを育てることで最終的に和解するが、家族ぐるみで息子の人生を歪めたことに変わりはない。事実、父親は息子の人生を歪めたことに自覚的だし、エピローグでは「父さんを許してあげて」のようなセリフもある。
人と怪獣とウルトラマンの関係もまた、健全とは言えないだろう。ここを語るに当たって一番の問題は、ウルトラマン陣営と人類の怪獣に対する認識の相違だ。
前述した通り、人類は明確に怪獣を脅威と捉えているのに対し、ウルトラマン陣営だけが、それによって出る被害を軽視して”調和”を掲げている。なにやら元からおとなしくて建物がない場所にばかり出てくるコスモス怪獣と違い、今作の怪獣は普通に人間を襲う。
冒頭のシーンを思い出してほしいが、ジャイガントロンは普通に人間を襲う凶暴な怪獣だ。
ケン自身エミが将来的に敵となることを危惧していたが、あっさり父の「我々がやるしかない」という言葉で懐柔されてしまう。
2章でもふれたが、父親はジャイガントロンを崇拝している。それに加え絶滅危惧種保護という観点もあるのだろうが、普通に街の被害と人命のほうが大事です。
父親はウルトラマンとして、オンダの家族が殺されていること含めたくさんの犠牲者を見てきたはずだ。しかしそれに対するセリフや描写はほとんどあらわれず、あくまで主眼は怪獣保護で、人を守ることは二の次である。
ここまで言えばわかると思うが、この作品の怪獣保護は、怪獣によってもたらされる被害はあるとしつつ、そこについて気に留めない、という人命軽視の価値観の上に成り立っている。
それも”人間を守る”ということを悪役の目的に据えて。
この無自覚な人命軽視と、怪獣を保護できる、するべきという驕りというヌルい怪獣観こそがこの作品の一番グロイところかもしれない。なんか特別な光線があればできるかもしれませんけどね。
そんな歪な関係が健全なはずもない。そしてそんな中でも一番ヤバい人間とウルトラマンの描写が……
4、オンダ見殺しと「調和」
目を疑った。最終決戦、やりすぎたとはいえ人を守ろうとしていたオンダは怪獣二体とウルトラマン二人にボコボコにされる。
![](https://assets.st-note.com/img/1719671283012-KBn1NbhWsM.png?width=1200)
人間を守ろうと戦っていたオンダは、大して人間を気にしてないウルトラマン&怪獣たちにタコ負けしたのち、自爆を決行する。なんで?オンダは過去にジャイガントロンに殺された娘の映像を見て、落涙しながら「すぐに会えるぞ」と言う。
自爆に気づいたウルトラマン(ケン)は父の静止を振り切ってKDFのロボへ走る。脳裏に父親との会話がよぎる。
「自分の力を足りないと疑ったことはない?本当にみんなを守れるのかと」
「思わない日はなかったさ」
さすがにオンダを助ける流れになると思った俺がバカだった。
ウルトラマン(ケン)は自分とメカをバリアで包み込み、自爆の被害を防ぐのみで、オンダと目が合っても迷う素振りすらしない。何故かケンだけ生き残っている。この点に関する説明は一切ない。
結局「みんな」に、親子の掲げる「調和」に、人間を守るため怪獣を殲滅しようとしたオンダは含まれていなかったわけだ。
オンダの計画していた怪獣島への襲撃は確かに一線を越えていたかもしれない。しかしこの最終決戦においてそれに対する主人公側の反論はない。
本編のみの描写だと、
あくまで怪獣優先、被害が出ても、人間を襲っても仕方ない。なぜならジャイガントロンは最も崇高な生物だから、最後の親子だから。それを乱すオンダには反省の機会を与えようとすらしない。
それが「ライジング」の掲げる「調和」としか取れない。
まさかウルトラマンでそんな描写を見るとは思っていなかった。正直、最駄作の格があると思う。
5、思想はヤバいけどそれもあやふやで雑
今作のヤバいところは、大して信念やメッセージ性を持たずに、あたかも自然な価値観であるというように「調和」が出力されたことだと思う。
多分もとより"ヒーローもの"を作ろうとする気なんてなくて、"子育て"がメインだし、事実尺の配分もそちらにだいぶ割かれている。
「市民を救うのが義務」とか「自分の力が足りないと疑ったことはある?」とかの言葉が出てくる割に、子育てに尺を割きまくる。
ヒーローとして市民の被害を省みる描写はほぼないし、「調和」とやらの具体性も出てこない。
断言するが、この作品にヒーローなんていない。
最終決戦、怪獣を淘汰しようとするオンダVS「調和」をもたらそうとするウルトラマン、という図式が起こるのだが、なんと思想のぶつかり合いなんてほとんどない。ただ殴り合っているだけだ。
ウルトラマン(父)とオンダのタイマンシーンもそう言ったセリフはなく、
![](https://assets.st-note.com/img/1719673995829-QsR9zgccFt.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1719673995840-vmfvxTS0tb.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1719673995850-1kkyckBRKz.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1719673995873-Mjf3s1mo0f.png?width=1200)
オンダが、サトウ父が怪獣に肩入れしたことに怒り、ウルトラマンがそれでも怪獣島破壊はやりすぎだ、とか、そういう会話に普通の作品ならなると思うが(それが面白いとは限らない)、今作は自分の吐いた思想に対して全く誠実な描き方をしてない。「調和」を描くにあたって避けることはできない”怪獣による被害を受けた者”と向き合うことをしない。
相対する思想と思想のぶつかり合いは起こらず、曖昧な落とし所で終わり、「調和」もふわふわしたままで終わる。
先ほどニュージェネの系譜といったが、この思想のヤバさとそれに対する適当な向かい合い方はニュージェネも裸足で逃げ出してしまうだろう。
とはいえ、どちらが過去作に泥を塗っているかで言えば、直接的に過去作を○○○しているニュージェネのほうに軍配が上がるかもしれない。
思想抜きでも別にクソ
思想の不愉快さを抜いても、普通に脚本の詰めが甘い。散々指摘したが、市民がウルトラマンを"怪獣を倒す存在"として認識している点もそうだし、中盤の子育てシーンが長すぎる。
そこが主軸なのは冒頭の「ヒーローより子育てのほうが大変(意訳)」からもわかるが、それおもろいか?ウルトラマンってヒーローものですよ?
それに加えて、野球選手とヒーローとしての成長が全然かみ合ってない。そもそもケンはヒーローじゃないので関係ないかもしれないが。
6、その他文句
エミがキモすぎる。まるで人間の赤ちゃんのような体型だ。やはりアメリカと日本との怪獣デザインには徹底的な隔たりがある。
ウルトラマンのデザインもキモすぎる。上半身に対し下半身が貧弱すぎるだろ……
街に出たエミを追うシーンで東京タワーをよじ登るウルトラマン。無粋かもしれないが普通に飛べよ……
![](https://assets.st-note.com/img/1719671598180-4exC0KGffL.png?width=1200)
ウルトラマン弱すぎ。終盤のオンダロボットをリンチするところ以外白星ないじゃん。あ、防衛隊のドローンは壊してましたね😅
アニメーション自体は美麗かもしれないが、それが活かされるバトルシーンはvsネロンガと最終決戦のみ。
宇宙人ウルトラマンって親子で受け継がれるモンなのか?
エミにバーチャル空間でKDFのドローン壊す訓練させてんのヤバすぎ。ほんとに「敵」の育成じゃん。
なんで最後に母さんはウルトラマンの故郷であるM78星雲から救援頼んでんの?
8、お前らのいうリスペクトって、小ネタの多さじゃん
この通り、この作品は過去作の"人を守るために怪獣を倒してきた防衛隊"にリスペクトなんか持ち合わせていないし、"人間を愛したヒーロー"という一線すら守っていない。
こんな作品がなぜリスペクトが云々言われているのか?(ピンとこない人はTwitterで「ウルトラマンライジング リスペクト」とかで検索してみて欲しい)
小ネタ、オマージュ、ぐんぐんカット...…etc
小ネタが多ければリスペクトか?オタクへの目配せが多ければ原作を尊重してることになるのか?
違う。
原作の根幹を尊重しつつ、新しいものを模索していた先人たちの姿勢を見習うことこそが真のリスペクトなのではないか?
おわりに
ここまで付き合ってくれてありがとう。記念すべき最初のブログがこんな箸にも棒にもかからない作品をこき下ろす感想でいいのかと自分でも思う。
だが、「ライジング」を見てからの一週間抱えていた「この作品は何が言いたいんだ?」と言ったモヤモヤをどうしても書き留めて起きたかったので執筆した次第である。
「怪獣8号」「戦隊大失格」なんかに憤ってる場合ではない。真に怒るべき対象は本家本元で過去作のテーマを踏みにじっている作品群だ。
おわり