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御北条氏ゆかりのお城めぐり(長浜城編)

韮山城の後は、駿河湾を押さえる小田原北条氏の水軍拠点・長浜城に行きました。
長浜城といえば滋賀県長浜市の太閤さんの出世城を思い浮かべてしまいます(わたしもちょっと前までは沼津の長浜城、知りませんでした💦)
小規模な城ですが、近世での改変が少なくて、(水軍の城)と体感できる遺構がよく残っているし、案内板も多く、整備されています。安宅船の原寸大模型もあるんです。

安宅船って、こんなに大きかったんだ!快適そう。

長浜城は北条早雲が伊豆に入った頃には既に、在地の海賊が既に監視の砦を築いていた様です。

この城が歴史上で重要視され始めたのは、武田氏との甲相同盟が破れ、戦端が開かれてからです。
武田勝頼は国境に近い沼津の狩野川河口に三枚橋城を築いて、武田水軍を集め、伊豆侵攻の姿勢を見せます。

沼津駅前のホテル前にある、三枚橋城の石垣

それに対して北条氏政は、韮山城の防備を固めると同時に、海からのの上陸に備えて、長浜城と獅子浜城を築城や改修し、これに備えました。

長浜城でいただいたパンフレットより。


 長浜城は北条水軍の一拠点として整備し、水軍のスペシャリストの梶原景宗に守らせました。梶原景宗は紀伊国の熊野海賊の一人でしたが、九鬼善隆が統一する過程で北条氏に鞍替えした様ですね。
同じく武田水軍の岡部氏も、伊勢北畠氏の水軍残党が今川氏に移った経緯があるそうで、熊野海賊、引っ張りだこですね。

 両者は、1580年、沼津に近い駿河湾上で激突(駿河海戦)しています。

長浜城岩礁ピット。ポコンとした島・淡島の左手に三枚橋城がありました。


戦いは夜明けから日没まで繰り広げられて、勝負は付かなかったそうです。最後は武田方は陸からも攻撃せざるを得なかったということなので、北条水軍のほうが、ちょっと優勢だったと予想されています。
両方とも、自軍を褒め称える文書が残ってるいるとのことで、なんだかガッツリ戦っていたイメージが湧かないんですけど💦

その後、両者の睨み合いは武田氏滅亡まで続き、海上での小競り合いも何度かあったそうです。
滅亡後駿河を治めた徳川氏とは比較的友好だった為、長浜城はさほど重要ではなくなって行きます。
 秀吉の小田原征伐でも、梶原景宗は下田から小田原の沿岸で豊臣水軍と対峙した為、長浜城での海戦なかったそうです。
長浜城は本城の韮山城の開城に合わせて降伏し、廃城となりました。

夕刻が迫る長浜城遠景。

長浜城が位置する内浦湾は風が遮られる地形で、海も穏やかなんだそうです。
登城口は二箇所ありますが、安宅船の原寸大模型がある重須側、トイレとジオラマがある駐車場側両方見学した方が楽しいです。

ジオラマって好きです。葉っぱを船と思ってみる。
岬状の地形なりに郭が作られています。先っぽまで降りられるよ。


二ノ丸には半地下式の櫓台跡があったそうで、復元されています。


土塁で囲まれていて、広めの二ノ丸。掘立柱建物もありました。


小さいけれど、見晴らしの良い本丸。


堀切にははね橋がかかっていたそう。なんか、海賊っぽい。

全く知らなかったのですが、沼津はラブライブの聖地?みたいで、その日は長浜城あたりまで色々イベント?スタンプラリー?などがやっていて、鄙びた干物屋さんみたいなところでもグッズが売っているようでした。ポスターもたくさん貼ってあり、男性が沢山訪れていました。
時間の関係上寄れなかったけど、カエルの水族館も近くにあって、激しく心惹かれました🐸

小田原城→韮山城→長浜城とだんだん天気が良くなり、頭の雲は外れませんでしたが、海越しの富士山が見れて幸せ。
沼津に戻り、三枚橋城、沼津城跡に行って愛知県に戻りました。

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