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#12 その時120%でやる意義を10年後・・大手銀行コンサルに震撼されて実感
こんにちは。グーぽちです。早くもnoteを書く気力が低下中。
それは別の所で書いてるレポートが力を入れないと書き切れないせいです。とはいえ、こちらも記事を書かないと・・って思います。
(わりと長い記事になってしまいました。)
今回は今から10数年前のちょっとした事が主旨ですが・・、この背景にあるのはさらにその10数年前の大変だった事です。今回のちょっとした事が、ものすご~く意味のあった出来事と伝われば嬉しいです。
アドバイザーからの相談電話
◆担当業務でお世話になっている人◆
10数年前の当時は県庁で働いていて2年目でした。私の業務アドバイザーは前任者のときからお世話になっていた県外の大手銀行シンクタンクの上級コンサルタント。
私は中小企業の取り組みをバックアップする新たな補助事業を前年に創設。そのコンサルの先生に新たにアドバイザーになってもらっていたのです。
その電話があったのは突然でした。
その年・・私の担当事業を引継いだ後輩とともに県外出張し、コンサルとの顔合わせを兼ねた打ち合わせを済ませていました。
それからわずか3日後のことでした。
◆突然の宛てのない相談電話◆
珍しいですね、そちらからお電話なんて。
突然どうされたんですか?
・・と、電話に出た私が答える。
「いやぁ~ちょっとマイってましてね、
頼る相手を思いつかずに・・
●●さん【私】に電話しちゃいました。」
と、コンサルさん。
(後輩に変わりましょうか?と促したが、
何だか迷われつつも私でいいという・・)
「ワタシの大事な顧客の社長が・・
ある方のお話を聞いて大変に感動されて、
それでその人に”会いたい”と、
相談を受けたのですが・・。」
と、コンサルは話す。
その方とはどんな人なのか、質問する私にコンサルはこう答える。
「とある大学の教授の先生なんです。社長が知り合いの社長からその先生のことを聞いてすっかり熱を上げられていて、直接会ってぜひ先生にお話を聞いてもらいたい、お話をしたい、と言うんです。」
(はぁ・・という感じの私。
なかなか質問の核心の答えが出てこない)
「で・・・、ワタシはその先生を存じ上げませんし、周りにも知っている者がいないんです。」とコンサルが話す。
直接〇〇先生(コンサル)がご連絡差し上げてはいかがですか?
・・と、私が提案しました。
(だって、この人も大手の上級コンサルでかなりの先生なんだもん)
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「そうしたいところなんですが・・
とてもとてもお偉い先生なんです。
突然にまったく知らないワタシが連絡をとる、
それも失礼な感じがしますし・・
大企業の社長さんならまだしも
地域外の中小企業ですし何よりも
超多忙な先生ですのでアポがとれるとは・・
とても思えないんです。」
そのお気持ちはわかる気がしますね私も、と答えたうえで、それなのにどうして私の所へお電話いただいたのかがわかりません。〇〇先生(コンサル)でさえ臆するような教授の相談・・私とどのような関係が?
「まったくそのとおりで恐縮です。ですが会えずとも・・それでもその社長の想いにできる限り誠意を尽くしたくて・・。その先生は●●さん【私】の地域(県)にお見えなんです。」
えっ!? そうなんですか??
(お偉い大手銀行のコンサルに
こんなこと言わせるほどの
お偉い教授っていたかな・・
と、頭をフル回転させてます。)
「同じ県にお住まいってだけでそれ以上の根拠はお恥ずかしい話ですが全くございません。もう本当に困惑してしまってます。こんな相談できるのって●●さん【私】しか思いつきませんでした。」
(私が知っている自信はなかったのですが・・)
「その先生はどこのどなたでしょうか?」と尋ねてみた。
「〇〇大学の〇〇教授という方で・・どなたかご存じの人を●●さん【私】が知らないか!?と。知人がおみえならその人をご紹介・・」と、丁寧にお話を続けようとされておられたのですが、私が遮断しました。
あの・・その教授、私が紹介してもいいですか?
知ってますよ。頼んであげましょうか!?
「えっ!? ・・・。」
・・コンサル先生が絶句されてます。
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そして、かろうじて・・
「でも(教授が)お忙しいんじゃ・・・」
と、パニクってるのか・・・
一足飛びでとんちんかんな呟きがコンサルから・・。そこで私は、
あっもしや、〇〇先生(コンサル)は本来の私が研究所の人間で研究員をやってたこと・・ご存じないですよね!?・・と返す。
◆私の逆襲◆
「本当に・・教授をご存じなのですか??
えええ・・っと・・・
頭が追い付いていませんが●●さん【私】
が研究員だったとは初耳です。」
(さぁ~ここからです、
私が答えます。)
その教授は国の大きなプロジェクトで活躍されて今に至っているのですが、私・・そのプロジェクトチームの初期メンバーで、立ち上げからご一緒させてもらっていました。
もう10年ほど先生にはお目にかかっていないし、お話もしておりません。それでも、プロジェクトを抜けてからもずっと”同志”と思い続けてもらっているんです。
だから直接アポ、とれると思うんですよね・・私。
・・そうお答えしました。
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「なんだか夢を見ているようで・・
震えがきます。こんなこと・・
こんな奇跡みたいなことが・・。」
と、3日前、大都会にそびえるあの立派で大きなビルの上層階の優雅なフロアでお仕事されていた穏やかなコンサルが・・必死に現実を受け止めようとしている。
(それがちょっとくすぐったい。)
「あの・・●●さん【私】は・・・
一体何者ですか!?」
この発言に思わず私は吹き出してしまった😆
何者でもないんです、
先生(コンサル)が見てきた私で間違いございません、
・・念を押しましたw
教授と私
◆アポ取り◆
まだ会えると決まっておりませんので、少しお時間をください。
・・と、私はコンサルにお願いして教授に10年ぶりにメールしました。
(本当に少しでした・・数時間後に
私はコンサルに伝えました。)
5月2日(月)にご案内の大学研究室までお越しください・・と。
(相談電話があったのは4月28日(木))
そう・・GW中の祝日じゃないそこしかないという日に会ってくれるというのです。先生には中小の会社としか伝えておらず、私に相手がどんな会社なのか詳細に尋ねることもなく、短時間で即決。
(私が信用されているということか、
だとしたら・・社長が無礼を働けば
私の教授からの信用にも傷がつく)
・・そんなプレッシャーを感じました。
(私もコンサルを信用している)
・・そう思いこんだ私。
その日コンサルは同席できないと言うが、私にも「わざわざ来なくていいよ、対応しておくから。」と、先生は気遣ってくれました。
「本当に助かりました。
こんな展開・・
夢にも思いませんでした。
ワタシのコンサル人生でも・・
初めての経験です。
これで夜も眠れます。」
・・と、コンサルは言った。
また後日ご報告をお待ちしております、と返しました。
◆「命がけでやらせてもらいます」◆
コンサルからGW明けに一報が入った。社長は、”どこの馬の骨ともわからない人間に会って頂けただけで奇跡なのに・・、わたしのような素人にも丁寧にお話頂けて・・”と、教授の対応にその場で感動の余り震えたそうです。
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社長はそれはもう感謝しきりだったそうです。
そのコンサル自身はというと・・
「このご恩は一生忘れません。
●●さん【私】の所のお仕事は
命がけの想いで・・
全身全霊をかけて
やらせていただきます。」
(その手の仕事でもないけどね💦)
コンサルの想いを後輩に伝えました。
私は教授にお礼メールを打って。
10年経ってもあのときの私への信頼感が変わらないままの教授に、私自身も感謝の想いでいっぱいでした。
◆さらに10数年前の話◆
20世紀から21世紀を迎えた年が私の人生で一番きつかった時期。その教授が研究代表者となっているプロジェクトの研究チームに入っていて教授の共同研究者でした。
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メンバーでいたのはわずか1年。先生がとてつもなくハードルの高いこのプロジェクトに研究代表者として満を持して挑戦して国に申請するとき、このプロジェクト申請段階から私はご縁があって関わることに・・。
これを申請するときの先生の嬉しそうで楽しそうな私だけにしか見せたことがない無邪気な表情は未だに覚えています^^
その申請が競争を勝ち抜いて見事認められたんです。
その事業は、文部科学省の研究事業のうち最上位に位置する「戦略的創造研究推進事業【CREST】」・・当時の名称は微妙に異なります。
CRESTは、我が国が直面する重要な課題の克服に向けて、独創的で国際的に高い水準の目的基礎研究を推進し、社会・経済の変革をもたらす科学技術イノベーションに大きく寄与する、新たな科学知識に基づく創造的で卓越した革新的技術のシーズ(新技術シーズ)を創出することを目的としています。
・国際的に高い水準にある研究代表者が率いるベストチームを採択
・トップレベルの研究者が共同研究者を組織
ちなみに、先生は地方の大学に在席されていましたが、この大学でこの事業に採択されたのは初めて!! 学会賞など色々な受賞歴はあった先生でもこの採択はまた別格。日本のトップレベルの研究者のお仲間に入ったんです。
共同研究者とはいえ、このチームのメンバーだったと言えば、たいていの大学教授が一目置くほどのプロジェクト。プロジェクト着手の当時、先生は北野武(ビートたけし)さんのテレビの特別番組に出演されたほど。
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(申請書にも私のメンバー記載があり、
先生と親しかったとはいえ、
実績も力もなく、とるに足りない私が
そんなチームに入って良いのか?
・・と、ずっと自問自答でした。)
◆最大の覚悟と決断◆
先生は、入るも退くも私が出す答えで良いと常に私に一任。
(今までとはケタ違いの現実離れした日本を代表するレベルのステージなのに・・どうしてそこまで信用してもらえるのかが私にはわからなかった。)
その答えだけでも自分自身で確かめてみよう、ともう一度決心し、メンバー入りを決めたんです。
それはそれは大変でした。チームは代表者である先生によって4ブロックに分けられ、それぞれ担当する大学名や研究所名と、担当者名の記載がありました。その中で私だけが唯一たった一人での担当でした。
(職場に協力を求めたものの・・
尻込みされて協力者がいなかったんです。)
「●●君【私】の担当が
この中で一番大変なんだよ。」
と教授は言う。
私も内心・・量的に観てそうじゃないかと思っていました。
(本当なら人手が一番必要なのは私の所なのです。
しかもハッキリ言って私の本来の専門でもない)
どうして私のこと知っている先生がそれこそ実績のない分析的な割り当てを私にあえてしたのか・・そこはわかりません。
(おそらく博士号の取得を私に
狙ってほしかったんだと感じました。)
それに関しては・・・
こちらの過去記事をぜひ見て頂きたいと思います。この記事に登場する教授は同じ大学ですが別の教授です。
プロジェクトの初年度はほとんど研究時間をみんなが確保できなかったと思います。そんな中で報告書を見た先生が側近のメンバーに言ったそうです。
「これを見てごらん、●●さん【私】の報告書だよ、さすがだ。」
・・そうおっしゃって、他側近メンバーにもこうやって書いてと、ニコニコして見せていたそうです。
見せられたメンバーも、あの時間のない中、一人でそこまでやれるとは思っていなかったようです。
フルメンバーや文部科学省の職員ほか関係者のいる報告会のあと、
「報告書を見れば一目瞭然、
誰も言わないがメンバーならわかってる。
今回一番がんばったのは●●君【私】だよ。」
と、力尽きてぐったりしていた私に・・
先生はそんなふうにお声がけいただきました。
もちろん普通にやっていてはできません。限られた時間の中でトップレベルのメンバーたちがやるだろう質と量を予想してそのレベルまで一人でもっていく方法を必死に考えて実行しました。
必死とはあの時のことを言うんだろうって思います。
(過労死するかも・・それでも仕方ないと覚悟しましたもん)
そんな私なので、上記のコンサルの「命がけでやる」の言葉に疑いを抱いたのは当然のことでした^^
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終わりに
私は2年目でプロジェクトから離脱せざるを得ない状況でした。2年目の研究計画は提出済み。その内容は1年目程度の活動の質・量を続ける前提。それは環境的にも自分自身の状態からも無理でした。
その頃の私の活動量は年間残業時間の換算で2500時間を超えるほどだったから。もちろんサービス残業扱いでした。
職場の協力を得られなかったと書きましたが、私は孤立しただけでなく、職場そのものと真っ向から対立したんです。
それはなぜか?
私と先生の飛躍に乗っかって組織要請のあった人員削減を乗り切るだけのために職場が私を利用したからです。人員削減分の人数を増員する形でプロジェクト部著の増設により相殺する案を所管部署へ提出したんです。
その部署ができたために、私への協力程度はいっそう減り、むしろ周囲が自己保身のためのプロジェクト部署の仕事に協力しろと言う。私もそこに席を置く身。自ら部署監視のために席を置くことを希望したから。
(自分の身の振り方だけは職場上層部が任せてくれたので。)
そんな私はその部署のリーダーとは真正面から衝突。
(まぁ、あとは書きません。)
先生とのプロジェクト2年目はそんな状態なので、離脱を相談しに行ったとき、先生はうなずいて、その後もずっと私を「同志」と思っていると、そう言ってくださいました。
それを聞いた時、120%、いや200%くらい出し切って、挑戦して良かったと思いました。メンバーに加えてくれた先生をガッカリさせなかったんだと。
私は大人になってからずっと小学生の頃の自分を超えたい・・
そう思っていました。先生のプロジェクトに参加したのはそれも理由にありました。
そして、今の私を築き上げた土台は、1年足らずですがこのときの先生とのプロジェクトのお仕事である・・そう断言できます。その先生より「すごい」人なんて他に身近にいないからです。
この記事のコンサルとのやり取りは「同志」と言われてから約10年後。先生はますますご活躍されて、東京お台場にあるあの「日本科学未来館」で特設展を設けられたり、常設展示(これはそのあとだったかも)もありました。
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いま確認すると・・5階「世界をさぐる」にある11の常設展示の一つと、ドームシアターの主な映像作品7つあるアーカイブの一つの責任者をされていたようでした。
そんな偉大な先生なんですが、本当に・・この人だけは私がどんな状況に陥ろうとも私の評価を下げなかったたった一人の人。だから私は周りからどんな目で見られても先生の悪口を一切言ったことないし、真の意味で感謝こそあれど嫌な想いを先生にさせられた記憶がないんです。
(周囲の先生から私は・・・
めちゃめちゃ可哀そうな目で見られてたけど)
そんな実のある関係がほんの1週間程度の短期間とはいえ、感じ取れたこと、あの1年間がムダどころか報われたと、そう実感できた出来事がコンサルとのやり取りでした。
長くなりました。最後までお読みいただき、ありがとうございました♪
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