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山の上の景色

靴ひもをしっかりと結び、荷物が入ったザックを背負った。

歩いている途中でひもが緩むと、うまく足に力が入らなくなる。足首を押さえるようにきちんと締めて固定した方がいいと、前に登山靴を買ったお店の人が教えてくれた。

山道を歩きはじめる。最初の20分はまだ身体も半分眠ったままだ。

心拍数と体温が徐々に上がっていく。夏の登山は身体から止まることなく汗が出てくる。ふとした瞬間に風がふくと汗が乾いて心地よさを感じる。少し気持ちが和らぐ瞬間だ。

道の両側にある草木、名前はわからないけど鮮やかで凜とした一輪の花。不意に目の前に姿を現す、毒々しいほどに色鮮やかなキノコ。

植物にあまり詳しくないので、じっくり見ても名前がよくわからない。それでも目の前の景色に注意深く目を向けると、花や木などそれぞれの姿かたちが少しずつ違っていることに気づく。

当たり前だけど、自然界には一つとして同じものなどないのだ。ウィキペディアや図鑑を見ていてもなんとなくわかることだけど、たぶん自分の足でたどり着いて自分の目で確かめることに意味がある。

徐々に景色が変化する。視界を覆っていた木々が低くなり、植物の種類も変わり始めた。ついに森林限界がやってきた。開けた視界の向こう側に、ぼくたちがめざす頂上が見えてきた。

小さな山小屋の建物が、遠く稜線上に姿を表す。山々をむすぶ鋭いエッジは、自然の力強さや美しさを見せつけてくれるかのようだ。

はるか遠くまで山が続く。次はあの山の向こう側まで行ってみたい。大きな荷物を背負って、何日もかけて縦走してみたいなぁ。

ずっと山が好きそうな雰囲気でこの文章を書いているけど、本格的に山へ行くようになったのは、せいぜいここ1年ほどだ。

富士山には過去2回登ったことがある。普段登山をしない人でも、富士山だけは行こうとするらしい。日本一の高さを見たいというミーハーな気持ちが掻き立てられるのだろう。ぼくもまさしくその中のひとりだった。

そんなぼくが本格的に登山へ繰り出すようになったのは、一人の友人の存在がきっかけだった。

彼は元々東京に住んでいて、銭湯やサウナが好きという共通の趣味で知り合った。アウトドア系の趣味に明るく、活動的でいろんなことを知っているタイプの人だ。

ある時彼は長野県に移住する。働き方が変わったこと、そして何より以前からの趣味である登山への気持ちが高じての決断だった。

昨年の秋、ぼくは彼から八ヶ岳方面への登山に誘われた。

道具らしい道具も手元になかったのに、深く考えず行くことにした。多少の不安はあったけれど、山の上の景色という、何より自分の足で歩かなければ決してたどり着けない光景というものを見てみたかったのだ。

必要な服を揃えながら、出発間際になって登山靴を購入した。すべてがギリギリだった。ワークマンとモンベルショップがあって本当によかった。

こうして訪れた秋の八ヶ岳は、登山初心者の僕にとって非常に思い出深い場所となった。

この日を境に、ぼくは少しずつ山へ行き始めるようになった。

主な行き先は長野・山梨方面。都内からでも中央線特急で行きやすく、自然豊かな風景にすぐアクセスできるような地域だ。

山好きな仲間たちと一緒に少しずつ遠くへ足を伸ばしながら、今までは自分にとって未知の存在だった「山の世界」を徐々に噛みしめていった。軽アイゼンをつけてちょっとした雪山にチャレンジしたり、日帰りだけではなく山小屋泊の登山もやってみた。

余談だけど、ぼくは全国各地いろんな地域へ旅をしている。各地の街に泊まって市内を散策したり、遠く離れた離島へふらっと行ってみたり。人並みよりは少し多いくらい、そこそこいろんな場所を見たつもりになっていた。

しかし山の上の世界は、ぼくにとって完全に未知の世界だった。森林限界を越えた先には、荒涼とした山の上の景色に加えて、眼下を見下ろす美しい展望があった。

なんとなく下から姿を見ていたはずの山の上に、地上からは決してわからないような雄大な世界が広がっていたことを知った。森の中にはたくさんの植物があって、木の形草の形ひとつひとつに、自然がつくりだした素晴らしい造形美があることを知った。

なんとなく見ているだけで終わるのと、実際に行って歩いてみるのとでは、その違いはあまりにも大きい。今まで「山の上の景色」について何ひとつ知らなかったことを実感させられた。

最初に山へ誘ってくれた彼のおかげで、そして一緒に山へ行く友人たちのおかげで、ぼくは今年もたくさんの山を楽しむことができている。

彼らのおかげで、ぼくはこうして新しい世界へと足を踏み入れることができた。おそらく、自分の興味関心だけでは決してたどり着かなかった場所だと思う。

みんなのおかげで、世界は今日も新しい。

知らなかった場所を歩き、そこで出会ったものに感動しながら見聞を広めていく。これこそが自分にとっての何よりの生きる目標だ。少し大げさに言えばそういうことなのだろう。

世界は自分のちっぽけな想像なんかよりもはるかに広い。この事実を死ぬまで毎日突きつけられていたい。限られた場所に身を潜めて、その外側に広がっているはずの世界に眼をつぶるような大人にはなりたくないのだ。

その「広さ」というのは、何も飛行機で何時間もかけて外国へ行くことだけではなくて、それこそ目の前にぼんやりと見ているはずの「山の上の景色」を見るだけでも、十分に感じられることだ。

さて、秋はどこの山へ行こうかな。

写真・文:Gota Shinohara(@gotashinohara

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