若き信長シリーズNo.1 桶狭間合戦で戦勝祈願した熱田神宮
関西出身で小さい頃から歴史は好きでしたが、自然に史跡巡りを始めたのは、三英傑ゆかりの名古屋に住んでからです。
仕事帰りに走って寄れるご近所・尾張の史跡が多いので、年代はランダムですが紹介したいと思います。
まずは
(若き信長シリーズNo.1 桶狭間合戦で戦勝祈願した熱田神宮)
熱田神宮は113年の創建、三種の神器の草薙剣を御神体としている神社です。
参道には古今の歴史上の人物との関わりのパネルがあって、面白いです。
境内を通勤にしてもさほど遠回りにならないので、寄り道し、とても親しみがあります。
御神木にいる白蛇さんも何度も見てるんです🐍💦目が良いので👍
熱田湊は織田家にとって大きな収入源ですし、熱田神宮大宮司の千秋家からは千秋季忠が桶狭間合戦に砦の守将として従軍、討死しています。
さて、早朝に清須城を出陣した信長は午前8時ごろ熱田神宮に着き、戦勝祈願を行ったとされています。信長以前でも多くの武将が熱田神宮で戦勝祈願しています。
この時点では騎馬も足軽も少なかったけれど、熱田神宮で、ある程度の軍勢が整ったとされます。
神宮南にある上知我麻神社からは丸根砦、鷲津砦が今川方に落とされたのが見えたそうです。
丸根砦を落としたのは、松平元康‥‥のちの家康さんですね。
この後、鎌倉街道を通って桶狭間方面(南東)へ向かいますが、この時代は潮の満ち引きにより上中下の3ルートあり、時間帯により、近道できない迂回する上ルートだったとされます。
さて、熱田神宮には桶狭間戦勝祈願御礼として信長が造営した信長塀が部分的に残っています。
信長塀バームクーヘンとか誰か売ったら儲からないかな?って思うんだけど😅めでたいし!
熱田には加藤図書助の熱田羽城があり、桶狭間合戦にもニ男が参戦しています。(熱田羽城についてはまた別の機会に暑苦しく紹介します💪)
ここに桶狭間戦勝祈願後の信長が立ち寄り、
(今日は勝とう!(加藤)💦‼️😳)と言ったという伝承が地元にはあります💦
信長サマが親父ギャグをぶちかますなんて、笑って良いのか、スルーすれば良いのか、ギャグじゃなかったのかわからなすぎて怖いです😱みんなどんなリアクションをとったのでしょうか。わたしならつい蹴りをいれてしまいそう💦
熱田神宮内や周りにはたくさん史跡がありますが、
戦国時代前後では、
織田家家臣の佐久間氏寄進の特大灯篭
加藤清正が建てた鎮皇門の礎石
熱田の宮大工、安土城大工棟梁の岡部又右衛門邸宅跡などがあります。
また他の時代の史跡も紹介したいです。
そして最近、最寄りの名古屋鉄道の駅に
あつたnagaya
という食べ歩きしたり、お土産買ったりというところがオープンし、気になっています。まだ行ってないんですけどね☺️